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ハーツクライ

はーつくらい

2001年生まれの日本の競走馬・種牡馬(2001~2023)。主な勝ち鞍は2005年の有馬記念、2006年のドバイシーマクラシック(以上GⅠ)。日本国内において、無敗の三冠馬ディープインパクトを唯一破った競走馬として知られる。
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進化する王者、世界の主役。

ヒーロー列伝」No.62


心の叫び

ここまでの戦果に

納得などできるはずもない

幾重もの無念と未練が

心の奥底では渦巻いている


そのままでいいのか俺よ

境涯に歯向かえ俺よ


まずは秘策を練って

渾身の力で実行に移すのだ

あの絶対王者を打ち破り

己が運命を変えるのだ

名馬の肖像 2022年有馬記念


概要

生年月日2001年4月15日
英字表記Heart's Cry
性別
毛色鹿毛
サンデーサイレンス
アイリッシュダンス
母の父トニービン
競走成績19戦5勝
獲得賞金9億2536万900円
管理調教師橋口弘次郎
厩務員山本国雄

デビュー前

2001年4月15日社台ファームにて誕生。父は言わずと知れた大種牡馬サンデーサイレンス。母アイリッシュダンス1995年新潟記念を勝つなど重賞2勝を勝った名牝で、その母の名からダンス劇「リバーダンス」の一曲『The Heart's Cry(邦題:心の叫び)』から自身の名がつけられた。なお、母はハーツクライがGⅠを勝つより前に亡くなっている。


父が大種牡馬、母が重賞馬という良血であり、社台レースホースにて2002年に1口150万円×40口(募集価格6000万円)で募集された。

しかし、母父トニービンから脚の外向が遺伝していたため、そこまでの人気はなく、当時、社台レースホースでの一口馬主歴2年目で前年は実績不足で出資申込が全て撃沈していたとある一口馬主が募集締切後に出資申込をしても出資できるほどであった(彼は母馬の主戦騎手の柴田善臣騎手のファンであり、父SSかつ好きなアイリッシュダンスの産駒ということでハーツクライへの出資を希望していた)。


ハーツクライは栗東トレーニングセンターの橋口厩舎に入厩することになるが、入厩してきた時の印象について担当した鎌田調教助手は「当初はいわゆる“ゆるい”(足腰が弱い)体つきでした。細くて、イライラする面もある神経質な馬だった」と語っている。デビュー後もしばらくは、イレ込む気性は変わらず、馬房でつないでいても羽目板を蹴る、噛みつこうとするなど、常に神経を尖らせていたという。


現役時代

死のダービー《2004年》

2004年1月武豊を背にデビュー。

デビュー戦のパドックや返し馬では、脚の外向故の独特の歩き方や走行フォームを周囲の騎手から笑われていたが、レースでは1番人気、更に2着に1馬身1/4差をつけ、勝利を収める。

きさらぎ賞は3着も若葉Sでこの後も長く腐れ縁が続くことになる最初のライバルスズカマンボに勝利し、皐月賞への出走権を獲得した。


クラシック戦線では、皐月賞安藤勝己とコンビを組むがダイワメジャー(ダイワスカーレットの半兄)の14着に敗れる。

GⅡ京都新聞杯は勝利する(2着はまたもやスズカマンボ)が、横山典弘とコンビを組んだ日本ダービーは後方から追い込むもキングカメハメハのレコード勝ちに屈して2着。

俗に「死のダービー」と呼ばれたこの2004年の日本ダービーは、灼熱の中での異様なハイペースで進行(10着までがレコード超えという凄まじい結果だった)したためか、レース後故障馬が続出した(おまけにレース中にも最終直線で一頭が予後不良となった)。無事であってもスランプに突入する馬が多く、皐月賞馬ダイワメジャーも重い喉鳴症(通称喉鳴り)を患ったせいで大敗続きになり、とにかく出走馬が軒並み精鋭を欠くことになった。勝者のキングカメハメハも例外ではなく、神戸新聞杯後に故障引退している。

そしてハーツクライも長らくスランプに陥ることになる。

再び武豊とコンビを組んだ菊花賞デルタブルースの7着。

その後はジャパンカップは10着、横山に戻った有馬記念も9着(どちらもゼンノロブロイが勝利し、彼は秋古馬三冠達成)と、この三連戦は走るたびに馬体が減り続け精鋭を欠いていた。


