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プロフィール


経歴

ルーマニアにて1916年、「レヌーツァ・ペトレスク」として生まれた(エレナに改めたのは32歳になってから)。

1937年、第二次世界大戦中に共産党入り。2年後、夫のニコラエ・チャウシェスク出会った。夫は幾たびも大戦中投獄されており関係は進まなかったが、第二次世界大戦終結後の1947年結婚。

夫の権勢が膨らむと共に彼女も出世栄達し政権にも関わって来るが、その過程で「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれる孤児たちを生み出した政策を発案したのはエレナとも言われているなど失策を犯し、そして1989年12月25日夫と共に処刑された。


学歴コンプレックス?

この時代では全く珍しくないが小卒で働き始めたエレナだったが、その小学校で14科目中9科目で赤点を取ると言うとんでもないことをやってのけている(フィクションでもこの人ぐらいしかいない)が、それが彼女のコンプレックスとなっていたらしい(なお実際には小卒どころか小学校中退だったとも言う)。

結婚前の1945年エレナ(この時はまだエレナではないが)は秘書官をやっていたが、同僚曰く「しゃべる言葉が英語フランス語ちゃんぽん」「彼女がいなくても何も不自由はない」とボロカスであった。

1950年には科学研究省の科学者となるが「誰も本を読んでいる所は見た事はない」と言われており、二酸化炭素の化学式も書けなかった。1959年に化学の学士号を夜間大学で習得したが、実際には多くの化学者の論文を権力で強引にエレナのそれにしたらしい。多くの特許もエレナのそれになっていたが、そのやり方もまたしかりである事は想像に難くないだろう。

15の大学から名誉博士などに類するそれを受けていたが、実のあったそれがいくつあったかと言うと……。


関連タグ

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ニコラエ・チャウシェスク 悪女

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