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概要

1990年7月24日生まれ、大阪府出身。愛称は「三ちゃん」。


フジテレビバラエティ番組めちゃイケ』の元メンバーとして知られ、現在は“お笑い芸人”に転向している。

後述の通り、素人からプロ転向に至るまでの特異な経歴によりネット上でたびたび議論の的となっている。


経歴

めちゃイケレギュラー時代

小学校の卒業文集に「「岡村隆史のような芸人になりたい」と綴るなど、幼少期からお笑い、そしてナインティナイン岡村隆史のファンであり、お金を貯めて吉本興業のお笑い養成所『NSC』に入学しようと考えていたが、2010年7月から岡村が体調不良による長期休養に入った為、同年9月4日放送のフジテレビめちゃ×2イケてるッ!』にて、新たなレギュラーメンバーを募集する全国オーディションを開催することを知り、元から『めちゃイケ』のファンでもあった三中は迷いなくオーディションに応募。

プロ、アマ含めおよそ一万人近くの応募者を掻い潜って、見事、素人枠から唯一選出され、晴れてめちゃイケレギュラーメンバーの一人に加わった。


大のめちゃイケファンである朴訥な青年」というキャッチコピーの下、『三ちゃん』の愛称を与えられ、イジられキャラ・マスコット的存在として扱われていた。2011年のフジテレビ新春キャンペーンではイメージキャラクターに選出されたり、時は番組内において岡村に次ぐ数のメインのコーナー・企画を持つなど、まさに破竹の勢いだった。


だが、メンバーに加入してから次第にテレビ慣れするに伴って、共演者やスタッフ、一般人への接し方などにおいて不遜とも取れる振る舞いが目立つようになった事から、番組側もそれまでのようにただのマスコット的存在として持て囃すばかりでなく、TPOを学ばせる目的も兼ねて、お笑い番組の出演者としての『身体を張った』企画もさせる方針に切り替える。


その一環として、2013年9月、東名高速道路・足柄サービスエリア(下り線)で行われた企画「めちゃイケサービスエリア」では『総支配人』にとして、2014年9月までの約1年間のイベント期間中、東京での収録以外は現地の店舗で売り子をしていた。

しかしながら、それらの企画を通じても素行の改善に至らなかった為、2014年10月から、新たな企画として、プロレスラーを目指すことになり、新崎人生率いるみちのくプロレスへ「テスト生」という形で仮入団し、みちのくプロレスの合宿所に入寮。同団体所属のプロレスラー 野橋太郎をトレーナー役に据え、まずはプロレスラーの練習生になるためのテスト合格を目指すことになった。

だが、元々この企画に乗り気でなかった三中はテストに受かるための練習を手抜きしたりさぼったりするなどいい加減な形でしか取り組めず、結果的に1回目のテストは不合格に終わってしまう。それでも直後に練習生テストの再実施を志願し承諾されたことで、再テストが1か月後に行われることになった。

だが、再テスト1週間前、練習がより過酷になり体が追いつかなくなった事や、急にプロレス企画に参加することになった事への不安・不満などをスタッフに吐露し、ついには募り積もったものが爆発する形でトレーナーの野橋と衝突。企画のリタイアを宣言して帰京してしまった。

この時はレギュラーメンバーの中でも兄貴分的存在であったジャルジャルからの激励を兼ねた説得により企画に戻ることを決意し、自らみちのくプロレスのイベントに参加したことで野橋から復帰を許され、合宿所に戻って練習を再開。結果、年を跨いだ2015年3月に再テストに挑んで見事合格し、改めてプロレスラーデビューを目指して企画に取り組み始める。


ところが、同年の7月中旬。企画途中経過でのマンネリ化や体力的な限界に人間関係の不調、そして周囲の誰もが企画に打ち込む自身に構ってくれないことへの不満、試合後に血まみれ、傷だらけになって戻ってくるレスラーたちの姿を見て「自分もあれをやらされるのか」と考えると怖くて先に進めなくなった事などの複数の原因が重ねに重なり、精神状態が不安定になったことから、プロレス企画への不安やめちゃイケ加入以前より燻らせていた『プロのお笑い芸人になりたい』という志が再燃したことを理由に、再びみちのくプロレス合宿所から脱走。今度は周囲が幾ら説得を重ねても戻ることを頑なに拒否し、最終的に企画辞退を番組側へ申し出た。