オレはこういう運命なのか……《2005年》

古馬になった2005年は、大阪杯(当時はGⅡ)が2着、天皇賞(春)がスズカマンボの5着、宝塚記念スイープトウショウの2着と上位に健闘するも勝ちきれないレースが続く。

しかし宝塚記念後休養に入り、牧場から戻ってきたハーツクライの馬体には大きな変化が起きていた。「同じ馬とは思えない。ハーツクライが二頭いた」とは橋口弘次郎調教師の談。夏のバカンスの間に、今まで成長しきれなかった馬体にようやく必要な筋肉が付き、体つきが全く変わっていたのだ。また、神経質な気性もある程度、改善され、どっしりとした面も見せるようになった。

晩成の血が目覚めようとしていた。


そして迎えた秋。ハーツクライにとって、2つの大きな転機があった。

1つは当時短期免許で来日していたクリストフ・ルメール騎手とのコンビ結成である。当時のルメールは橋口厩舎をメインに調教に乗っており、その縁からであった。この出会いがハーツクライの運命を変えることになり、以後引退まで共に戦うことになる。

そんな中、ハーツクライを担当する鎌田調教助手や前述の一口馬主はこの秋、天皇賞かジャパンカップのどちらかを勝って欲しいと考えていた。その理由は無敗の三冠馬ディープインパクトの出現、そしてディープが有馬記念に出走予定だったためである。橋口師もまた僚馬が出走する菊花賞の前日には「ディープインパクトは別格。勝てるなんて言ったら、競馬を知らんアホと思われるから、控えめに書いてくれよ」と記者たちにお願いしていた。無敗三冠馬の出現、これが2つ目の転機である。


秋初戦の天皇賞(秋)。ルメールは馬主の社台レースホースの吉田照哉代表から「スタートが遅いので前半は後ろからになる」と言われるも、ハーツクライは好スタートを切った。今までは足腰の弱さから後方からの競馬をしていたのだが、今回初騎乗のルメールは「話と違う!」と内心ややキレ気味に驚いた。結果はヘヴンリーロマンスの6着、しかしこれはドスローからの瞬発力勝負というハーツクライに全く向かない展開。これだけで橋口師の期待は揺るがなかった。また、「それほどキレる脚を使う馬ではなく、むしろワンペースなタイプ」と感触を掴むと共にポテンシャルを感じたルメールは「馬を知っていたら勝てたのでは」という少しの後悔の念も抱いた。


そして次走のジャパンカップではスタートに失敗するも追い込んで英国馬アルカセットとハナ差…3cm差の2着。馬群を縫うようにしてとんでもない勢いで内から突っ込んでくる脚は目を見張るものがあり、タイムは何と2:22:1の驚異の世界レコード。しかし、それでも2着は2着。橋口師は「GIの2着はこれで何回目だ? オレはこういう運命なのか……」と記者たちを前に無念を口にした。また、ルメールは「スタートを決めてあと2、3馬身前で流れに乗れていれば、間違いなく勝っていた」と、自身初となる日本でのGI勝利をあと3cmで掴み損ねた後悔から2週間もの間、立ち直れなかったが、「でも落ち込んでいる場合ではない」「彼を勝たせるために自分がすべきこと、考えるべきことがあるんだ」と切り替え、有馬記念に向けて徹底的なディープインパクト対策を開始した。


『心の叫び』が届く日《有馬記念》

そして、この年が記念すべき50回目となった有馬記念では、ディープインパクトが圧倒的な1番人気となり、その強さを見ようと16万2409人が中山競馬場に押し寄せた。対抗馬としては前年覇者の秋古馬三冠馬ゼンノロブロイが2番人気に推されていた。その陰で、ハーツクライは4番人気。前述の一口馬主ですら「もうダメだろう」と諦めていた。

(一応、前走を見て「ディープインパクトに勝つ可能性があるとすればこの馬か」と評価する人もいるにはいたらしい。)

一方のルメールは記者会見で「ディープインパクトに勝てると思います」と作戦の一部を明かしたが、報道陣には「おお~」と、どよめかれると共に笑われた。


そしてレース本番。橋口師に「As you like!(君の好きなように乗れ)」と送り出されたルメールはスタートと共に手綱を押した。いつも通り逃げるタップダンスシチーと続くオースミハルカ。それに続く3番手は…


なんと、ハーツクライが3番手!

