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アントニオ猪木

あんとにおいのき

<なんだコノヤロー! <元気ですかーっ!! <1・2・3ダーッ!!
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概要・人物

神奈川県横浜市出身、ブラジル育ちの元プロレスラーかつ国会議員(政治家)。
力道山の門下生出身で、同門であるジャイアント馬場と共に日本のプロレスを盛り上げた「燃える闘魂」
力道山の下では元・巨人軍の野球選手である為にある程度優遇されていた馬場と比較して練習はおろか日常生活においても虐待レベルの扱いを受けており、この当時は殺意すら抱いた事があると述べている(その馬場ですら練習の時は相当に理不尽レベルの扱きを受けており、「人間として何一つ良い所はありませんでした」と師匠について述べるレベルだった)一方で、師匠の育成方法や事業癖まで真似てしまう所があった。
実は、若手時代にジャイアント馬場と16回戦ったことがあるが、いずれも馬場に同じ技(フルネルソン)で敗れている。

必殺技卍固めコブラツイストなど。

事業家として


師匠である力道山の影響から事業家としての顔も持ち、タバスコを輸入した貿易会社のアントン・トレーディング、スペア・リブ関係のレストランチェーン展開やヒマワリの種のスナック菓子であるアントンナッツやマテ茶のアントンマテ茶等を販売したアントン・フーズ、バイオ燃料関連のアントン・ハイセル等の事業を行っていたが、何れも残念な結果に終わっている。

政治活動について


1989年に参議院議員選挙に立候補し当選。路上に作った特設リングでハリボテの覆面レスラー「ワルダー消費税」と戦い延髄切りで倒す(首チョンパ)というパフォーマンスがニュースで紹介された。この少し後の1991年、ミュージックステーションに出演していたデーモン閣下から「支持する」と言われている。

1995年に落選して以降長らく政界からは遠ざかっていたが、2013年の参議院議員選挙で、日本維新の会から立候補して再び当選を果たし、国政へ復帰することになった。議員初当選の頃から北朝鮮に度々訪問していて、朝鮮労働党幹部と太いパイプを持っている。2014年の維新の会分裂にあたっては次世代の党の方へ参加したが、同年12月の衆議院選挙で次世代の党が惨敗した直後離党届を提出。現在は2015年結成の政治団体「日本を元気にする会」の議員であり代表。

湾岸戦争での活躍

信じられないかもしれないが、湾岸戦争の際に日本人の人質40人余りを解放までに導いた実績を持っている。猪木氏の声に応じたミュージシャンやスポーツ選手がイラクのバグダードでイベントを開催、イラク政府にも熱意か通じたのか後に全員解放までに至った。また、そのイベントの際に利用したチャーター機の費用は全額が猪木氏個人の自己負担である。

余談

マイクパフォーマンス時のキャッチフレーズである「1、2、3、ダァーッ!」は商標登録されており、『1、2、3、ダァーッ!麺』と言う生ラーメンが発売されている。また、「闘魂」、「猪木イズム」、「ボンバイエ」も商標登録されている。

闘魂ビンタ

某予備校のイベントで生徒らのパンチを腹部に受ける企画があったのだが、その中の生徒の一人が少林寺拳法の有段者でよりによって本気で猪木氏の腹部を殴ってしまった。その時に流石の猪木氏も驚いてしまい、反射的にビンタしてしまったのがきっかけだった。
なお、ビンタを受けた生徒もその場で礼儀正しく「ありがとうございました」と丁寧に一礼して返している。その後もこの闘魂ビンタを受けた東大受験生が全員合格するなどの事もあり、しばらくは縁起物のように扱われた。ただ、本人はいじめも嫌いで、元々そこまで暴力も好きではない優しい性格なのでブームを過ぎてからはやりたがらない様子。

関連項目

新日本プロレス
永久機関(「ネジ一本締め忘れた」で検索)
闘魂注入

関連動画


超有名な入場曲「炎のファイター~INOKI BOM-BA-YE~」。
曲中頻繁にはいる「ファイっ!」は猪木氏本人によるもの。この曲を収録したレコードは現在プレミアが付いているらしい。
なおこの曲自体は伝説のプロボクサーモハメド・アリから、異種格闘技対決を経て提供されたもので、本家はモハメド・アリのもの。

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