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概要

首都マプト
面積80万1590平方キロメートル
人口2790万9798人(2017年8月)
建国1975年6月25日(ポルトガルから独立)
通貨メティカル
公用語ポルトガル語
国家元首(職)大統領
政体半大統領制 共和国

モザンビーク共和国(モザンビークきょうわこく、ポルトガル語:República de Moçambique、英語:Republic of Mozambique)は、アフリカ南東部に位置する共和国。国名は北部のモスリル湾の入口にあるモザンビーク島が由来である。公用語はポルトガル語だが、英語も広く用いられる。


歴史

ポルトガル統治時代

1498年3月にバスコ・ダ・ガマがモザンビークの海岸に到達し、1505年9月にポルトガルの統治に服した。1869年11月にスエズ運河が開通し、貿易拠点としてのモザンビーク島は衰退に向かう。1898年12月に首都をロウレンソ・マルケス(現在のマプト市)に移転し、1951年6月にポルトガルは植民地を海外州と呼び変え、本国と対等であるとして国際社会の非難を回避しようとした。


1964年9月に独立戦争が開始され、ポルトガルはソ連に援助を受けていた「モザンビーク解放戦線」に強権を以て対処した。


独立後

1975年6月にポルトガルから独立し、権力を掌握したモザンビーク解放戦線は一党独裁による社会主義路線を推進した。この年にモザンビーク人民共和国として成立し、サモラ・マシェルが初代大統領に就任した。1977年5月にローデシアの諜報機関によって結成された反政府組織のモザンビーク民族抵抗運動との間で内戦が勃発し、国民の約3分の1が難民となった。


1980年4月にローデシアが崩壊してジンバブエが独立すると、代わりに南アフリカ共和国が「モザンビーク民族抵抗運動」を支援し、農村部での略奪・暴行を激化させて不安定化工作を実行した。1990年11月にジョアキム・シサノ大統領は社会主義路線を放棄し、複数政党制と自由市場経済を規定した新憲法を制定した。同年12月にモザンビーク共和国に改称し、1992年10月にイタリアのローマで和平協定が締結されて内戦は終結した。


1994年10月に国際連合の支援によって大統領選挙と議会選挙が実施され、モザンビーク解放戦線が勝利した。


地理・気候

国土はザンベジ川によって北部と南部に分けられる。北部には台地や高原が広がり、南部には広い低地がある。熱帯雨林サバンナが大部分を占めるが、南アフリカに近いマプト市周辺は、5月から10月にかけて平均13度から24度と過ごしやすい気候となっている。


首都のマプト市は国土の南端近くにある天然の良港で、1890年3月に南アフリカのプレトリア市とを結ぶ鉄道の開通によって人口が急増した。


経済

主力輸出品はエビカシューナッツなどだが、鉄鉱石・無煙炭・マンガン・チタン・宝石などの鉱産資源が多い。内戦終結後のモザンビークは年率8パーセントの経済成長を実現したが、国民の70パーセントが貧困ライン以下で失業率が54パーセントに達し、教育水準が低い。


国際関係

ポルトガル

1975年6月に外交関係を樹立し、1983年10月にサモラ・マシェル大統領はポルトガルを公式訪問した。両国の外交関係において協力は大幅な増加を記録し、これは両国の全ての活動分野をカバーしている。


その他

エイペックス・レジェンズに登場するハズレショットガンモザンビーク(APEX)


外部リンク

モザンビーク大使館

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