ハーツクライが3番手でレースを進めています!


そこには、これまでの後方待機策ではなく、うってかわって先行策を採るハーツクライの姿があった。

実況のフジテレビ三宅正治アナウンサーは驚き、観客からも「なんでハーツクライが2番手!?ハーツクライが3番手!?」と困惑する声があがり、作戦をルメールから知らされていなかった鎌田調教助手は心配そうに見守る。


これは「直線の短い中山であれば、道中ディープに10馬身差を付けていれば粘り切れる」というルメールが研究を重ねた末に編み出した作戦である。ルメールはディープのレースと過去20年の有馬記念の映像を見直し、ディープは確かに強力な馬であるが、追い込み一辺倒であり付け入る隙がないわけではないこと、トリッキーな中山競馬場は先行有利であることに気付く。親交の深いペリエシンボリクリスエスで2003年に有馬記念を連覇した際に「中山は直線が短いからタップダンスシチーにあまり離されないように気をつけた」と言っていたことも思い出した。

また、別のアプローチから橋口師も同様の結論に至っていた。菊花賞では白旗を揚げていた彼だったが、ハーツクライの成長、ジャパンCの内容、そして菊花賞でディープが折り合いに苦しむ様子を目にしたこと等から、もし小回りの中山競馬場で相手が折り合いをつけるのに汲々となれば、付け入る隙も生まれるはずであり、「絶対にかなわない相手ではない」との結論に達した。

いずれにしても確かなのは、「これまでと同じ戦法では勝てない」ということである。ディープと同じ追い込みでディープを凌駕することは不可能。勝機は「一定のリードを相手につけて最後の直線に向く形」以外にない。そして馬体だけでなく精神的にも成長していた今のハーツクライはその戦法を可能としていた。


「まさかあんな位置にいるとは・・・」

ただし、記者会見でのルメールの発言から、ある程度、前につけることは織り込み済みだったが、3番手までつけたのは橋口師にとっても予想外であった。前に2頭しかいないことに最初はハーツクライも驚いた様子であったが、「『いつもは最後に十何頭、かわさなければならないのに、今日はこれだけでいいんだ』と、先行しているのが嬉しそうで自信に満ち溢れた走りをしていた」とルメールが語っているように、不慣れな先行策にもかかわらず、いいリズムでレースを進めていく。


そして4コーナー、ディープインパクトが先行集団の真後ろに迫る。スタンドからはディープへの大歓声が湧き、それを聞いたルメールも無敗の三冠馬が背後に迫っていることを感じ取った。しかし、ルメールはディープが外から追いあげる、この瞬間を待っていた。ここしかないというタイミングでハーツクライにゴーサインを送り、先頭に立つ。

上がり最速の末脚で後方から猛追してくるディープインパクト。その姿を見た橋口師は「終わったな」「また2着か」と諦めかけた。しかし、ハーツクライもまた必死に追うルメールに応え最後の力で上がり3位の豪脚を発揮する。その末脚で他馬をねじ伏せてきたディープだったが、これまでと異なり、前を走るハーツクライとの差を詰めることができない。ラスト100m。一度は諦めかけるも、踏ん張る愛馬の姿を見た橋口師は普段は出さない声を出し、必死に応援していた。そして……


なんと、ハーツクライだーーっ!!

ディープインパクト敗れる!!

ディープインパクト敗れる!!

勝ったのはハーツクライ!悲願のGⅠ初制覇ぁ!!


結果はハーツクライがディープインパクトを半馬身差、凌ぎ切り、勝利。無敗の三冠馬が無冠の伏兵に初めて土をつけられるというまさかの大番狂わせ。

中山競馬場は一瞬の静寂の後、悲鳴が上がり、不気味などよめきに包まれるという異様なムードとなった。中には泣き出す子供もいるほどであった。


「エキセレント、やっと日本のGIに勝った」

ルメールは高々と左腕を突き上げた。これが日本の重賞初勝利、かつ最初の八大競走制覇でもあった。なお、勝利後、ルメールは今後、出走するレースの候補として「とあるレース」の名前を口にしていた。

また、ゼンノロブロイやタップダンスシチーらも破り世代交代もアピールし、ハーツクライは年間のGI戦線の活躍と、この有馬記念勝利が評価され、同年のJRA賞最優秀4歳以上牡馬のタイトルを獲得した。


