この兵器はイギリスにより開発された17ポンド砲(Ordnance Quick-Firing 17-pounder、76.2mm55口径、約3tの大砲(対戦車砲)、VI号戦車に対応できる兵器。)を搭載した自走砲である。この兵器は砲兵が運用している。
概要
第二次世界大戦において大英帝国はアフリカでの枢軸国との戦いにおいて、それまで戦車砲として使用していた2ポンド砲および6ポンド砲が使い物にならなくなりつつあることに気付いた。さらに、VI号戦車の登場によりそれらの大砲は完全にとどめを刺された(それどころかレンドリースされていたりアメリカ軍の主力兵器であったM4シャーマンの戦車砲、37.5口径75mm戦車砲M3すら通用しない!)。
そのため、17ポンド砲およびそれを搭載した戦車が必要となった。しかし、巡航戦車クロムウェルをベースに17ポンド砲を搭載したチャレンジャー巡航戦車の開発が難航した(実はこの時点で17ポンド砲はほかの大砲の台を取り付けた急ごしらえ状態だったりする)。この重い大砲を運搬するために急遽自走砲として開発することになった。
ベースは当時すでに陳腐化していたバレンタイン歩兵戦車とされた。
構造と運用
種車の構造(ベース戦車は小型戦車)のため、オープントップ(すなわち屋根がない形式)であり、主砲の向きが車体に対して後ろ向き(大砲が重いため前向きに取り付けるとバランスが著しく崩れるため)になっている。なお、本車には射撃時に後退した砲尾が操縦手を直撃するため射撃時に操縦手は退避が必要と言われていたが、閉鎖器が操縦席の真後ろに位置するものの主砲を発射しても砲尾は操縦席部分まで後座しないため、射撃時に操縦手は車外へと退避する必要はない。
そこは急造自走砲であるし、戦術的にも敵に攻撃を加えた後に車体の向きを変えることなく迅速に別の射撃位置に移動することが可能という長所にもなったので許せるところではある。また、他の戦車よりも車高が低く目立ちにくいという利点が存在した。
ところが、プラン提出が1942年の半ばで、生産開始が1943年の半ば、実戦投入が1944年10月というのはどう考えても急造自走砲のスケジュールではない。
しかも実戦投入時にはチャレンジャーも(陸軍が勝手に作った)ファイアフライも既に量産・実戦配備されていた……というオチがついてしまった。
ただ、冒頭で述べられたようにアーチャーは砲兵用であり、戦車部隊に配備されるチャレンジャーやファイアフライとは、17ポンド砲搭載兵器としてはともかく運用面でバッティングすることはなかった。
そんなこんなで、意外と使い勝手もよく、砲兵の管轄下にある貴重な対戦車兵器だったアーチャーは戦後もしばらく使われ続け、1950年代半ばまで配備が続けられた。また、一部はエジプト軍によって運用され、中東戦争にも参戦している。
余談
この17ポンド砲搭載車両のグダグダっぷりは英国面を表す一例として語られることがある。この大砲が積み込まれた戦車および自走砲はこの車両のほかに、チャレンジャー巡航戦車(1942年に原型ができたものの問題多発で量産まで2年かかった)、駆逐戦車「アベンジャー」(チャレンジャーベースで重量軽減のためオープントップ!結局戦後完成し、海外駐留部隊に押し付けた)、ブラックプリンス歩兵戦車(チャーチル歩兵戦車の発展型、試作のみ)、主力戦車センチュリオン(きちんと設計したものの完成は戦後、その後20ポンド砲に全車交換される)さらには大砲自体を改良(しかも弾薬に互換性のない)したコメット巡航戦車と迷走しっぱなしだったりする。なお、実際のところ一番早く量産可能だったのは当初改造案が否決され、勝手に試作したM4シャーマンを改造したファイアフライだったりする。
残存車両はイギリス本国及びオランダとイスラエル(中東戦争でエジプトから鹵獲したもの)に存在する。