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ルネサンス時代に活躍した、イタリアの名門貴族。

概要

概要

イタリアフィレンツェを拠点にしていた商家であり、後の大貴族。

少なくとも13世紀頃にはその名前が確認されているが、それ以前の経歴については不明。かつてのメディチ家の家紋が蔦を模していたことから、フィレンツェのムジェッロの農家を母体にしているという説がある。


ルネサンスの保護者として有名。

メディチ銀行の最大の顧客はローマ支店が窓口となったローマ教皇庁で、教皇庁からの収益は1435年までの銀行の年収益の50%を常に超え、1397~1420までの純利益は7万9千フィオリーノ(1フィオリーノ≒12万。つまり9億4800万)にのぼる。パトロンとしてブルネレスキ等を保護した。今日でもメディチ家が保護した芸術品は、フィレンツェで見ることができる。


後にトスカーナ大公国の君主として即位。フランス王妃や教皇を輩出するという実績を重ねた一方、大航海時代宗教改革によりその地位に蔭りが見え始める。やがてメディチ家の最後の大公が子孫を遺さずに逝去したため、トスカーナ大公国はハプスブルク家の支配下におかれることになった。


尚、遠縁のメディチ・ディ・オッタイアーノ家が王位を請求しているが、厳しい状態が続いてる。



メディチ家の人々

メディチ家の人々

大商人一族メディチ家の事実上の始祖

若くして叔父のヴィエーリの元で銀行家として働き、その頭角を表す。

ヴィエーリの死後は銀行をフィレンツェに異動させ、後のメディチ銀行として発展、ローマヴィネツィアに支店を広げる。

当時は教会大分裂の最中だったが、枢機卿バルダサーレ・コッサをヨハネス23世として即位させ、ローマ教皇庁の財務管理者になり上がった。

フィレンツェの「正義の旗手」(内閣総理大臣のようなポジション)を務めたり、外務大臣を担当する等メディチ家の社会的立場を向上させるが、本人はあくまで「一市民」の態度を崩さなかった。

妻はピッカルダ・プエリ。器量よしで知られ、彼女もまたメディチ家を支え続けた。


メディチ家を発展させた張本人。通称「コジモ・イル・ヴェッキオ」(老コジモ)。

銀行家としても政治家としても優秀だったが、競合のアルヴィッツィ家の策略によりフィレンツェを追放される憂目に遭う。

後にアルヴィッツィ家が失脚したためフィレンツェへ帰還、選挙制度を変更する等でフィレンツェの影の支配者として活躍した。

メディチ家がパトロンとして活躍し始めたのもこの頃で、プラトンに心酔していた。

死後、祖国の父の称号を贈られる。

妻はイタリアの名家の娘コンテッシーナ・デ・バルディ


⋯通称ロレンツォ・イル・マニーフィコ(偉大なるロレンツォ)

父はピエロ・イル・ゴットーゾ(痛風病みのピエロ)。幼少期からピエロの教育により指導者として研鑽を積み、弱冠20歳で事実上のフィレンツェ国家長に(※当時のフィレンツェは民主政なので本来は世襲はできない。しかし既にメディチ派は市政の要職を独占していたのでその後見で権力を握ることができた)。

しかし、パッツィ家の陰謀により襲撃され難を逃れたものの、弟ジュリアーノは殺害されてしまう。パッツィ家関係者らを容赦なく処刑した。これに激怒した当時のローマ教皇シクストゥス4世とナポリ王国をすぐれた外交手腕で屈服させ、かえって権力を強めることに成功した。

パトロンとしても優秀で、ボッティチェリは勿論ミケランジェロが見出された。ミケランジェロらは自宅で面倒を見ていたが、既にメディチ銀行は傾いており、ほぼタダ働き同然だったとか。

その代わり彼が見出した美術家たちはイタリアの各地に派遣され、イタリア全土に美術を広めた。

ちなみに父同様痛風に苦しんでいた。

妻はローマの名門一家の娘クラリーチェ・オルシーニ。夫婦仲は悪かったが、7人の子供に恵まれた。


上述のロレンツォの次男。本名はジョヴァンニ。

ロレンツォとインノケンティウス8世の庇護により、僅か16歳で枢機卿に就任。ユリウス2世の死後は当時最年少で教皇に就任する。

表向きは平和主義者だったが、フランス神聖ローマ帝国の中立を図った。

パトロンとしてはミケランジェロの他ラファエロを支持していた。特にラファエロを贔屓にしており、バチカン宮殿の壁画を描かせたりしている。一方ミケランジェロとは仲が悪かった。

サン・ピエトロ大聖堂の建立に着手していたが、工事費を工面するために免罪符の販売を許可し、宗教改革のきっかけを作ってしまった。また浪費家であり、ローマ教皇庁は未曽有の財政破綻に陥ってしまう。45歳で急逝した際はその怨恨による毒殺説も囁かれたが、元々体が弱かったのが原因とされる。


パッツィ家の陰謀で殺害されたジュリアーノの遺児(ロレンツォの甥。レオ10世の従弟)。本名はジュリオ。

レオ10世の元で枢機卿に就任、死後は宗教改革とイタリア戦争の最中という非常に不安定な中教皇に就任。神聖ローマ帝国軍に侵攻され逃亡するが、後にイタリアを混乱に貶めたと非難された(そもそも当時はヨーロッパ中が不安定であり、クレメンス7世が何かしたところでどうすることもできなかった)。後に神聖ローマ帝国の皇帝だったカール5世とは和解し、トスカーナ大公国へ発展する。

