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ウオッカ

うおっか

日本の競走馬・繫殖牝馬(2004-2019)。主な勝ち鞍は2006年の阪神ジュベナイルフィリーズ、2007年の東京優駿(日本ダービー)、2008年の安田記念・天皇賞(秋)、2009年のヴィクトリアマイル・安田記念・ジャパンカップ。牝馬として史上3頭目・64年ぶりの日本ダービー馬であり、当時4頭目となるGⅠ7勝を記録した優駿でもあった。2008、2009年のJRA賞年度代表馬。JRA顕彰馬。
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曖昧さ回避


こちらでは競走馬に関して解説をする。ウマ娘に関してはリンク先のタグを使用する事を推奨。


大文字の『オ』と小文字の『ォ』の付け間違いによるもの


こちらに関してはウ『ォ』ッカである点に注意。


概要

生年月日2004年4月4日07世代
英字表記Vodka
性別
毛色鹿毛
タニノギムレット
タニノシスター
母の父ルション
競走成績26戦10勝

馬主は谷水雄三。栗東・角居勝彦厩舎所属。

馬名は父の名の由来であるカクテル「ギムレット」のベースとなる「ジン」より強い蒸留酒「ウォッカ」から。そのためよくウッカと間違えられるがウッカである。

また、本来ならば谷水オーナーの馬は「タニノ」の冠名が付けられるが、「ウォッカを飲むならストレートが一番(アルコール度数が)強い」ということから敢えて冠名を外された。


主な勝ち鞍は2006年の阪神ジュベナイルフィリーズ、2007年の日本ダービー、2008年の安田記念天皇賞(秋)、2009年のヴィクトリアマイル、安田記念、ジャパンカップ。GI級競走7勝は日本牝馬の最高記録(それ以前はメジロドーベルの5勝が最多だった)。通常牝馬は牡馬より競走能力が劣り、牝馬限定レースに出る事が多いが、同世代のダイワスカーレットと共に牡馬との混合競争で幾度となく牡馬を打ち破った事からクリフジエアグルーヴ等と並び史上最強牝馬候補に挙げられる女傑。


母系を辿ると母母エナジートウショウ(シスタートウショウの全姉)、母母母コーニストウショウ、母母母母ローズトウショウというトウショウ家の血筋。更に遡るとシラオキにたどり着く。シラオキ系では他にマチカネフクキタルスペシャルウィークがG1を勝っている。


史上4頭目の4年連続GI制覇、史上2頭目の4年連続JRA賞受賞なども達成している。


戦績

2007年日本ダービー

オークスを選ばずに、あえてダービーを選んだ牝馬。

勝てるのか?本当に勝てるのか?

64年ぶり、牝馬のダービー制覇。

ウオッカ

誰も行かない道を行け。茨の中に答えがある。

一生に一度の栄光へ

2013年JRA日本ダービーCMより


ダイワスカーレット(鞍上・安藤勝己)との5度に及ぶ直接対決の戦績は2勝3敗。2007年の桜花賞でダイワスカーレットに惜敗を喫しながらも日本ダービーへの挑戦を決断し、牝馬としては64年ぶり、史上3頭目の栄冠を勝ち取る。

(同時に2002年の日本ダービーで優勝した父タニノギムレットとの史上初となる父娘2代制覇も達成。また鞍上の四位洋文はダービー初制覇となり、翌年(ディープスカイ)、武豊以来2人目となるダービー2連覇を達成)

2007年5月27日 東京競馬場

実況:塩原恒夫フジテレビ


2008年、岩田康誠の騎乗で安田記念を3馬身差圧勝で復活のGI3勝目、その後は武豊を背に天皇賞・秋でダイワスカーレットと再び激突。「大接戦ドゴーン(by アオシマバクシンオー)」を演じた末にレコードを叩き出した。

2008年11月2日 東京競馬場

実況:青嶋達也(フジテレビ)


2009年ヴィクトリアマイルで7馬身差の圧勝・安田記念でゴール前大きな不利を受けてから立て直して史上2頭目の連覇を達成した後、当時短期免許でフランスから参戦していたクリストフ・ルメールの騎乗で、ジャパンカップを2センチ差の大接戦をまたも制し、JRA・GI7勝を達成。