予想外の逆転劇に、ディープインパクトブーム真っ只中だった当時の人々は驚愕したのであった。フジテレビのテレビ番組ではお笑い芸人が「やり直せ!」と言う一幕もあった。この時点では「上手く出し抜いただけの作戦勝ちだろう」とフロック視する意見もあったが、ルメールの作戦を実行できたのは豪脚自慢の本馬だからこそであり、ルメールもまた「ディープインパクトを負かせたのはたまたまではないし、ハーツクライに負けたのも恥じるべきことではない」と、王者と王者がぶつかりあい、“パーフェクト”にレースを運んだほうが勝ったのがあの有馬記念であったと語っている。

また、橋口師は後年、「ハーツクライで国内唯一の黒星をつけたことは、今でも私の誇り」と振り返っている。勝ち切れない中、遂に心の叫びを冬空に届かせたハーツクライの姿から諦めない心を教わったファンもいた。


ウイナーズサークルで2回会おう《ドバイ》

有馬記念後、ディープインパクトを破ったことでハーツクライならば世界に通用すると考えた橋口師は社台RHとの協議で海外遠征のプランを明らかにした。橋口師は開業(1982年)前の海外研修で凱旋門賞を観戦した頃から「日本を代表する馬が橋口厩舎に出現したら、海外に連れていきたい」という思いを抱いていた。


 初戦に選んだのはドバイシーマクラシック。初の海外遠征であったが、帯同馬として隣の馬房のGI4勝馬ユートピアも遠征したため、ハーツクライは何の不安もなかったという。実はユートピアは2003年のUAEダービーに招待されていたが、イラク戦争開戦により無念の出走辞退となった過去があり、今回、橋口厩舎念願のドバイ遠征が実現することになった。ドバイでの取材で東スポの松浪記者との別れ際に橋口師は「キミと次に会うのはレースのときやな」と声をかけ、松浪記者は「次は(ドバイシーマクラシックの後に)ウイナーズサークルで会いましょう」と返したが、橋口師は「そうだな。2回会おう!」と宣言した逸話からも分かるように、ハーツクライもまたユートピアにとっての帯同馬であり、橋口厩舎は2頭の勝利を目指していた。


そして迎えた競馬の祭典ドバイワールドカップデー。日本からはハーツクライとユートピアの他に砂のディープインパクトことカネヒキリ、同期の香港マイル勝者ハットトリック、安田記念勝者アサクサデンエン等、総勢9頭で参戦。


日本勢の初戦となるドバイWCデー第2レースGIIゴドルフィンマイル。日本の先鋒はユートピア。レースでは2着に4馬身差の圧勝で日本の初戦を勝利で飾るとともに、日本馬初の海外ダート重賞制覇という快挙を達成した。

第3RUAEダービー、第4Rドバイゴールデンシャヒーンは日本勢にとって苦い敗北が続いた。次のレースはハーツクライが出走する第5Rドバイシーマクラシック

世界からは2004年・2006年欧州年度代表馬ウィジャボード、更にアイリッシュセントレジャー勝ち馬で後に香港ヴァーズ等GI2勝するコリアーヒル、当時GI4勝(最終的にGI5勝)のアレクサンダーゴールドランらが出走。

 遂に戦いの火蓋が切られたが、ルメールとハーツクライが採った策は有馬記念と同じく先行……ではなく、なんと逃げ

これは先行争いに加わったところ、第1コーナーで内にいたマイケル・キネーン騎手が逃げたくなさそうな様子だったため、「どの位置でも競馬はできる」という思いで臨んでいたルメールが迷わずハナへ行くことを選んだことによるもの。

また、ちょっとワンペースなところのあるハーツクライの特性も考えて選んだものでもある。(橋口師はまたもや驚いていたが)


コース内側を走る撮影用車両を見ながら走る鞍下の様子を見たルメールはハーツクライがリラックスしていることを確認。道中、終始、他馬に先頭を譲ることなく逃げてみせた。先頭のまま3コーナーから4コーナーを回り、直線へ向いた時にもまだルメールの手は動かない。

いよいよゴールが近付き、すぐ後ろにコリアーヒルが迫る。その蹄音を聞いて、遂にルメールはゴーサインを出した。すると…

ハーツクライは止まっていない。いや、止まるどころか加速している。


ハーツクライ先頭だ!