トマス・クランマー(後のカンタベリー大司教)とヘンリー8世を破門したことでも知られる。

パトロンとしてはマキャヴェリに「フィレンツェ史」の執筆を依頼したり、コペルニクスの天文学研究を支援した。

密かに作っていた愛人との間に庶子のアレッサンドロがいた。後述の黒隊長ジョヴァンニの弟であるロレンツィーノに暗殺されてしまう。


痛風病みのピエロの弟の一族(傍系)の出身。

幼少期に両親を亡くしたため、レオ10世の元で教皇軍として訓練を積む。その実力は「ルネサンス最後の傭兵隊長」と称されるほど。

彼の通称は、レオ10世の哀悼のために付け加えた記章の黒い帯に由来する。彼の部隊は全員黒いリボンや槍旗を付けていた。

イタリア戦争の最中、右足に砲弾が直撃し、敗血症により戦死。

妻はロレンツォの孫娘であるマリア・サルヴィアティ。近年遺骨鑑定により、梅毒で亡くなったことが明らかになった。つまり...。


初代トスカーナ大公

前述のアレッサンドロが暗殺されたために、僅か18歳にして家督を継ぐ。

神聖ローマ帝国の支援の元中央集権化を進め、更にイタリア戦争でシエーナ(現在のトスカーナ州の都市の一つ)を獲得、トスカーナ大公国が成立した。海軍が創設されたのもこの頃だが、一方で事実上の神聖ローマ帝国の支配下にあったため、独立したとは言い難い状態が続く。

都市改革事業に熱心であり、ウフツィ美術館などを建設した。ヴァザーリやブロンズィーノといった画家を宮廷画家として迎えており、文化も栄えた。

一方で家族を相次いでマラリアで亡くして以降、スキャンダルに塗れることになる。晩年は下半身不随に苦しんでいた。


アンリ2世の妻

ロレンツォの曾孫にあたるが、幼少期の立場は低く、幼少期に両親を相次いで亡くし、親戚中を盥回しにされる。当時オルレアン公だったアンリから縁談を齎されるも、夫婦仲は悪かった。しかし10人の子供に恵まれ、内3人が国王に就任した。アンリ2世の死後は摂政として活躍し、フランスの影の支配者と揶揄されるようになる。

ところがユグノー派とカトリックの対立に対し融和政策を図ったが失敗、悪女として名を遺してしまった。

パトロン活動も行っていたが、間もなくブルボン朝が開かれたため何も遺らなかったという。


アンリ4世の妻であり、ルイ13世の母

コジモ1世の孫娘にあたる。夫婦仲は悪く、彼女も散財して気を紛らわすが、息子(後のルイ13世)を出産してからは立場が一変。アンリ4世の寵愛を一気に受けることになる。...が、カトリック信者に暗殺されてしまう。

僅か9歳で即位したルイ13世の摂政として政治を担う。ところがカトリックへの庇護やハプスブルク家に娘たちを嫁がせる等、次第にルイ13世や貴族たちの反感を買う。ルイ13世の庇護を受けたリシュリュー枢機卿の台頭により最終的に亡命し、ドイツケルンで没した。


第3代トスカーナ大公

元々は枢機卿だったが、先代だった兄フランチェスコ1世夫妻(上述したマリーの両親)が死亡したため、家督を継ぐ。

政治的手腕に長け、農地の開墾や産業振興を推し進め、リヴォルノ(トスカーナの港町)の関税を撤廃して自由貿易を促進し、スペインからの独立を図った。姪のマリーをブルボン家に嫁がせ、フランスとの結びつきを強め、遠縁のアレッサンドロをレオ11世としてローマ教皇に選出させた。フェルディナンド1世の妻クリスティーナもフランス王家の出身(アンリ2世の孫娘)である。

トスカーナ大公国の経済を活性化させ、人口も7万人に伸し上げる優秀な政治家だったが、60歳で病没した。彼の死後、トスカーナ大公国は衰退することになる

長らくフランチェスコ夫妻に砒素を飲ませて暗殺させたという説が罷り通っていたが、後に死因がマラリアと判明したため、公式に否定された。



登場作品

登場作品

漫画


小説

  • モンテ・クリスト伯: 作中に登場する「スパダ家」のモデルがメディチ家とされている。但し当時のフィレンツェに同名の一族がいたため、疑問が呈されている。

ゲーム

  • アサシンクリード2:ルネサンス期イタリアが舞台のゲーム。公式サイトにメディチ家の解説ページがある「アサシンで学ぶルネサンス(外部リンク)」。ゲーム中にロレンツォやジュリアーノなどが登場する。特にロレンツィオは、幼少期に主人公の父・ジョヴァンニ・アウディトーレに命を救われて以来アウディトーレ家とは親しくしており、主人公エツィオともパッツィ家の陰謀から命を救われて以降親しくなり協力するようになる。

アニメ


参考資料

  • 世界史の窓

表記揺れ

表記揺れ

メディチ


関連タグ

関連タグ

芸術 フィレンツェ ルネサンス

世界史

痛風: 一族が悩まされていた病。


  • アルテ:フィレンツェの時代を描いた漫画。
  • モンテ・クリスト伯: 作中に登場する「スパダ家」のモデルがメディチ家とされている。但し当時のフィレンツェに同名の一族がいたため、疑問が呈されている。

