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トンブリ級

とんぶりきゅう

タイ王国が保有した海防戦艦。二隻が日本で建造され、タイへ輸出した。
目次 [非表示]

トンブリスリ・アユタヤの二隻が建造された。

常備排水量2,015トン、全長76.5m、全幅14.4m。

20cm連装砲2基を装備した。


これまでのあらすじ

タイ王国の近代外交史

「ボーリング条約(英泰友好通商条約」

これは1855年、イギリスと締結された条約であり、タイにとって初めての近代的な外交関係となった。


ただし、実のところ、17世紀中ごろにはイギリスやポルトガル、フランスにオランダと通商関係があった。だが在タイ華僑とオランダ商人は商習慣の摩擦によってか衝突が絶えず、1860年代には武装した華僑の一団がオランダ商人所有の工場を襲撃する事件が起きた。これによりオランダも武装船舶にてバンコク湾を封鎖して中国船を人質にとり、独占貿易権を強引に要求する暴挙に出る。


この事件の収拾のため、当時のタイ国王ナーラーイはフランスに協力関係を求める。フランスは安上がりに植民地を拡大する下心もあってか、盛んな技術支援を行ったが、このナーラーイ王の崩御のあとは開国を拒絶する攘夷派により外交が途切れ、近代化のために派遣された宣教師も殺されて、蜜月関係は急速に冷え込んでいった。


「修好通商航海条約」

1865年、フランスと結ばれた始めての条約だが、今度は軍事力を盾にした不平等条約でもあった。

今回のフランスはかなり強硬になっており、(タイの国としての立場を無視して)軍を派遣して内乱を鎮圧する事まで行っている。この事件のついでにフランスはタイの一部を占領し、一部撤退などの段階を踏みながらも駐留を続けた。


1892年、今度はイギリスが豊富な森林資源を求めて、以前の条約で決めた範囲を超えて進出し、こうして南部もイギリスの勢力圏となった。イギリスとフランスはともにタイに隣した国(インド・ベトナム)を植民地化しており、タイは両国の植民地取得合戦の最前線ともなっていたのだ。


ここに風雲急を告げるかに思えたタイの命運だったが、1896年に両国はタイを緩衝地帯(=進出禁止地帯)として認めるに至り、こうして英仏による進出合戦は落ち着くことになった。ただし欧米列強による進出は続き、以後も様々な国と不平等条約を結ばされるのだった。


第一次世界大戦参戦

1917年、タイは不平等条約解消のために第一次世界大戦に参戦し、連合国側についた。

連合国側は勝利し、ドイツ・オーストリアとの不平等条約は解消されたが、イギリスやフランスとの不平等条約(もちろんこちらが本丸)は改正されないままになってしまった。ただし、こちらは1930年代に近代国家として整うにしたがい、徐々に解消されるよう、約束を取り付けることに成功した。1937年までにはすべての不平等条約が撤廃されている。


西方戦役とタイ

1940年、ナチスドイツが本格的にフランスへの侵攻を開始した。これに伴い、タイもかつて占領された地域の奪還を目指してフランスに宣戦布告。日本の協力もあって失地はほぼ完全に回復されることになった。


ただし、これによりタイは枢軸国とみなされ、せっかく回復した土地も戦後ふたたび失うことになる。


「トンブリ」級海防戦艦

さて、ここからがようやくトンブリ級へと話が移ることになるが、こうした経緯を辿ったことから、設計での仮想敵はもちろんフランス極東艦隊であった。


しかし、対フランス用艦艇を、まさかフランスに発注する訳にもいかず、かといって過去おおいにイザコザを経験した国のもう片方で、下手をうてば紛争が再燃しかねないイギリスに注文する訳にもいかない。アメリカからはほぼ無視されている。ドイツとは戦争した(しかも勝った)以上、何食わぬ顔をして発注するのははばかられる。


というわけで1934年、おりから友好関係が成立しつつあった日本が、新型の海防戦艦建造を受注することになった。1番艦「トンブリ」・2番艦「スリ・アユタヤ(アユチアと表記されることも)」はともに計画され、川崎重工神戸造船所にて順次建造されることになった。ここあたりの経緯は下掲載のイラスト、上段右のものに詳しい。


特徴的なのは駆逐艦ほどの艦に、重巡洋艦ほどの火力を詰め込んだことだが、この事はのちの実戦で外洋むきでない船体との相性の悪さを露呈することにもなる。しかしタイ海軍は技量の低さを勇気で補い、不利を承知してなお立ち向かっていった。大日本帝国海軍ゆずりの20.3cm砲も、まともに受ければタダでは済まない威力がある。後述の「ラモット・ピケ」でさえ、受ければ致命傷になりかねない。一説にはこの砲、近代化改修で取り外した妙高型の砲塔をまるごと載せたともいわれている(未検証)。


