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カトリック

かとりっく

キリスト教の最大宗派「ローマ・カトリック教会」の略称。『普遍』の意味を持つ。信者数世界で約10億人。成立AD33年
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全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。成立はAD33年(ペテロが教皇になったとされる時から。)
日本ではカトリック教会といい正式名称はローマ・カトリック教会というラテン語ではEcclesia Catholica(Catholicus)、ギリシャ語ではκαθολικός、英語ではCatholic、ロシア語ではкатоликという。日本ではかつて「天主公教会」とも称された。このキリスト教宗派の特徴としては聖ペテロを初代教皇としたローマ教皇(ローマ司教)と教皇庁を頂点とした司教官僚制的協会制度にある、カトリック教会自身による定義は「教会憲章(Lumen Gentium)」にみられる「ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現にもっともよく表されている。

彼らは全てのキリスト教会を自認する。ので、(他の考え)異を唱えるものには『異端者』などと断罪する癖がある。プロテスタント(改革派教会)とはそういった理由で犬猿の仲である。カトリック組織と共産党組織のそうゆう断罪癖は似ていると言われた。

 カトリック教会での綱領『教義』を変えることができるのは、『公会議』であるが、これが非常に『共産党大会』に近いかもしれない。しかしこの『公会議』は2000年近く存在する機関なので、共産党大会の歴史より断然長い。カトリック教会の規律に『教会法』というものがあるが、これは『ローマ法』といっていい、カトリックは一番『ローマ帝国的組織運営』がなされている勢力でもある。

 アメリカはいまだに『聖書教義』が根強い国家で、科学的な人類史では常識の世界『サルから進化して人になった』ということがアメリカではいまだに一部有名な学者にしても半信半疑であり世界と人類の歴史が『アダムとイブ』の世界の延長線であることがいまだに常識という地域もある。アメリカはたまにキリストの教義と科学発展のことを気にしまくっているときがある。

歴史的経緯

 キリスト教会の始まりは救世主(キリスト)昇天後の信徒の組織をペテロが引きつぐ形で継続することになった、コレが今日のキリスト教会である。いろいろ御幣はあるがカトリックはペテロ(初代教皇(ポープ))の直系組織であることに拘りを持つ。

 その後もキリスト教徒の神への唯一信仰への他宗教への影響からローマ共和国(ローマ帝国)のローマ帝ネロ(37-68)に代表される虐殺的な迫害を頂点としてその後のローマ共和国ローマ帝国)政府や市民による迫害が続きローマ帝ディオクレティアヌスの時代に頂点を向かいた。

 その後、元首ディオクレアヌスに並ぶ強力な最高指導者ローマ帝コンスタンティヌス(272-337)の治世においてキリスト教が公認された。その後共和国(帝国)内ではかつてのローマ神話ギリシア神話信仰から比較的自然※にキリスト教に移行していったとされ、最高指導者ローマ帝テオドシウス(347-395)がキリスト教を公式にローマの唯一の国教とした勅令を出し。これ以降ヨーロッパ文明はキリスト教世界となった。

 そしてカトリック教会は(当時はまだ正教会(ローマ東方のキリスト教)とも決裂していなかったので)ローマ帝テオドシウスの時代にキリスト教の教会法の一つ『破門罪』においてローマ帝より優越することを示した。キリスト教徒でなければ人間でないという世界観において『世界国家ローマの支配者であってもキリスト教徒人であらず異端物』とした判断は後代のヨーロッパ中世世界においての最重要の倫理観の一つになった。結局当時のローマ帝テオドシウスは当時のキリスト教幹部(アンブロシウス)に土下座謝罪をすることで許しを得た。

 これ以降ヨーロッパではキリスト教会(カトリック)とその指導者(教皇)は聖俗の権威であることが暗黙の了解となった。

 ローマ共和国(西ローマ帝国)崩壊以降ヨーロッパの歴史のなかで、暗黙の了解のうちに常に支柱的思想・社会秩序の基盤となったヨーロッパ各地域の教会・それを支える修道士の組織『修道会』などが中世ヨーロッパの古産業を支え、行政的(役所)的役割まで果たした、中世ヨーロッパ世界はカトリック教義社会に裏打ちされたキリスト教封建制的社会を築いた。中世までのヨーロッパ世界の諸国の君主などは教皇による『神の正式な許可』が必要であるとしていたので絶大な権威を有していたが、一筋縄ではいかなかった。(編集中)