概要

概要

イタリアフィレンツェを拠点にしていた商家であり、後の大貴族。

少なくとも13世紀頃にはその名前が確認されているが、それ以前の経歴については不明。かつてのメディチ家の家紋が蔦を模していたことから、フィレンツェのムジェッロの農家を母体にしているという説がある。


ルネサンスの保護者として有名。

メディチ銀行の最大の顧客はローマ支店が窓口となったローマ教皇庁で、教皇庁からの収益は1435年までの銀行の年収益の50%を常に超え、1397~1420までの純利益は7万9千フィオリーノ(1フィオリーノ≒12万。つまり9億4800万)にのぼる。パトロンとしてブルネレスキ等を保護した。今日でもメディチ家が保護した芸術品は、フィレンツェで見ることができる。


後にトスカーナ大公国の君主として即位。フランス王妃や教皇を輩出するという実績を重ねた一方、大航海時代宗教改革によりその地位に蔭りが見え始める。やがてメディチ家の最後の大公が子孫を遺さずに逝去したため、トスカーナ大公国はハプスブルク家の支配下におかれることになった。


尚、遠縁のメディチ・ディ・オッタイアーノ家が王位を請求しているが、厳しい状態が続いてる。



メディチ家の人々

メディチ家の人々

大商人一族メディチ家の事実上の始祖

若くして叔父のヴィエーリの元で銀行家として働き、その頭角を表す。

ヴィエーリの死後は銀行をフィレンツェに異動させ、後のメディチ銀行として発展、ローマヴィネツィアに支店を広げる。

当時は教会大分裂の最中だったが、枢機卿バルダサーレ・コッサをヨハネス23世として即位させ、ローマ教皇庁の財務管理者になり上がった。

フィレンツェの「正義の旗手」(内閣総理大臣のようなポジション)を務めたり、外務大臣を担当する等メディチ家の社会的立場を向上させるが、本人はあくまで「一市民」の態度を崩さなかった。

妻はピッカルダ・プエリ。器量よしで知られ、彼女もまたメディチ家を支え続けた。


メディチ家を発展させた張本人。通称「コジモ・イル・ヴェッキオ」(老コジモ)。

銀行家としても政治家としても優秀だったが、競合のアルヴィッツィ家の策略によりフィレンツェを追放される憂目に遭う。

後にアルヴィッツィ家が失脚したためフィレンツェへ帰還、選挙制度を変更する等でフィレンツェの影の支配者として活躍した。

メディチ家がパトロンとして活躍し始めたのもこの頃で、プラトンに心酔していた。

死後、祖国の父の称号を贈られる。

妻はイタリアの名家の娘コンテッシーナ・デ・バルディ


⋯通称ロレンツォ・イル・マニーフィコ(偉大なるロレンツォ)

父はピエロ・イル・ゴットーゾ(痛風病みのピエロ)。幼少期からピエロの教育により指導者として研鑽を積み、弱冠20歳で事実上のフィレンツェ国家長に(※当時のフィレンツェは民主政なので本来は世襲はできない。しかし既にメディチ派は市政の要職を独占していたのでその後見で権力を握ることができた)。

しかし、パッツィ家の陰謀により襲撃され難を逃れたものの、弟ジュリアーノは殺害されてしまう。パッツィ家関係者らを容赦なく処刑した。これに激怒した当時のローマ教皇シクストゥス4世とナポリ王国をすぐれた外交手腕で屈服させ、かえって権力を強めることに成功した。

パトロンとしても優秀で、ボッティチェリは勿論ミケランジェロが見出された。ミケランジェロらは自宅で面倒を見ていたが、既にメディチ銀行は傾いており、ほぼタダ働き同然だったとか。

その代わり彼が見出した美術家たちはイタリアの各地に派遣され、イタリア全土に美術を広めた。

ちなみに父同様痛風に苦しんでいた。

妻はローマの名門一家の娘クラリーチェ・オルシーニ。夫婦仲は悪かったが、7人の子供に恵まれた。


上述のロレンツォの次男。本名はジョヴァンニ。

ロレンツォとインノケンティウス8世の庇護により、僅か16歳で枢機卿に就任。ユリウス2世の死後は当時最年少で教皇に就任する。

表向きは平和主義者だったが、フランス神聖ローマ帝国の中立を図った。

パトロンとしてはミケランジェロの他ラファエロを支持していた。特にラファエロを贔屓にしており、バチカン宮殿の壁画を描かせたりしている。一方ミケランジェロとは仲が悪かった。

サン・ピエトロ大聖堂の建立に着手していたが、工事費を工面するために免罪符の販売を許可し、宗教改革のきっかけを作ってしまった。また浪費家であり、ローマ教皇庁は未曽有の財政破綻に陥ってしまう。45歳で急逝した際はその怨恨による毒殺説も囁かれたが、元々体が弱かったのが原因とされる。


パッツィ家の陰謀で殺害されたジュリアーノの遺児(ロレンツォの甥。レオ10世の従弟)。本名はジュリオ。

レオ10世の元で枢機卿に就任、死後は宗教改革とイタリア戦争の最中という非常に不安定な中教皇に就任。神聖ローマ帝国軍に侵攻され逃亡するが、後にイタリアを混乱に貶めたと非難された(そもそも当時はヨーロッパ中が不安定であり、クレメンス7世が何かしたところでどうすることもできなかった)。後に神聖ローマ帝国の皇帝だったカール5世とは和解し、トスカーナ大公国へ発展する。