コリアーヒル2番手!3番手フォルスタッフ!

そしてその後ウィジャボードは離れた4番手だ!


またリードを広げた!ハーツクライ!

行くぞハーツクライ!!!

4馬身5馬身とリードを広げる!

2番手争いはコリアーヒルか!?フォルスタッフか!?


しかし関係ない!!!


ハーツクライ逃げ切ってゴールイン!

ハーツクライやった!

ハーツクライ!

日本のハーツクライ!!

逃げ切りました!手が上がったルメール騎手!

世界を相手にハーツクライやりました!!


最後は2着コリアーヒルをノーステッキで4馬身1/4突き放し、追い込み馬であったとは思えない独走でゴールを駆け抜けた。3着はフォルスタッフ、そして、遥か後方の4着にはウィジャボード。かくしてウイナーズサークルで2回会うという橋口師と松浪記者の約束は果たされることになった。


この圧勝には「どうせダイユウサクみたいな一発屋だろう」と思っていた日本の競馬ファンも度肝を抜かれた。

また、有馬記念の際には半ばヒール扱いされたハーツクライが日本のハーツクライになった瞬間とも言えよう。


出会いと別れ

ハーツクライの圧勝に終わったドバイシーマクラシック。一口馬主たちは海外での口取り式に興奮し、橋口師は後にハーツクライの1番の思い出のレースとしてこのレースを挙げ、「2着に4馬身4分の1差をつけて圧勝するなんて想像もしておらず、本当に感動しました」と語るなど、関係者を歓喜の渦に包んでいた。そんな橋口師は勝利インタビューで上機嫌に有馬記念でルメールが口にしたレースを次走として宣言した。

「ベリーハッピーです。次はキングジョージへ行きたいです!!」

そう「とあるレース」とは、欧州上半期におけるクラシックディスタンス最強決定戦である英GIキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスのことである。


 取材を終えた橋口師は松浪記者と2人で残るレースを観戦していた。

第6Rドバイデューティーフリーはハットトリックらが出走するも残念ながら12着が日本の最高着順。このレースの日本の初制覇は翌年を待つことになる。

最終Rドバイワールドカップ。松浪記者は「あの馬が1番人気ですよ」とパドックの鹿毛馬を示したが、橋口師は「あんな鹿みたいな馬がダートを走れるのか?お世辞なしでカネヒキリが一番に見えるけどな」と評価。しかし、この「鹿」にカネヒキリは一蹴されてしまう。「世界は広いな」と評価を改めた橋口師であったが、この馬こそ前年の英GIインターナショナルステークスでゼンノロブロイを阻み、そしてこの4か月後の次走・キングジョージで、ハーツクライと対決するエレクトロキューショニストであった。


また、ゴドルフィンマイルでの圧勝劇と血統が評価され、凱旋帰国後の5月2日、ユートピアは移籍金400万ドルでドバイワールドカップデー主催者側であるゴドルフィンへのトレードが決定した。現役GI馬の海外移籍はシーキングザパールに続き2頭目である。そして5月30日、相棒のユートピアは日本から旅立って行った。


We'll never forget《KGVI & QES》

橋口師は半ばリップサービスで発言したと後に明かしているが、宣言通り、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスに出走することとなった。滞在先には吉田照哉代表が現地で走らせている馬を預けていたという理由でルカ・クマーニ厩舎が選ばれたが、これが偶然にもジャパンカップでハーツクライを破ったアルカセットが所属していた厩舎であり、橋口師は「不思議な縁だ」と感じたという。「昨日の敵は今日の友となるのも競馬の面白いところである」とも新聞では語られている。


ユートピアがいた以前と異なり、ハーツクライは単身でイギリス渡航することになったが、輸送中はよほど寂しくて不安だったのか、水さえ飲まなかった。到着後も馬房の飼葉桶を蹴り壊すなど荒れており、クマーニ師を「飼葉桶を壊したのは初めてみた」と驚かせた。

馬体重も減らしてしまったが、環境に慣れると馬体も良くなっていった。調教時はクマー二厩舎から帯同馬を付けてもらっていたが、それも不要と思えるくらい堂々としていたという。なお、その帯同馬をハーツクライは最終的に子分のようにしていた。満足のいく調整はできなかったものの、長所である“度胸”が出て、本来の姿に戻っていった。