更に三中はこの脱走中に、旧友であった吉本興業のアイドルグループ「L.A.F.U」のメンバー 臼杵寛を誘い、お笑いコンビ『ワンハンドレッド』を番組側に無断で結成していたことや、やはり番組への相談も一切ないまま、幾つもの芸能事務所やタレント養成所へ履歴書を送ったり、オーディションに参加していたことも発覚。それらの事実を把握した新崎、野橋らからも愛想を尽かされたことでプロレス企画は事実上継続不能に陥り、最終的に双方の合意が成立し同年9月にお蔵入りとなってしまい、結局三中はプロレスラーデビューも果たせぬまま、みちのくプロレスを退団することとなった。


その後、なんとか番組からはプロ芸人転向を認めてもらえたものの、それまで番組では主にいじられキャラという立場で際立ったトーク術や持ちギャグも皆無であった事もあり、その後のオーディションでの三中は、吉本興業のネタ見せオーディションにおいては、ナインティナインが若手時代に披露したネタをコピーしたも同然な漫才を披露した事で、密かに見守っていためちゃイケメンバーや、オーディションの審査員役の講師から「基本的にパクリ」と酷評されてしまう。

そこでコンビ名を自身と臼杵のラッキーナンバーである「3」に因んだ『サンプライズ』へと改名して完全オリジナルのネタで勝負する方針に切り替え、来る2016年2月19日。合格したよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属することを決める。


こうして正式に本職であるお笑い芸人の肩書きを持つに至った三中であったが、『番組から与えられた企画を放棄する』というプロ意識に欠けた行動を犯す一方で『“プロ”のお笑い芸人に転向する』という矛盾した行動について、岡村や加藤浩次濱口優鈴木紗理奈を初めとする他のめちゃイケメンバー達からは懸念や怒りの声が相次いだ。


岡村は「お笑いはやりたいけど身体を張る仕事はできない」という三中の身勝手極まりない言い分に対し「なかなかのワガママお笑いやな。(そんな選り好みしてたら)仕事なくなるぞ」と皮肉を交えた苦言を呈し、加藤は若手時代に高所恐怖症にもかかわらず無理やりスカイダイビングをさせられた自分の経験を語り、「芸人が嫌いなことや嫌なことは確実にやらされる」という芸人やバラエティの世界の過酷さを諭した。

また、濱口や紗理奈はメンバーの中でも特に三中の一連の行動に対し憤慨しており、濱口は「ナイナイのカッコいい部分だけをやりたいだけやねん!ズルいよそれ、(自分の好きな仕事だけやろうだなんて)ムリだよ」とプロ意識がまるで無いと断言した上で「逃げてお笑いなのか?だったら(お笑いを)ナメるなよって話やで!」と、芸人になろうという意思も結局は『ただ辛い企画から逃げ出したい為の建前』であることを指摘し、そんな安易な理由で芸人で志した三中の考え方を徹底的に批判した。

同じく紗理奈も「(今の自分の立場や、芸能界がどういうものか)わかってない気がする。あたしだったら今の(素人という)立場を捨ててプロになろうだなんて思えない」とプロとして芸能界で活躍するのが如何に難しいのかを訴え、タレントとして何のスキルも得ていない上に、『素人』であるからこそ他の出演者と比較しても好待遇で扱われている今の環境を棄て、プロに転向しようという三中の行動はあまりにも無謀である上に、恩知らずである事を指摘した。

また、光浦靖子は「(人間関係がどうのこうの言ってるけど)お笑いのほうが人間関係大変だよ。バラエティ番組っていうのは皆で作るんだから」と、テレビやお笑いの仕事はプロレスよりも厳しいと諭すと同時に「プロになるからには、これからの事は全部自分で責任取りなよ」と、今後は誰も三中の後ろ盾になるつもりはないし、プロになってから後悔する事になっても助けてあげるつもりはない意志を示す。

武田真治も「これからは誰ももう『頑張れ』って言わないよ、三ちゃんに」と、今後もしプロのお笑い芸人としてめちゃイケに残るつもりなら、以前のような甘い対応はしないとコメント。

止めと言わんばかりに重盛さと美「いつもご飯を食べに行った時とかよくコントをやってて、全然面白くないのに『スゴイ』って言ってたけど、(プロになったら)『面白くない』って言っていいってことだよね?」という彼女らしからぬ厳しいコメントに加えて過去に自分のことを「ボケの塊」と自称していたことも明かし、「(面白くもないのに)自信だけは人一倍あるから心配」と辛辣な言い回しで詰問。


そんな中で、矢部は濱口達の様に責めたりはせず、上記のみちのくプロレス脱走についても触れず、今後の三中の芸人目標について冷静に対応した上で、「もし、本当に三ちゃんがお笑い芸人になるんだったら少なからず、見方は変わるかもね。素人じゃなくてこっちはプロとして見るから」と、芸人になる以上は今後めちゃイケでは今までみたいに優しくはせず、プロの芸人として厳しく接していく事を伝え、同様に有野晋哉「プロになるって決めた以上はもう覚悟を決めてやろう。勿論それで僕らを含め周り(世間)からの見方は変わると思うけど、それならもう一度気持ちを切り替えて一緒に頑張っていこうよ」と励ました。