トマス・クランマー(後のカンタベリー大司教)とヘンリー8世を破門したことでも知られる。

パトロンとしてはマキャヴェリに「フィレンツェ史」の執筆を依頼したり、コペルニクスの天文学研究を支援した。

密かに作っていた愛人との間に庶子のアレッサンドロがいた。後述の黒隊長ジョヴァンニの弟であるロレンツィーノに暗殺されてしまう。


痛風病みのピエロの弟の一族(傍系)の出身。

幼少期に両親を亡くしたため、レオ10世の元で教皇軍として訓練を積む。その実力は「ルネサンス最後の傭兵隊長」と称されるほど。

彼の通称は、レオ10世の哀悼のために付け加えた記章の黒い帯に由来する。彼の部隊は全員黒いリボンや槍旗を付けていた。

イタリア戦争の最中、右足に砲弾が直撃し、敗血症により戦死。

妻はロレンツォの孫娘であるマリア・サルヴィアティ。近年遺骨鑑定により、梅毒で亡くなったことが明らかになった。つまり...。


初代トスカーナ大公

前述のアレッサンドロが暗殺されたために、僅か18歳にして家督を継ぐ。

神聖ローマ帝国の支援の元中央集権化を進め、更にイタリア戦争でシエーナ(現在のトスカーナ州の都市の一つ)を獲得、トスカーナ大公国が成立した。海軍が創設されたのもこの頃だが、一方で事実上の神聖ローマ帝国の支配下にあったため、独立したとは言い難い状態が続く。

都市改革事業に熱心であり、ウフツィ美術館などを建設した。ヴァザーリやブロンズィーノといった画家を宮廷画家として迎えており、文化も栄えた。

一方で家族を相次いでマラリアで亡くして以降、スキャンダルに塗れることになる。晩年は下半身不随に苦しんでいた。


アンリ2世の妻

ロレンツォの曾孫にあたるが、幼少期の立場は低く、幼少期に両親を相次いで亡くし、親戚中を盥回しにされる。当時オルレアン公だったアンリから縁談を齎されるも、夫婦仲は悪かった。しかし10人の子供に恵まれ、内3人が国王に就任した。アンリ2世の死後は摂政として活躍し、フランスの影の支配者と揶揄されるようになる。

ところがユグノー派とカトリックの対立に対し融和政策を図ったが失敗、悪女として名を遺してしまった。

パトロン活動も行っていたが、間もなくブルボン朝が開かれたため何も遺らなかったという。


アンリ4世の妻であり、ルイ13世の母

コジモ1世の孫娘にあたる。夫婦仲は悪く、彼女も散財して気を紛らわすが、息子(後のルイ13世)を出産してからは立場が一変。アンリ4世の寵愛を一気に受けることになる。...が、カトリック信者に暗殺されてしまう。

僅か9歳で即位したルイ13世の摂政として政治を担う。ところがカトリックへの庇護やハプスブルク家に娘たちを嫁がせる等、次第にルイ13世や貴族たちの反感を買う。ルイ13世の庇護を受けたリシュリュー枢機卿の台頭により最終的に亡命し、ドイツケルンで没した。


第3代トスカーナ大公

元々は枢機卿だったが、先代だった兄フランチェスコ1世夫妻(上述したマリーの両親)が死亡したため、家督を継ぐ。

政治的手腕に長け、農地の開墾や産業振興を推し進め、リヴォルノ(トスカーナの港町)の関税を撤廃して自由貿易を促進し、スペインからの独立を図った。姪のマリーをブルボン家に嫁がせ、フランスとの結びつきを強め、遠縁のアレッサンドロをレオ11世としてローマ教皇に選出させた。フェルディナンド1世の妻クリスティーナもフランス王家の出身(アンリ2世の孫娘)である。

トスカーナ大公国の経済を活性化させ、人口も7万人に伸し上げる優秀な政治家だったが、60歳で病没した。彼の死後、トスカーナ大公国は衰退することになる

長らくフランチェスコ夫妻に砒素を飲ませて暗殺させたという説が罷り通っていたが、後に死因がマラリアと判明したため、公式に否定された。



登場作品

登場作品

漫画


小説

  • モンテ・クリスト伯: 作中に登場する「スパダ家」のモデルがメディチ家とされている。但し当時のフィレンツェに同名の一族がいたため、疑問が呈されている。

ゲーム

  • アサシンクリード2:ルネサンス期イタリアが舞台のゲーム。公式サイトにメディチ家の解説ページがある「アサシンで学ぶルネサンス(外部リンク)」。ゲーム中にロレンツォやジュリアーノなどが登場する。特にロレンツィオは、幼少期に主人公の父・ジョヴァンニ・アウディトーレに命を救われて以来アウディトーレ家とは親しくしており、主人公エツィオともパッツィ家の陰謀から命を救われて以降親しくなり協力するようになる。

アニメ


参考資料

  • 世界史の窓

表記揺れ

表記揺れ

メディチ


関連タグ

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芸術 フィレンツェ ルネサンス

世界史

痛風: 一族が悩まされていた病。


  • アルテ:フィレンツェの時代を描いた漫画。
  • モンテ・クリスト伯: 作中に登場する「スパダ家」のモデルがメディチ家とされている。但し当時のフィレンツェに同名の一族がいたため、疑問が呈されている。