こうしてようやく(とりあえずの形ばかりは)陣容を整えたタイ海軍は、来たるフランス海軍との決戦に備えて準備を整えていった。


ラタナコシンドラ級砲艦

これはイギリスに発注された沿岸警備用の艦で、満載排水量1000tという小型のもの。これは現在の

海上自衛隊艦艇でいうところ「やえやま」型掃海艦に並ぶ程度である。

武装はアームストロング15.2cm単装砲塔を前後2基に7.62cm砲を4門装備。


トンブリ級はこのラタナコシンドラ級の拡大発展型として計画された。


コーチャン島沖海戦(1941年1月17日)

はじまり

こうしてタイは失地奪還を目指し、駐留フランス軍へ攻撃を開始した。

1941年1月にはタイランド湾における海上優勢を確保すべく、フランス極東艦隊に決戦を挑む。場所はタイランド湾コーチャン島沖合。のちに「コーチャン島沖海戦」と呼ばれる戦いが始まった。


タイ海軍の陣容は「トンブリ」「スリ・アユタヤ」を筆頭に水雷艇6隻と機雷敷設艦・漁業保護艇が各1。対するフランス海軍は軽巡洋艦「ラモット・ピケ」をはじめとした通報艦が大小2ずつ4隻であった。さすがに砲戦力ではフランスに譲るが、20.3cm砲と魚雷をうまく活用できれば互角の勝負に持ち込めるだろう。


タイ海軍は初めての海戦を控え、士気は大いに上がり、しかし偵察機からフランス艦隊発見の報が得られないまま夜を明かすことになった。


フランス通報艦

植民地向けであり、軽武装で小型の艦のようにも思えるが、排水量2000t級で主砲に13.8cm砲を3門搭載する立派な戦闘艦である。魚雷が無いことを除けば駆逐艦にも近いだろう。航路封鎖用に機雷も装備している。


トンブリの運命の日

運命の1月17日、この日の朝はフランス艦隊による起床ラッパで始まった。2つに分けた艦隊のうち、「トンブリ」率いる第2戦隊はこの日、フランス艦隊による奇襲により大混乱に陥った。実はフランス側はタイ艦隊を発見しており、待ち伏せるどころか、逆に出鼻を挫かれてしまったのだ。混乱の中で水雷艇2隻はまたたく間に被弾し炎上、これを受けて「トンブリ」はただちに現場に急行し、有効射程まで接近すると同時に砲撃を開始した。


こうして「トンブリ」とフランス通報艦「アミラル・シャルネ」とのガチの殴りあいが始まった。十分に接近を続けた「トンブリ」の砲撃は次第に命中率を上げ、さらにフランス旗艦「ラモット・ピケ」が座礁しかけて足が止まったことから、これも集中弾を浴びることになった。


もちろん「トンブリ」も無事では済まない。

もとより技量で上を行くフランス海軍のこと、撃たれながらも接近し続ける「トンブリ」は格好の標的になった。被弾しながらもひるまず攻撃し、低い技量をものともせずに戦ったが、限界を先に迎えたのは小型の「トンブリ」の方だった。この戦いで「トンブリ」は大破・炎上し、曳航して修理を試みるも、夕方には転覆してタイランド湾へ没した。(その後浮揚させて練習用に再利用)


しかしこの交戦で燃料・弾薬を消費したフランス海軍は撤退し、タイランド湾は守られた。その後のフランス艦隊は入港しているところを日本軍に接収され、さらに1945年(昭和20年)1月にはアメリカによるサイゴン空襲の巻き添えで撃沈されてしまった。

勝ったとはいえ、フランス側もかなりのビターエンドであった。


スリ・アユタヤのその後

一方、戦闘に参加できずに(混乱の中で座礁したとも、下記webサイトでは戦闘初期に放たれた魚雷が命中し、撤退したとの説も挙げられている)残った「スリ・アユタヤ」は、その後実戦の機会はなかったが、「マンハッタン号事件(1951)」により味方の攻撃で大破・着底する運命をたどった。


おわりに

その後の海軍の末路といい、やはりトンブリ級海防戦艦はタイ海軍を象徴する艦艇であった。


しかし設計での想定が甘かったのか、それとも無理に重巡洋艦の主砲(=かなり重い)を搭載したせいなのか、トップヘビー気味で安定性が悪く、そのうえ艦に見合わない大型砲を積んだせいで射撃安定はますます悪かった。ついでに砲兵の技量が低いせいもあって中々命中弾にも恵まれなかった。


だが、この仕様は当時のタイにとって精一杯のものであり、やれ相性がなんだの、想定がなんだのといった後付けの理屈は的外れというものだろう。実際、タイにとっては精一杯よい艦を建造しようとした結果であり、トンブリ級海防戦艦は現在でもタイでは隋一の人気を誇っている。


最後はいささか恵まれなかったが、精一杯やろうとした精一杯の艦は、現在一部が保存されている。なお模型化も望まれているようだが(とくにタイで)、いまのところ恵まれてはいない。やっぱりちょっと不憫な艦だった、のかもしれない。


参考

Ocean Dockyard

センシティブな作品

トンブリ姉妹の艶姿

【夏コミ新刊・その2】Giftタイに嫁いだ海防戦艦姉妹のおはなし

センシティブな作品HTMS Sri Ayudhya

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