KGVI & QESの1番人気は前年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング1位の凱旋門賞馬・クールモアのハリケーンラン、2番人気はハーツクライ、3番人気は前述のドバイワールドカップ馬・ゴドルフィンのエレクトロキューショニスト。ほぼ差のない人気になっており、三強による決戦であるという見方がされていた。

起伏が激しく、ボコボコで馬場も良くないアスコット競馬場は綺麗な馬場に慣れている日本馬には全く向いていない。とにかくスタミナとパワーを要求される競馬場で、ハーツクライは世界最強を相手に互角以上に走ってみせた。一旦は先頭に立ったが、ハリケーンランとエレクトロキューショニストにゴール寸前で差し返され6頭立ての3着に敗れた。

しかしこの熾烈な戦いぶりはヨーロッパの競馬ファンにも絶賛され、レース帰りにはファンから温かい拍手で迎えられ、橋口師は「来年も来よう」という思いを抱いた。翌日のレーシングポスト紙に“The race we'll never forget”(決して忘れられないレース)と大きな見出しが躍った。こうして、ハーツクライの走りは素晴らしいものとして世界に称えられることになった。


満足のいく調整ができなかったことに加えて、この時、後に引退の原因ともなる喉鳴りの兆候が出始めていたという。それなのに休み明けにアウェーであれだけの走りをしてみせたハーツクライが、いかに常識外れの化け物であったか。だからこそ、今でもファンは万全であったらどうだったのかを考えてしまう。ロンシャンはともかく、アスコット競馬場では未だにハーツクライ以外の日本馬は勝負に加わることすら出来ていない。


王者、帰還。しかし…

そしてこの年国内での初競走となったジャパンカップに挑んだハーツクライ。ディープインパクトとの再戦として話題になったのだが、2番人気に推されながら11頭立ての10着に大敗してしまった。

レース前、橋口調教師は「馬券を買ってくれるファンのため」と言って前述の喉鳴りを公表していたが、それでもファンはハーツを二番人気に推した。しかし喉鳴りの影響は大きく、ハーツの呼吸と走りはもはや本来のものでは無くなっていた。「息遣いがハーツじゃなかった。可哀相なことをしてしまった」と述べた橋口師はその場で引退を宣言。ディープインパクトはレースに勝利していたが、ハーツクライがこんな状態であったため、結局二頭が全力で対決できたのはあの有馬記念だけとなってしまった。

なお、イギリスで戦ったハリケーンランも同じ頃急に精彩を欠き引退、エレクトロキューショニストに至っては9月に心臓発作で急死という悲劇に見舞われた。あのキングジョージはハーツクライにとっても死の日本ダービー以来、第二の死のレースだったのかもしれない


こうして引退したハーツクライは2007年より種牡馬となることが発表された。一方、ディープインパクトは2006年の有馬記念を勝利して引退したため、結局国内でディープインパクトに勝てた馬はハーツクライだけとなった。

ハーツクライの引退パーティーでは「馬主になって子供を買うしかない!」と宣言する一口馬主の姿も…


そしてこの2頭のドラマは、その子供たちに受け継がれていく…


種牡馬時代

活躍

引退前、同じサンデー×トニービン血統のアドマイヤベガは種牡馬として成功を収めていたが、ハーツクライの引退時には既に8歳という若さで早逝していたため、血統的に近いハーツクライはそのポジションを引き継ぐ形で人気を博した。

橋口師の後輩の須貝師が管理し、前述の一口馬主が馬主を務めるジャスタウェイが秋天制覇・親子ドバイGI制覇を成し遂げ、ワールドベストレースホースランキング1位に輝くなど、彼の大活躍を皮切りに、ヌーヴォレコルトがオークス制覇、更に橋口師が管理するワンアンドオンリーが父の勝てなかったダービーを制覇。その翌週もジャスタウェイが安田記念を勝利し、産駒による3週連続GI制覇を成し遂げている。

この3レースを同一年に産駒が勝利するのは、史上初の快挙であり、サンデーサイレンス・ブライアンズタイム・トニービンの3強種牡馬の産駒でも、達成する事が出来なかった大偉業・大記録である。