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  • 【11/24文学フリマ】『花樹王国』試し読み「美の女神、海へ還る」【ケ51唐草銀河】

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ルネサンス時代に活躍した、イタリアの名門貴族。

概要

概要

イタリアフィレンツェを拠点にしていた商家であり、後の大貴族。

少なくとも13世紀頃にはその名前が確認されているが、それ以前の経歴については不明。かつてのメディチ家の家紋が蔦を模していたことから、フィレンツェのムジェッロの農家を母体にしているという説がある。


ルネサンスの保護者として有名。

メディチ銀行の最大の顧客はローマ支店が窓口となったローマ教皇庁で、教皇庁からの収益は1435年までの銀行の年収益の50%を常に超え、1397~1420までの純利益は7万9千フィオリーノ(1フィオリーノ≒12万。つまり9億4800万)にのぼる。パトロンとしてブルネレスキ等を保護した。今日でもメディチ家が保護した芸術品は、フィレンツェで見ることができる。


後にトスカーナ大公国の君主として即位。フランス王妃や教皇を輩出するという実績を重ねた一方、大航海時代宗教改革によりその地位に蔭りが見え始める。やがてメディチ家の最後の大公が子孫を遺さずに逝去したため、トスカーナ大公国はハプスブルク家の支配下におかれることになった。


尚、遠縁のメディチ・ディ・オッタイアーノ家が王位を請求しているが、厳しい状態が続いてる。



メディチ家の人々

メディチ家の人々

大商人一族メディチ家の事実上の始祖

若くして叔父のヴィエーリの元で銀行家として働き、その頭角を表す。

ヴィエーリの死後は銀行をフィレンツェに異動させ、後のメディチ銀行として発展、ローマヴィネツィアに支店を広げる。

当時は教会大分裂の最中だったが、枢機卿バルダサーレ・コッサをヨハネス23世として即位させ、ローマ教皇庁の財務管理者になり上がった。

フィレンツェの「正義の旗手」(内閣総理大臣のようなポジション)を務めたり、外務大臣を担当する等メディチ家の社会的立場を向上させるが、本人はあくまで「一市民」の態度を崩さなかった。

妻はピッカルダ・プエリ。器量よしで知られ、彼女もまたメディチ家を支え続けた。


メディチ家を発展させた張本人。通称「コジモ・イル・ヴェッキオ」(老コジモ)。

銀行家としても政治家としても優秀だったが、競合のアルヴィッツィ家の策略によりフィレンツェを追放される憂目に遭う。

後にアルヴィッツィ家が失脚したためフィレンツェへ帰還、選挙制度を変更する等でフィレンツェの影の支配者として活躍した。

メディチ家がパトロンとして活躍し始めたのもこの頃で、プラトンに心酔していた。

死後、祖国の父の称号を贈られる。

妻はイタリアの名家の娘コンテッシーナ・デ・バルディ


⋯通称ロレンツォ・イル・マニーフィコ(偉大なるロレンツォ)

父はピエロ・イル・ゴットーゾ(痛風病みのピエロ)。幼少期からピエロの教育により指導者として研鑽を積み、弱冠20歳で事実上のフィレンツェ国家長に(※当時のフィレンツェは民主政なので本来は世襲はできない。しかし既にメディチ派は市政の要職を独占していたのでその後見で権力を握ることができた)。

しかし、パッツィ家の陰謀により襲撃され難を逃れたものの、弟ジュリアーノは殺害されてしまう。パッツィ家関係者らを容赦なく処刑した。これに激怒した当時のローマ教皇シクストゥス4世とナポリ王国をすぐれた外交手腕で屈服させ、かえって権力を強めることに成功した。

パトロンとしても優秀で、ボッティチェリは勿論ミケランジェロが見出された。ミケランジェロらは自宅で面倒を見ていたが、既にメディチ銀行は傾いており、ほぼタダ働き同然だったとか。

その代わり彼が見出した美術家たちはイタリアの各地に派遣され、イタリア全土に美術を広めた。

ちなみに父同様痛風に苦しんでいた。

妻はローマの名門一家の娘クラリーチェ・オルシーニ。夫婦仲は悪かったが、7人の子供に恵まれた。


上述のロレンツォの次男。本名はジョヴァンニ。

ロレンツォとインノケンティウス8世の庇護により、僅か16歳で枢機卿に就任。ユリウス2世の死後は当時最年少で教皇に就任する。

表向きは平和主義者だったが、フランス神聖ローマ帝国の中立を図った。

パトロンとしてはミケランジェロの他ラファエロを支持していた。特にラファエロを贔屓にしており、バチカン宮殿の壁画を描かせたりしている。一方ミケランジェロとは仲が悪かった。

サン・ピエトロ大聖堂の建立に着手していたが、工事費を工面するために免罪符の販売を許可し、宗教改革のきっかけを作ってしまった。また浪費家であり、ローマ教皇庁は未曽有の財政破綻に陥ってしまう。45歳で急逝した際はその怨恨による毒殺説も囁かれたが、元々体が弱かったのが原因とされる。


パッツィ家の陰謀で殺害されたジュリアーノの遺児(ロレンツォの甥。レオ10世の従弟)。本名はジュリオ。

レオ10世の元で枢機卿に就任、死後は宗教改革とイタリア戦争の最中という非常に不安定な中教皇に就任。神聖ローマ帝国軍に侵攻され逃亡するが、後にイタリアを混乱に貶めたと非難された(そもそも当時はヨーロッパ中が不安定であり、クレメンス7世が何かしたところでどうすることもできなかった)。後に神聖ローマ帝国の皇帝だったカール5世とは和解し、トスカーナ大公国へ発展する。