牝馬のJRA・GI7勝は初、牡馬も含めれば、シンボリルドルフテイエムオペラオーディープインパクトに続く4頭目の快挙である。


2010年に引退し、日本を離れてアイルランドで繁殖入り。

2008年と2009年のJRA賞年度代表馬、2011年にJRA顕彰馬に選出。


2019年4月1日、同年3月10日に右後肢第3指骨の粉砕骨折が判明し病院で治療を受けたものの、続けて両後肢に蹄葉炎を発症、懸命の治療が行われたものの回復の見込みがなくなったことから、安楽死の処置がとられたことが明らかになった。15歳没。

獣医学の発達と管理力の向上が進み、20歳以上まで生きる競走馬も珍しくなくなった現代では早すぎる死を関係者は惜しんだ。


なお、検疫の関係上遺骨は持ち帰ることができなかったため、鬣のみが日本へと帰還した。


永遠の宿敵ダイワスカーレット

暗色の馬体、後方から追い込む脚質、多くの騎手との乗り替わり、勝つ時は圧巻ながら負け方も激しいレース、あらゆる点でダイワスカーレットとは対照的な名牝で、同時代の競馬を彩った名花の一つ。

直接対決の戦績は2勝3敗。

初の対決となったチューリップ賞では後半ダイワスカーレットとのマッチレースとなり勝利、3着とは7馬身差という2頭の傑出を示す結果となるも、本番桜花賞では敗北。

ダービーを制するもダイワスカーレットには連敗を喫し、G1勝利数では上だがダイワスカーレットが上という声も囁かれていた。

雪辱を誓った2008年秋の天皇賞は東京競馬場を得意とするウオッカ、極限まで仕上げた馬体、ダイワスカーレットは休み明けと「これで勝てなかったらもう一生ダイワには勝てない」と陣営が声を漏らし、緊張感をみなぎらせていた。

結果を言えば見事に勝利したウオッカだが、後にこの天皇賞は平成競馬史に残る名勝負と称賛されており、ダイワスカーレットとの激しい接戦の末1分57秒2のレコード決着、13分の長い審議となりわずか2センチの写真判定と、ダイワスカーレット負けてなお強しの印象を残す結果に。

しかしこの大名勝負の結果両馬ともに歴史的な名牝の呼び声を確固たるものにした。



繁殖成績

引退後はオーナーの意向もあり、海外で繁殖生活を送った。

最高実績はタニノフランケルのオープン馬であるが、レースでの実績からすると物足りない繁殖成績であり、今後は牝系を繋いでいくことになるかと思われたが、タニノフランケルが種牡馬入り。血統だけを言えば一流であるが実績からすると種牡馬入りは難しいと思われただけに驚きのニュースであった。

今後血統に名前を見るかは未知数だが、サンデーサイレンスやキングカメハメハの血が流れていない事から需要は存在すると思われる。

そして2023年1月9日、そのタニノフランケルとダイワスカーレットの孫スカーレットテイルとの間に娘が産まれた。


生年月日名前性別毛色競走成績
2011年5月2日ボラーレ黒鹿毛Sea The Stars2戦0勝
2012年4月23日ケースバイケース黒鹿毛Sea The Stars6戦0勝
2013年4月23日タニノアーバンシー黒鹿毛Sea The Stars5戦0勝
2015年2月8日タニノフランケル黒鹿毛Frankel
2016年3月5日タニノミッション鹿毛Invincible Spirit

pixivにおけるウオッカ

投稿が古い順で並べると一目瞭然だが、某作品以前から擬人化、馬共に非常に人気。どちらかというとスポーティー・ボーイッシュなイメージでお嬢様風のダイワスカーレットとのコンビイラストは鉄板の題材。


JRA広告

ヒーロー列伝

その強さに、心酔。

鮮やかに紅一点が弾けた直線、大観衆の誰もがその軌跡に心を奪われる。

牝馬64年ぶりのダービー制覇、勇気ある挑戦に夢は現実のものとなる。

譲りの強さを輝かせた才媛の舞、歴史を変えた一瞬は永遠の記憶になった。


名馬の肖像

遠くへ


君はいつも

遠くを見つめていた

誰の手も届かない

遥かを目指していた


その場所でしか

得られない何かがあると

信じているかのように


君がたどり着いた地に

充足はあっただろうか

安息はあっただろうか


≪2019年ヴィクトリアマイル≫


関連項目

JRA 競走馬 07世代


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