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メンバー全員が慶応義塾大学経済学部出身。同大学の男声合唱団ワグネルソサエティのメンバーたちが、1951年のクリスマスパーティーで「ホワイト・クリスマス」の合唱を披露したことがきっかけで結成したものだが、この時はパクさんこと高見澤宏が入学する前だったので、メンバーは3人だった。

結成当時はJAZZ・黒人霊歌を中心に活動していたが、後にオリジナル楽曲やロシア民謡、山の歌、唱歌など幅広いジャンルの楽曲をレパートリーに持つ。


2011年に高見澤が死去したためにメンバーが3人に戻り、2016年に喜早と佐々木が相次いで死去したことでグループとしての活動に終止符が打たれた。


その後、最後の存命者となった遠山は、しゅうさえこと組んで、死去前まで歌手として活動を続けた。


メンバー

高見澤宏(たかみざわ ひろむ/1933年11月9日-2011年1月7日)

静岡県出身。愛称はパクさん

トップテナー担当で、立ち位置は左端でマイクの保持は左手。

メンバー最年少で、妻は俳優の萬屋錦之介の妹(他、中村嘉葎雄は義弟(妻の弟)、中村獅童は甥)。

2011年1月7日、心不全のため77歳で亡くなった。


佐々木行(ささき とおる/1932年2月18日-2016年6月20日)

本名:佐々木通正(ささき みちまさ)(本名で活動していた時期もあるので、資料によってはこちらの名前で掲載されていることもある)。

福島県出身。愛称はマンガさん

セカンド・テナー担当で、立ち位置は右から3番目。主にメロディパートを担当した。

青葉城恋唄で知られるさとう宗幸とははとこの関係。

1997年末に一過性脳虚血発作で倒れ、その後鬱病を発症。更に脳梗塞の後遺症で療養していたが、療養中の2008年に夫人に先立たれてしまう。

2016年6月20日、喜早の後を追うかのように、心不全のため84歳で亡くなった。


喜早哲(きそう てつ/1930年11月8日-2016年3月26日)

東京都出身。愛称はゲタさん

バリトン担当で、立ち位置は右から2番目。

佐々木の休養後はメロディパートを担当。

2016年3月26日、急性肺炎のため85歳で亡くなった。この約3カ月後、佐々木が後追いのような形で死去している。


遠山一(とおやま はじめ/1930年5月26日-2023年9月22日)

本名:金井哲夫(後に「金井政幸」へ改名)。

東京都出身。愛称はゾウさん

バス担当で、立ち位置は一番右でマイクの保持は左手。

メンバー最年長(同級生の喜早より生まれが早いため)。

2016年に喜早と佐々木を相次いで亡くしたことにより、ダークダックスで唯一令和までの存命者となり、しゅうさえことの共演による「ダークダックスのゾウさん&しゅうさえこ」としてコンサートを同年10月から再開。晩年も約1年に1回のペースで活動を続けたが、それから約7年後の2023年9月22日、慢性心不全と老衰のため93歳で亡くなった。

遠山の逝去により、ダークダックスはメンバー全員が鬼籍に入った。


代表曲

この他に古くからある日本の唱歌なども幅広く歌っており、レパートリーは数千曲に及ぶ。


CM


その他

  • 紅白歌合戦に初めてグループとして出場した歌手はこのダークダックスである
  • 代表曲に山に関連する歌が多いせいか、メンバー全員の趣味がスキーである
  • 飲み屋などの立ち食い・立ち飲み式のカウンターで斜めに立ち、より多くの客がカウンターに立てるようにすることを「ダークになる」と表現するが、このダークとはダークダックスに由来する。

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