トマス・クランマー(後のカンタベリー大司教)とヘンリー8世を破門したことでも知られる。

パトロンとしてはマキャヴェリに「フィレンツェ史」の執筆を依頼したり、コペルニクスの天文学研究を支援した。

密かに作っていた愛人との間に庶子のアレッサンドロがいた。後述の黒隊長ジョヴァンニの弟であるロレンツィーノに暗殺されてしまう。


痛風病みのピエロの弟の一族(傍系)の出身。

幼少期に両親を亡くしたため、レオ10世の元で教皇軍として訓練を積む。その実力は「ルネサンス最後の傭兵隊長」と称されるほど。

彼の通称は、レオ10世の哀悼のために付け加えた記章の黒い帯に由来する。彼の部隊は全員黒いリボンや槍旗を付けていた。

イタリア戦争の最中、右足に砲弾が直撃し、敗血症により戦死。

妻はロレンツォの孫娘であるマリア・サルヴィアティ。近年遺骨鑑定により、梅毒で亡くなったことが明らかになった。つまり...。


初代トスカーナ大公

前述のアレッサンドロが暗殺されたために、僅か18歳にして家督を継ぐ。

神聖ローマ帝国の支援の元中央集権化を進め、更にイタリア戦争でシエーナ(現在のトスカーナ州の都市の一つ)を獲得、トスカーナ大公国が成立した。海軍が創設されたのもこの頃だが、一方で事実上の神聖ローマ帝国の支配下にあったため、独立したとは言い難い状態が続く。

都市改革事業に熱心であり、ウフツィ美術館などを建設した。ヴァザーリやブロンズィーノといった画家を宮廷画家として迎えており、文化も栄えた。

一方で家族を相次いでマラリアで亡くして以降、スキャンダルに塗れることになる。晩年は下半身不随に苦しんでいた。


アンリ2世の妻

ロレンツォの曾孫にあたるが、幼少期の立場は低く、幼少期に両親を相次いで亡くし、親戚中を盥回しにされる。当時オルレアン公だったアンリから縁談を齎されるも、夫婦仲は悪かった。しかし10人の子供に恵まれ、内3人が国王に就任した。アンリ2世の死後は摂政として活躍し、フランスの影の支配者と揶揄されるようになる。

ところがユグノー派とカトリックの対立に対し融和政策を図ったが失敗、悪女として名を遺してしまった。

パトロン活動も行っていたが、間もなくブルボン朝が開かれたため何も遺らなかったという。


アンリ4世の妻であり、ルイ13世の母

コジモ1世の孫娘にあたる。夫婦仲は悪く、彼女も散財して気を紛らわすが、息子(後のルイ13世)を出産してからは立場が一変。アンリ4世の寵愛を一気に受けることになる。...が、カトリック信者に暗殺されてしまう。

僅か9歳で即位したルイ13世の摂政として政治を担う。ところがカトリックへの庇護やハプスブルク家に娘たちを嫁がせる等、次第にルイ13世や貴族たちの反感を買う。ルイ13世の庇護を受けたリシュリュー枢機卿の台頭により最終的に亡命し、ドイツケルンで没した。


第3代トスカーナ大公

元々は枢機卿だったが、先代だった兄フランチェスコ1世夫妻(上述したマリーの両親)が死亡したため、家督を継ぐ。

政治的手腕に長け、農地の開墾や産業振興を推し進め、リヴォルノ(トスカーナの港町)の関税を撤廃して自由貿易を促進し、スペインからの独立を図った。姪のマリーをブルボン家に嫁がせ、フランスとの結びつきを強め、遠縁のアレッサンドロをレオ11世としてローマ教皇に選出させた。フェルディナンド1世の妻クリスティーナもフランス王家の出身(アンリ2世の孫娘)である。

トスカーナ大公国の経済を活性化させ、人口も7万人に伸し上げる優秀な政治家だったが、60歳で病没した。彼の死後、トスカーナ大公国は衰退することになる

長らくフランチェスコ夫妻に砒素を飲ませて暗殺させたという説が罷り通っていたが、後に死因がマラリアと判明したため、公式に否定された。



登場作品

登場作品

漫画


小説

  • モンテ・クリスト伯: 作中に登場する「スパダ家」のモデルがメディチ家とされている。但し当時のフィレンツェに同名の一族がいたため、疑問が呈されている。

ゲーム

  • アサシンクリード2:ルネサンス期イタリアが舞台のゲーム。公式サイトにメディチ家の解説ページがある「アサシンで学ぶルネサンス(外部リンク)」。ゲーム中にロレンツォやジュリアーノなどが登場する。特にロレンツィオは、幼少期に主人公の父・ジョヴァンニ・アウディトーレに命を救われて以来アウディトーレ家とは親しくしており、主人公エツィオともパッツィ家の陰謀から命を救われて以降親しくなり協力するようになる。

アニメ


参考資料

  • 世界史の窓

表記揺れ

表記揺れ

メディチ


関連タグ

関連タグ

芸術 フィレンツェ ルネサンス

世界史

痛風: 一族が悩まされていた病。


  • アルテ:フィレンツェの時代を描いた漫画。
  • モンテ・クリスト伯: 作中に登場する「スパダ家」のモデルがメディチ家とされている。但し当時のフィレンツェに同名の一族がいたため、疑問が呈されている。