 中世ヨーロッパ世界では『教会法』が一応「ヨーロッパ市民全体」の刑罰集となっていた、これは当時の『神聖ローマ帝国』をもってしても法整備がヨーロッパ諸国で不統一であったからである。

(編集中)

 ルネサンス社会をへて「生きたローマ文明」をカトリックは再確認し、ローマ帝国文明も一応継承したことになっている。革新教会(プロテスタント)が起こり近世王朝や市民革命を得てヨーロッパに「政教分離社会」が到来した。

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イラスト

Archangel Uriel
聖歌隊1


教義

 基本的な教義はキリスト教の記述に譲り、ここではキリスト教内でのカトリックの特徴を簡単に説明する。キリスト教は草創期からいくつかの問題(後の「自由主義神学寄りの説明」を参照)を抱えており、聖書の解釈で意見が割れることがしばしばあったが、神学に詳しい人、すなわち教父・司教が公会議と呼ばれる議論を開いて正統派の教義を選びこれを解決してきた。この過程を尊重し、「司教が会議して聖書の正統派の読み方を担保する」という立場がカトリック・正教会の大きな特徴である。

  • 正教会とカトリックは立場が非常に近いが、カトリックではローマ教皇の特別性を認める(正教会では認めない)、ラテン語聖書を正統原典として扱う(正教会ではギリシャ語聖書)などの点で異なる。
  • カトリックと正教会は司教による聖書の正しい解釈法の教授が必須であると見なし、これに司祭を加えた聖職者の権威を過去から現在にわたって(キリストに由来するものとして)認める立場をとる。一方でプロテスタントは、聖職者の権威を否定し、聖書原理主義的な傾向がある。
  • アリウス派・非カルケドン派等の初期の異端とは、イエスと聖書の正当性の担保(「自由主義神学寄りの説明」参照)の考え方で相違がある。
ブラックな所
 カトリック協会組織は発足当初から完全男社会であり、根本的男尊女卑がいまだに拭えないとされる。
 中世ヨーロッパの騎士修道会(教会騎士団.代表はテンプル騎士団神殿騎士団))の淫猥名習慣の伝説から始まるが。カトリックでは教会管区の少年の下男修道士や教会儀式の少年少女の従童(アコライト)が司教やもっと上の教会幹部(枢機卿など)からSM行為や少年愛スキャンダルは耐えないとされる都市伝説が存在しており。暗黙の了解になっていた部分もあるようだ。ただしカトリックでは、特に中世ヨーロッパでは『そのような行為』自体が国王・貴族・芸術家(画家・彫刻家)であっても死刑に値することなので。徹底的に否定する。

カトリック教会が一大スポンサーとなった革新的芸術の流行であったルネサンス期の特に芸術家ダヴィンチミケランジェロ)。は前者は美少年に惹かれている節があり助手も中性的な男(ジャコモ・サライ)とかが多かったとか(ショタコン、ミケランジェロは美男子が好きだと公言しているような所があり、美しい筋肉が大好きだったとか。ラファエロはダヴィンチ・ミケランジェロより中性的な風貌だったが無類の女好きで過度のセックスの負担も過労死の一要因だったとか言われた。

 現代社会においてもカトリック組織における事前孤児院の所長牧師よる男色的悪弊をその他諸悪弊はかつては外部からの是正は治外法権などの理由により不可能に近かったが現在はかなり是正されてきていると思われる。よって今日のヨーロッパ社会ではかつてないほどにヨーロッパの人々は「カトリック離れ」を引き起こし、「無神教」の割合がヨーロッパの人々の半々の割合になりつつあるとされている。

教説

 カトリック教会の教説(教え)は「聖書と聖伝」という言葉であらわされるように、旧約・新約聖書およびイエス・キリストと使徒の教え(聖伝承)両方に大きな権威を与えてきた。これらの教説は(後述する理由により)多くの議論を経て、公会議などによって確定されてきたものである。

聖典

 ヴルガータと呼ばれるラテン語版のセットを正式な聖典としている。

秘跡

 カトリック教会は(教義の上でイエス・キリストに由来し)聖職者(司教または司祭)のみにゆだねられた特別な儀式を行っている。これを秘跡と呼ぶ。伝統的には以下の七つの秘跡を行ってきている。

