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概要

生年月日2011年3月11日
英字表記Toho Jackal
性別
毛色尾花栗毛
スペシャルウィーク
トーホウガイア
母の父Unbridled's Song
競走成績13戦3勝
管理調教師谷潔 (栗東)
馬主東豊物産
生産者竹島幸治

2011年3月11日生まれの競走馬

父:スペシャルウィークは黄金世代こと98世代ダービー馬。

母:トーホウガイアは中央でデビューするものの勝ちきれず、岩手競馬に転厩し、そこで9勝を挙げている。

母の父:Unbridled's Song(アンブライドルズソング)はアメリカの競走馬。デビュー戦を8馬身差で勝ち、重賞初挑戦のG1ブリーダーズカップ・ジュベナイルを制し、初重賞にしてG1の勝ち鞍を掴んだ。その後はクラシック路線に進むがなかなか勝ちきれず、4歳時に5勝目を挙げた後に引退。種牡馬入りした。

また、産駒の牝馬はトーホウガイアの他にも繁殖牝馬として日本に渡り、ブルートメアサイアーとして8代目三冠馬にして史上三頭目の無敗三冠馬コントレイルを輩出するなど、活躍を残している。


生涯/戦績

前述の日付を見れば分かると思うが、生まれた日はあの東日本大震災が発生した日。

北海道にも津波警報が発令される中、尾花栗毛の美しい牡馬が生を受けた。

その馬こそがトーホウジャッカルである。


未曾有の大災害の中の生まれだったが順調に育ち、育成牧場に送られ競走馬としての馴致や調教を受けてゆく。育成も上々の様子で、育成牧場の専務が1番手に上げるほどの仕上がりだった。

…しかし、ここでトーホウジャッカルを悲劇が襲う。


デビューまでの試練

栗東の谷潔厩舎へ入厩を間近に控えた2013年8月、トーホウジャッカルは重度の腸炎と肺炎を発症してしまう。

一時期は動けないほどの重病で生死の境を彷徨ったが、スタッフの懸命の看病の成果で一命は取り留めた。

だが、闘病の影響で馬体重が50キロ近くも低下し、様子を見た谷潔調教師も「競走馬にはなれないかも知れない」と不安を口にするほどだった。

その後はなんとか立て直し、慎重な調整を経て翌年3月に入厩した。


日本ダービーの栄光の影で

なんとかデビューまで漕ぎ着けたトーホウジャッカルだったが、入厩が遅れた影響で新馬戦には出走できず、ワンアンドオンリーが栄光を掴んだ日本ダービー前日の3歳未勝利戦がデビュー戦となった。

デビュー戦はスタートで出遅れてしまい、終盤に追い込みを見せたものの10着に終わる。

この時トーホウジャッカルはゲート試験を終えた直後でまだ仕上がりきってない状態だった。

しかし、鞍上の酒井学騎手は手応えを感じており、騎乗後に「もう一度乗せて欲しい」と頼み込むほどだった。

事実、このデビュー戦は負けこそしたものの、最後方から追い上げた上がり3ハロンのタイムは34.1と2着馬に並ぶ数字を叩き出していた。

その後の6月の2戦目は鞍上を幸英明騎手に変更して挑むが出遅れてしまい9着。翌月の3戦目は酒井騎手に戻し、好位置からの先行抜け出しで初勝利を掴んだ。


夏の上がり馬へ

次走の500万下では最内から好位につけての抜け出しで勝利。その次の1000万下では敗れこそしたものの、中団からの抜け出しでクビ差で2着となった。

この結果を受けて酒井騎手は「重賞でも勝負できる」とコメントを残していた。

その後中2週で挑んだG2神戸新聞杯では、ダービー馬ワンアンドオンリーとサウンズオブアースとの直線勝負の接戦の末3着に終わる。しかしタイム差なしの3着であり、4着のサトノアラジンとは3馬身近くを引き離していた。

ダービー馬を相手に好走し、菊花賞への優先出走権を得たことで、トーホウジャッカルがいわゆる「夏の上がり馬」であると確信した陣営は菊花賞へ挑む。

体調面の不安もあり、当初はクラシック登録をしていなかったが、急遽追加登録料を支払って菊花賞へと舵をとった。


奇跡の菊花賞

そして迎えた菊花賞。注目を集めていたのはダービー馬ワンアンドオンリー、皐月賞にて

イスラボニータと接戦を演じたトゥザワールドなどに集中していた。

そんな中でもトーホウジャッカルは夏の上がり馬として人気を集め、金曜日の前売りの段階ではなんと単勝に総計200万という大量の入金があり、一時は1番人気となっていた程だった。

最終的には3番人気に落ち着くが、それでも最終オッズは単勝6.9倍とかなりの期待を受けていた。

本番ではサングラスが逃げる中で5番手をキープ。そのまま崩れること無く好走を続ける。

4コーナーでサングラスが失速すると、やや外からスパートを掛ける。そのまま先頭に立ち、追ってくるサウンズオブアースとの直線勝負を制し、見事に一着。

勝ち時計は3分1秒0。この記録はソングオブウィンドの菊花賞レコードを1秒7更新し、ナリタトップロードの芝3000mのワールドレコードを1秒5更新する大記録であり、この記事が執筆された時点では未だに破られていない。

また、クラシック追加登録からの菊花賞勝利はヒシミラクル以来の2例目、デビューから149日でのG1勝利はオウケンブルースリが記録した最短記録を35日上回る大記録となった。


野犴の夢のあと

だが、菊花賞を走り抜けたトーホウジャッカルの身体はボロボロで、出走予定の段階で怪我や体調不良での回避が増えていった。

阪神大賞典天皇賞(春)を回避し、なんとか出走まで漕ぎ着けた翌年の宝塚記念ではゲートで若干落ち着かず、隣で大きく立ち上がったゴールドシップに驚いて若干出遅れるが、中団前側を追走し、最後の直線でじわじわと足を延ばすが競り負けて4着。なおゴールドシップが立ち上がった理由も、隣のトーホウジャッカルがうるさかったためではないかと言われているが、本当にそうなのかはゴルシに訊かなければ分からない。

続く札幌記念では好位置につけるものの、直線で伸びを欠いて8着。

その後は天皇賞(秋)を視野に入れていたが、球節に疲れが見えたため回避し、年内は全休。

翌年の阪神大賞典から再始動し、ミルコ・デムーロ騎手を鞍上に出走するが、休養明けの影響か直線で伸びず8着。次走は再び酒井騎手で天皇賞(春)へと挑んで5着と久々の掲示板入りを果たしたが、続く宝塚記念では11着、金鯱賞では15着と大惨敗。

以後は1月の日経新春杯を視野に調整を行っていたが、前脚に屈腱炎を発症し、これ以上は無理だと判断され現役を引退した。


夢の続きへ

引退後はアロースタッドにて種牡馬入り。

生涯成績は未勝利、条件戦を除くと菊花賞の1勝のみ。

これだけ見れば種牡馬としては微妙と言われるだろうが、ダービー馬を相手にしての好走や、菊花賞の大勝利、精彩を欠いでもなお諦めなかった現役晩年の勝負根性などが評価されたのだろう。

初年度は11頭の牝馬に種付けし、9頭の仔が生まれた。

産駒は2020年からデビューを果たし、徐々に勝ち鞍を上げている。

スペシャルウィーク産駒の活躍馬は牝馬が多く、後継種牡馬と言えるのも他にはリーチザクラウンくらいであり、そのリーチザクラウンも2024年3月に亡くなったこともあり、サイアーラインを繋ぐ意味でも期待している人は多い。


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