概要

概要

イタリアフィレンツェを拠点にしていた商家であり、後の大貴族。

少なくとも13世紀頃にはその名前が確認されているが、それ以前の経歴については不明。かつてのメディチ家の家紋が蔦を模していたことから、フィレンツェのムジェッロの農家を母体にしているという説がある。


ルネサンスの保護者として有名。

メディチ銀行の最大の顧客はローマ支店が窓口となったローマ教皇庁で、教皇庁からの収益は1435年までの銀行の年収益の50%を常に超え、1397~1420までの純利益は7万9千フィオリーノ(1フィオリーノ≒12万。つまり9億4800万)にのぼる。パトロンとしてブルネレスキ等を保護した。今日でもメディチ家が保護した芸術品は、フィレンツェで見ることができる。


後にトスカーナ大公国の君主として即位。フランス王妃や教皇を輩出するという実績を重ねた一方、大航海時代宗教改革によりその地位に蔭りが見え始める。やがてメディチ家の最後の大公が子孫を遺さずに逝去したため、トスカーナ大公国はハプスブルク家の支配下におかれることになった。


尚、遠縁のメディチ・ディ・オッタイアーノ家が王位を請求しているが、厳しい状態が続いてる。



メディチ家の人々

メディチ家の人々

大商人一族メディチ家の事実上の始祖

若くして叔父のヴィエーリの元で銀行家として働き、その頭角を表す。

ヴィエーリの死後は銀行をフィレンツェに異動させ、後のメディチ銀行として発展、ローマヴィネツィアに支店を広げる。

当時は教会大分裂の最中だったが、枢機卿バルダサーレ・コッサをヨハネス23世として即位させ、ローマ教皇庁の財務管理者になり上がった。

フィレンツェの「正義の旗手」(内閣総理大臣のようなポジション)を務めたり、外務大臣を担当する等メディチ家の社会的立場を向上させるが、本人はあくまで「一市民」の態度を崩さなかった。

妻はピッカルダ・プエリ。器量よしで知られ、彼女もまたメディチ家を支え続けた。


メディチ家を発展させた張本人。通称「コジモ・イル・ヴェッキオ」(老コジモ)。

銀行家としても政治家としても優秀だったが、競合のアルヴィッツィ家の策略によりフィレンツェを追放される憂目に遭う。

後にアルヴィッツィ家が失脚したためフィレンツェへ帰還、選挙制度を変更する等でフィレンツェの影の支配者として活躍した。

メディチ家がパトロンとして活躍し始めたのもこの頃で、プラトンに心酔していた。

死後、祖国の父の称号を贈られる。

妻はイタリアの名家の娘コンテッシーナ・デ・バルディ


⋯通称ロレンツォ・イル・マニーフィコ(偉大なるロレンツォ)

父はピエロ・イル・ゴットーゾ(痛風病みのピエロ)。幼少期からピエロの教育により指導者として研鑽を積み、弱冠20歳で事実上のフィレンツェ国家長に(※当時のフィレンツェは民主政なので本来は世襲はできない。しかし既にメディチ派は市政の要職を独占していたのでその後見で権力を握ることができた)。

しかし、パッツィ家の陰謀により襲撃され難を逃れたものの、弟ジュリアーノは殺害されてしまう。パッツィ家関係者らを容赦なく処刑した。これに激怒した当時のローマ教皇シクストゥス4世とナポリ王国をすぐれた外交手腕で屈服させ、かえって権力を強めることに成功した。

パトロンとしても優秀で、ボッティチェリは勿論ミケランジェロが見出された。ミケランジェロらは自宅で面倒を見ていたが、既にメディチ銀行は傾いており、ほぼタダ働き同然だったとか。

その代わり彼が見出した美術家たちはイタリアの各地に派遣され、イタリア全土に美術を広めた。

ちなみに父同様痛風に苦しんでいた。

妻はローマの名門一家の娘クラリーチェ・オルシーニ。夫婦仲は悪かったが、7人の子供に恵まれた。


上述のロレンツォの次男。本名はジョヴァンニ。

ロレンツォとインノケンティウス8世の庇護により、僅か16歳で枢機卿に就任。ユリウス2世の死後は当時最年少で教皇に就任する。

表向きは平和主義者だったが、フランス神聖ローマ帝国の中立を図った。

パトロンとしてはミケランジェロの他ラファエロを支持していた。特にラファエロを贔屓にしており、バチカン宮殿の壁画を描かせたりしている。一方ミケランジェロとは仲が悪かった。

サン・ピエトロ大聖堂の建立に着手していたが、工事費を工面するために免罪符の販売を許可し、宗教改革のきっかけを作ってしまった。また浪費家であり、ローマ教皇庁は未曽有の財政破綻に陥ってしまう。45歳で急逝した際はその怨恨による毒殺説も囁かれたが、元々体が弱かったのが原因とされる。


パッツィ家の陰謀で殺害されたジュリアーノの遺児(ロレンツォの甥。レオ10世の従弟)。本名はジュリオ。

レオ10世の元で枢機卿に就任、死後は宗教改革とイタリア戦争の最中という非常に不安定な中教皇に就任。神聖ローマ帝国軍に侵攻され逃亡するが、後にイタリアを混乱に貶めたと非難された(そもそも当時はヨーロッパ中が不安定であり、クレメンス7世が何かしたところでどうすることもできなかった)。後に神聖ローマ帝国の皇帝だったカール5世とは和解し、トスカーナ大公国へ発展する。