  1. 洗礼
  2. 堅信 
  3. 聖体 
  4. ゆるしの秘跡 
  5. 病者の塗油
  6. 叙階
  7. 婚姻の秘跡

公認する公会議

  1. 第1ニカイア公会議
  2. 第1コンスタンティノポリス公会議
  3. エフェソ公会議
  4. カルケドン公会議
  5. 第2コンスタンティノポリス公会議
  6. 第3コンスタンティノポリス公会議
  7. 第2ニカイア公会議
  8. 第4コンスタンティノポリス公会議
  9. 第1ラテラン公会議
  10. 第2ラテラン公会議
  11. 第3ラテラン公会議
  12. 第4ラテラン公会議
  13. 第1リヨン公会議
  14. 第2リヨン公会議
  15. ヴィエンヌ公会議
  16. コンスタンツ公会議
  17. フィレンツェ公会議
  18. 第5ラテラン公会議
  19. トリエント公会議
  20. 第1バチカン公会議
  21. 第2バチカン公会議


 カトリック教会では21の公会議に特別な権威を付与している。公会議の位置付けはキリスト教各教派によって異なっており、東方正教会(ギリシャ正教)では最初の7つの公会議のみを認めており、非カルケドン派(東方諸教会=いわゆる単性論教会)では最初の3つのみを認めている。さらにネストリウス派の諸教会(アッシリア東方教会など)は最初の2つしか認めていない。また近年出現したキリスト教系新興宗教の大多数が、公会議の全ての権威や歴史的信仰宣言をことごとく否定する傾向がある。


自由主義神学寄りの説明

 初期キリスト教には、自立した聖典宗教となる上で2つの問題があった。一つはナザレのイエスは、自身を預言者の子として崇拝させるような言動が(他の宗教の教祖に比べると少)なかったということである。教祖の言葉を聖典にまとめて宗教を成立させるためには、「なぜ教祖の言葉を信じなければならないのか」という点をある程度理由づける必要があり、例えばいくつかの宗教では「教祖は神の化身である」「教祖は天使から神の言葉を預ってそれを語った」などの理由がつけられている。イエスは新約聖書の範囲内では他人から「キリスト」「神の子」と言われることはあるが自分からはそのようには述べていない。
 もう一つはナザレのイエス自身は聖典となる著作を残しておらず、近くで言動を見聞きした弟子(または弟子からの口伝を筆記者)が書きとめた福音書があるにすぎない、という点である。福音書の中でイエスは(ユダヤ教時代の)律法(=旧約聖書)を全うしよう繰り返しているが、イエス自身は律法の編纂や注釈を書物の形では残しておらず、弟子以降の世代に書かれた言行録の中から正典の取捨選択が必要となった。

 これらの問題について様々な説明が登場し論争となったが、徐々に正典として採用する言行録が整理され、合計7回の(キリスト教神学者による)公会議を経て、イエスが何者か、聖典とは何かという点を三位一体という概念で理解することで決着した。これらの公会議で採択された多数派がカトリック(Catholic; 普遍)やオーソドックス(Orthodox; 正統)と名乗るようになる。アリウス派やネストリウス派は公会議で排除された派閥に当たる。
 7回の公会議の後、コンスタンティノポリスを中心とするギリシャ語聖書派とローマを中心とするラテン語聖書派で、協会の運営や聖書の翻訳精度の問題で意見の対立が進み、やがて共同歩調を取らなくなる。このうちギリシャ語聖書派が後の正教会(Orthodox)となり、ラテン語聖書派がカトリックとなった。カトリックと正教会は、あえて一番近い教派を選ぶとすれば、相互に最も近い教義を持っている。
 さらに時代が下ると、カトリックの中から「そもそもローマ教皇聖職者という特別な存在を認めるべきではない」という主張が登場する。このような主張に沿った派閥はプロテスタント諸派や聖公会といった派閥を形成していくことになる(これらの派閥のもう少し詳細な主張についてはリンク先参照)。

【参考文献(イラスト)】

  • ミカラファ(華花)
  • St. Michael the Archangel(朱鈴)

関連タグ

キリスト教 神父(カトリック教会の司祭の通称)
万聖節 
プロテスタント 英国国教会
正教会

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