その後もシュヴァルグランスワーヴリチャードリスグラシューと言ったGⅠ勝利馬を輩出し、2013年から8年連続でベスト5にランクインしている。種牡馬引退後の2022年にはドウデュースが日本ダービーを制し、これで産駒から2頭のダービー馬が生まれることとなった(ドウデュースはレコード更新もしており、父が2着だったために叶わなかった「ダービー制覇の上でのレコード更新」を成し遂げている)。

一方でダートで活躍する産駒はアメリカのダートGⅠを勝利したヨシダくらいであまり出なかったが、これも種牡馬引退後の2022年にノットゥルノジャパンダートダービー(JDD)を制覇。産駒の中でも数少ないダートGⅠ馬(JDDは正確にはGⅠと互換性がある国内独自格付けのJpn1競走だが)となった。

また、欧州でも2023年に内国産・愛国調教のコンティニュアスが日本でいう菊花賞に相当する長距離クラシックG1・セントレジャーステークスを勝利。これにより、サンデーサイレンス直系産駒が英国クラシックを全て勝利した事となった。


産駒の特徴

活躍した産駒はよくも悪くも父親に似た晩成型(母の父トニービンの影響もあると言われる)が多く、善戦止まりの勝ちきれない日々が続いたかと思えばジャスタウェイのごとく突如覚醒し、時の最強クラスの馬相手に大金星を上げることもある(東スポ曰く『ハーツクライ産駒特有の"ゾーン"に入った』)。リスグラシュー、ジャスタウェイの覚醒の仕方は本当にえげつないので、ぜひレースで確認してみてほしい。最高到達点、という意味ではどんな種牡馬も適わないのが種牡馬としてのハーツクライのロマンであり、同時に強さでもある。

晩成覚醒型の産駒が強烈だが、ワンアンドオンリーやウインバリアシオン、サリオスのようにクラシックで活躍(バリアシオンは相手が悪かったが)した産駒もいる。

母父としてもエフフォーリア21世代の代表格として活躍している。


ちなみに、ジェンティルドンナを倒したジャスタウェイ、アーモンドアイを倒したリスグラシュー、孫にはコントレイルを倒したエフフォーリアなど、ハーツクライ自身も合わせて三冠馬キラーの血筋として有名(もっともコントレイルはハーツクライ直仔のサリオスには完勝しているが)。他にはギュスターヴクライもオルフェーヴルに勝っている……相手が盛大にやらかしたレースだったが。


またジャスタウェイがGI初制覇でジェンティルドンナを破ったり、ディープインパクトメモリアルの副題が付けられた2019年ジャパンカップをスワーヴリチャードが制したり(2〜4着がディープ産駒)と、ディープインパクトの血筋とは因縁めいたことも起きている。

その他にはジャスタウェイがドバイにてウェルキンゲトリクスを破り、親子で無敗馬に初めて土をつけるといったようなことも。


JRAは種牡馬ハーツクライについて『逆転のDNA』と表現している。


2021年、歩行にフラつきが見られたため休養に入り、6月に種牡馬引退が発表された。

休養に伴い種付けを控えていたことから、2021年春生まれの当歳馬がラストクロップとなった。


後継種牡馬としては、産駒の中でも最強クラスだったジャスタウェイが期待されていたが、社台スタリオンステーションからブリーダーズ・スタリオン・ステーションへ移動になったため、現在はスワーヴリチャードに期待が集まっている。

またアメリカで活躍した産駒のヨシダが種牡馬入りし、現地では「サンデーサイレンスの血統がアメリカへ帰って来た」として期待されている。


余談

馬の基準だと相当なイケメンらしく、「すれ違った牝馬が振り向く」「牝馬が必死になってハーツクライの馬房を覗こうとする」などのエピソードがある。ルメール騎手からも「ハンサム」と評されている通り、人間から見ても二重の綺麗な瞳はキリっとしていて、流星も美しく、小顔で高身長(高体高)で脚が長いというモデル体型であり、競馬史の中でも相当ハイレベルなグッドルッキングホースである。イギリス遠征でも外国のご婦人からは「Very beautiful!」と評されていた。ぜひ画像検索でそのイケメンぶりを確認してほしい。