トマス・クランマー(後のカンタベリー大司教)とヘンリー8世を破門したことでも知られる。

パトロンとしてはマキャヴェリに「フィレンツェ史」の執筆を依頼したり、コペルニクスの天文学研究を支援した。

密かに作っていた愛人との間に庶子のアレッサンドロがいた。後述の黒隊長ジョヴァンニの弟であるロレンツィーノに暗殺されてしまう。


痛風病みのピエロの弟の一族(傍系)の出身。

幼少期に両親を亡くしたため、レオ10世の元で教皇軍として訓練を積む。その実力は「ルネサンス最後の傭兵隊長」と称されるほど。

彼の通称は、レオ10世の哀悼のために付け加えた記章の黒い帯に由来する。彼の部隊は全員黒いリボンや槍旗を付けていた。

イタリア戦争の最中、右足に砲弾が直撃し、敗血症により戦死。

妻はロレンツォの孫娘であるマリア・サルヴィアティ。近年遺骨鑑定により、梅毒で亡くなったことが明らかになった。つまり...。


初代トスカーナ大公

前述のアレッサンドロが暗殺されたために、僅か18歳にして家督を継ぐ。

神聖ローマ帝国の支援の元中央集権化を進め、更にイタリア戦争でシエーナ(現在のトスカーナ州の都市の一つ)を獲得、トスカーナ大公国が成立した。海軍が創設されたのもこの頃だが、一方で事実上の神聖ローマ帝国の支配下にあったため、独立したとは言い難い状態が続く。

都市改革事業に熱心であり、ウフツィ美術館などを建設した。ヴァザーリやブロンズィーノといった画家を宮廷画家として迎えており、文化も栄えた。

一方で家族を相次いでマラリアで亡くして以降、スキャンダルに塗れることになる。晩年は下半身不随に苦しんでいた。


アンリ2世の妻

ロレンツォの曾孫にあたるが、幼少期の立場は低く、幼少期に両親を相次いで亡くし、親戚中を盥回しにされる。当時オルレアン公だったアンリから縁談を齎されるも、夫婦仲は悪かった。しかし10人の子供に恵まれ、内3人が国王に就任した。アンリ2世の死後は摂政として活躍し、フランスの影の支配者と揶揄されるようになる。

ところがユグノー派とカトリックの対立に対し融和政策を図ったが失敗、悪女として名を遺してしまった。

パトロン活動も行っていたが、間もなくブルボン朝が開かれたため何も遺らなかったという。


アンリ4世の妻であり、ルイ13世の母

コジモ1世の孫娘にあたる。夫婦仲は悪く、彼女も散財して気を紛らわすが、息子(後のルイ13世)を出産してからは立場が一変。アンリ4世の寵愛を一気に受けることになる。...が、カトリック信者に暗殺されてしまう。

僅か9歳で即位したルイ13世の摂政として政治を担う。ところがカトリックへの庇護やハプスブルク家に娘たちを嫁がせる等、次第にルイ13世や貴族たちの反感を買う。ルイ13世の庇護を受けたリシュリュー枢機卿の台頭により最終的に亡命し、ドイツケルンで没した。


第3代トスカーナ大公

元々は枢機卿だったが、先代だった兄フランチェスコ1世夫妻(上述したマリーの両親)が死亡したため、家督を継ぐ。

政治的手腕に長け、農地の開墾や産業振興を推し進め、リヴォルノ(トスカーナの港町)の関税を撤廃して自由貿易を促進し、スペインからの独立を図った。姪のマリーをブルボン家に嫁がせ、フランスとの結びつきを強め、遠縁のアレッサンドロをレオ11世としてローマ教皇に選出させた。フェルディナンド1世の妻クリスティーナもフランス王家の出身(アンリ2世の孫娘)である。

トスカーナ大公国の経済を活性化させ、人口も7万人に伸し上げる優秀な政治家だったが、60歳で病没した。彼の死後、トスカーナ大公国は衰退することになる

長らくフランチェスコ夫妻に砒素を飲ませて暗殺させたという説が罷り通っていたが、後に死因がマラリアと判明したため、公式に否定された。



登場作品

登場作品

漫画


小説

  • モンテ・クリスト伯: 作中に登場する「スパダ家」のモデルがメディチ家とされている。但し当時のフィレンツェに同名の一族がいたため、疑問が呈されている。

ゲーム

  • アサシンクリード2:ルネサンス期イタリアが舞台のゲーム。公式サイトにメディチ家の解説ページがある「アサシンで学ぶルネサンス(外部リンク)」。ゲーム中にロレンツォやジュリアーノなどが登場する。特にロレンツィオは、幼少期に主人公の父・ジョヴァンニ・アウディトーレに命を救われて以来アウディトーレ家とは親しくしており、主人公エツィオともパッツィ家の陰謀から命を救われて以降親しくなり協力するようになる。

アニメ


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表記揺れ

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関連タグ

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芸術 フィレンツェ ルネサンス

世界史

痛風: 一族が悩まされていた病。


  • アルテ:フィレンツェの時代を描いた漫画。
  • モンテ・クリスト伯: 作中に登場する「スパダ家」のモデルがメディチ家とされている。但し当時のフィレンツェに同名の一族がいたため、疑問が呈されている。

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