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概要

首都ヌアクショット
面積103万700平方キロメートル
人口477万5110人
建国1960年11月28日(フランスより独立)
公用語アラビア語
国家元首(職)大統領
政体半大統領制 共和国

モーリタニア・イスラム共和国(モーリタニア・イスラムきょうわこく、アラビア語:الجمهورية الإسلامية الموريتانية、フランス語:République islamique de Mauritanie、英語:Islamic Republic of Mauritania、通称:モーリタニア)は、アフリカ北西部に位置する共和国。アラブ・マグリブ連合にも加盟しており、広義のマグリブ諸国に含まれる。国名はベルベル人の古代国であるマウレータニア(現在のアルジェリアとモロッコ)が由来である。


歴史

1895年10月にフランス領西アフリカが成立し、首都はセネガル植民地北部のサン・ルイに設置されたが、これはモーリタニアには都市らしい都市が存在しなかった為である。1902年10月にダカールに移転し、1960年4月にセネガルが独立するまで存続した。


1904年10月に全域が植民地化され、1920年12月にフランスの植民地省の法令によって正式にフランス領西アフリカの一部となった。1946年4月に本国議会への参政権が与えられると同時に植民地議会が開設された。


1958年9月にフランス共同体が発足すると共同体内の自治国となり、1960年11月に独立した。モクタル・ウルド・ダダーが初代大統領に就任したが、1978年7月に発生した軍事クーデターで追放された。


国際関係

中華人民共和国

1965年7月に外交関係を樹立し、緊密な両国関係を築いている。1967年10月から中国はモーリタニアに援助を実施しており、それはモーリタニアの様々な分野をカバーしている。


2011年7月に中国とモーリタニアは農業技術の研究・食料安全保障・地元の人々の改善の為、農業技術デモンストレーションセンターを建設する契約を締結した。


2019年8月に中国とモーリタニアは新たな経済技術協力協定を締結した。ムレッタ経済産業相はモーリタニアへの長期的な支援・経済と社会の発展への貢献に対し、中国に感謝の意を表した。


フランス

1960年11月に外交関係を樹立し、開発支援のほとんどは民間直接投資の主要供給国であったフランスによって提供された。1961年6月にフランスと2国間協定を締結し、両国は経済・財政・技術・文化・軍事における協力と援助を提供した。


日本

1960年11月に外交関係を樹立し、日本は2009年7月の大統領選挙である程度の民主化がなされたとして、同年8月に政府を承認した。水産・漁業の面で繋がりが強く、モーリタニアは訪問した閣僚の多くは漁業大臣もしくは海洋経済大臣である。


日本からの輸出品として代表的なものとしてが挙げられる。モーリタニアの沖合に蛸(それも高値で取引きされるマダコ)が多くいることがわかると日本は蛸壺製造などの技術支援を行ない、現在輸入している蛸の35%はモーリタニアからである。ちなみにモーリタニアの人は蛸を食べないので、獲った蛸は殆ど日本へ輸出される。


ロシア連邦

1964年7月に外交関係を樹立し、伝統的に友好的な外交関係を維持している。1966年10月に貿易協定を締結し、1991年12月にモーリタニアはロシア連邦を承認した。


1973年2月にソ連とモーリタニアは水産業における協力に関する協定を締結し、1981年1月にヌアクショットでさらなる条約が締結された。


2003年5月にロシアとモーリタニアは海洋漁業・魚の生産の分野での協力に関する新たな協定を締結し、3度に渡って両国の合同委員会の会議が開催された。


2021年6月にロシアとモーリタニアは軍事協力協定を締結した。この協定ではテロとの闘い・軍事教育・医学の分野での協力が含まれており、両国間の軍事分野での協力を発展させる事を目的としている。


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