加えて度胸があり種付け自体も非常に上手いため、気性の荒い牝馬への種付け役としても重宝された模様。本人?もまた種付けには意欲的であり、その辺が普通の息子ジャスタウェイと比較して、ハーツクライは「情熱的というか、牝馬に対して“オスだぞ!”という雰囲気で行く」と社台SSからは語られている。種付けの様子を見学した一口馬主は「ムッチャ堂々とした種付けでした」「すごいモノを見せていただきました」と感想を残している。


種牡馬引退後

種牡馬引退後は、功労馬として社台SSにて悠々自適の生活を送っていた。2019年に相次いで先に旅立った戦友・キングカメハメハ、ディープインパクトの分まで長生きすることを多くの競馬ファンから期待されていた。


しかし2023年3月9日、起立不能のため社台SSで死亡したことが、翌10日にJRAより発表された。22歳没。

生産した社台ファーム代表の吉田照哉氏は、社台SSの担当者から「最期の最期まで気高く、弱みを見せずに旅立った」と聞いたとした上で、競走馬・種牡馬双方でのハーツクライの功績に触れ、「ハーツクライ、心の叫びという馬名も威圧的な雰囲気と相まって、とてもしっくり来るものでした。勝ったレース、負けたレースも含めていろいろな景色を見せてくれました。感謝しています。どうか安らかに眠ってほしいと思います。」追悼のコメントを発表した。


なお、ルメールはハーツの後も国内外で活躍を続け、2015年にJRAの通年騎乗免許を取得。同じく免許を取得したミルコ・デムーロと共に、JRA初の外国人騎手として新たなスタートを切った。現在も全国リーディング争いの常連となるトップジョッキーとして活躍を続けている。

ハーツクライが死去した同月のドバイシーマクラシックには自身が主戦を務めるイクイノックスと共に出走。それまで豪脚による差し切りを武器としていた同馬を打って変わってハーツを思わせる逃げ戦法で走らせ、2着のウエストオーバーに3馬身半差つけてレース・コース双方のレコードを更新するという圧勝劇を演出し、天に駆けていった相棒に勝利を捧げた。


最後に、ハーツ死去の報を受けて自身のTwitterを更新したルメールのコメントで締めさせていただく。なお原文はこちらのツイート、訳はこちらの記事による。

「Very sad to hear the passing of my champ. It all started with him for me in Japan. Big thoughts to Teruya Yoshida and Shadai Farm staff. (私のチャンピオンの訃報を聞いて、とても悲しい。彼とともに日本での私の全てが始まった。吉田照哉さん、社台ファームのみなさま、本当におつかれさまでした。)」

「Legends never die. (伝説は決して死なない)」


エピソード

幸運の青いネクタイ

橋口師は、ハーツクライが勝った有馬記念で身につけていた青いネクタイをそれ以降、GIレースに臨む際には身につけるようになった。元々、開業前にフランスで凱旋門賞を観戦した際にGIレース用に買ったもの。ドバイシーマクラシックでもキングジョージでも身につけていたが、その後は勝つ機会が少なく一時期、着用をやめていたが、ワンアンドオンリーのダービーの際には「一緒に応援しよう」という思いで締めて行き、見事、勝利をもぎ取っている。


社台SS最凶!?

父サンデーサイレンス・母父トニービン仲間が猛獣だの、女王様だの、言われているようにハーツクライもまた気性は荒い。

複数の見学者が社台スタリオンステーションのスタッフから「社台SSで一番怖い馬」(2010年)「社台SSにいるどの種牡馬よりも気性が荒い」(2012年)「一番性格がキツイ」(2015年)等と聞いている。

明確にソースが確認できる気性に関する逸話としては

以下は見学者の見聞だが

等が伝わっている。

一方、上記のプライベートとは裏腹に、レースに関して、「真面目な馬」とルメールから評されているほか、中山馬主協会の記事では「人間とのコミニュケーションを理解する賢さが備わっている」と評されている。


関連イラスト

メリークリスマス!


関連タグ

ライバル

スズカマンボ

キングカメハメハ

ディープインパクト


お隣さん

ユートピア


関係者

橋口弘次郎:管理調教師。ハーツクライ産駒ワンアンドオンリーで念願のダービーを制覇。

クリストフ・ルメール:主戦騎手。ハーツクライを「日本で最初にできた恋人」と表現している。

大和屋暁:脚本家。記事に出てくるハーツクライの一口馬主とは彼のことである。後に産駒ジャスタウェイの個人馬主となる。

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