当然のことながら、三中のプロ転向は、番組内部に留まらず吉本の先輩芸人達の間でも波紋を呼ぶこととなった。

特に自身の最大の売りであった『素人』の肩書を捨てたことについては、トータルテンボスの藤田憲右が「舐めんなって話ですよ!プロを!甘ちゃん過ぎて腹立ってきますもん!」と濱口同様に、この時点で芸人としてのプロ意識が欠けていると憤慨。インパルスの板倉俊之も「まだここにいない、陽の目を見てない芸人が一番腹立ってると思う」とめちゃイケ新メンバーオーディションの際に合格を目指して必死でネタ作りや一芸を磨こうと頑張っていた他の一般人の参加者達や、オーディションに不合格だったために解散したお笑いコンビを愚弄するも同然の行いだと指摘するなど、激烈な批判を浴びせられることとなる。


そして5年前に新メンバーオーディションの最終選考で三中と争っていたダイノジの大地洋輔は、三中にレギュラー権を奪われた時には彼が『素人枠』であったが為に諦めもついていたが、そんな三中が実に身勝手な動機で『素人』の立場を捨てて自分達と同じお笑い芸人となり、それでいて尚もめちゃイケにレギュラーメンバーとして居続けようとすることに対し「このままこいつの思い通りにさせたままなのは良くないと思う!」 と異議を唱え「番組から与えられた企画をやってみてやっぱしんどいから辞めるってさ。「じゃあ次はプロの芸人でやる」って、それでめちゃイケには残る気でいるのかよ!? それ、おかしいでしょ!?」と涙ながらに批難した上で「プロになるって言うなら、もう一回スタート立って(めちゃイケメンバーの)オーディション受けろよ!!」と抗議した。これが発端となり、同年2月27日に放送された「真冬に汗をかきまくれ 国民投票だよ全員集合 全力の生スペシャル!!」にて、“プロの芸人”としてめちゃイケに残留するか否かを賭けた再オーディションを行うこととなった。


当日の生放送では視聴者がデータ放送スマートフォンで投票し「合格」「不合格」のどちらかに投票できるという形式で行われた視聴者投票による『“芸人”としてレギュラー参加をかけた再オーディション』を受け、生放送の中でお笑いコンビ『サンプライズ』として漫才を披露したが、約63万票の投票を集めた結果、最終的な投票で合格ラインを超える支持率を得られず、翌週の2016年3月12日放送の回をもって三中は番組から正式に降板となった


再オーディション終了後、フジテレビのネット配信番組にて中継された残念会の中で、再オーディションのゲストだった出川哲朗の助言もあり、コンビ名を正式に『dボタン』に改名し、名実共に一人の駆け出し芸人から再スタートすることとなった。


めちゃイケ降板後…

しかしながら上述の通り、企画放棄や独断でのプロ芸人転向からの半ば懲戒免職も同然に降板する形となった三中は、その後、めちゃイケ視聴者を中心とする世間から露骨な嘲弄や誹謗中傷を一身に受ける羽目となり、めちゃイケ降板と同時にそれまでアルバイトとして活動したフジランドからも解雇された上にお台場本社ビルをはじめとしたフジテレビ系列の全企業や関連施設への出入り禁止を言い渡されてしまう。

その為、唯一の収入源を失った三中は新たにアルバイト先を探すも、上記の様に負の一面を世間に曝け出してしまったが故にどのアルバイト先からも「めちゃイケの時みたいにすぐにサボったり、逃げたりされると困る」、「君を雇っていると知られたらウチまでイメージが悪くなる」等と悪印象が押し付けられ、結局、どこからもすげなく門前払いを食らうこととなってしまう。


この困窮した状況を番組スタッフを介して耳にしためちゃイケの放送作家の鈴木おさむから、自身の経営するちゃんこ屋でのアルバイトの誘いを受ける。それを知らされた三中は是が非でも飛び付き、彼の店のアルバイトの面接を受ける。その際の面接官には鈴木本人と自身もアルバイト経験のある大地と新メンバーオーディションに参加していたあかつを含む複数の芸人が担当した。

そして、まず鈴木は三中の現段階での状況と今後の目処について尋ねる。すると三中は上記の困窮状況に加え、更にアルバイトはおろかオーディションすら一つも受からず、芸人としての活動は降板以降全く出来ていない切羽詰まった状況を告白した。

それを知らされた鈴木は「辛いのはわかるけどそれは身から出た錆だし、ましてやそんなことはデビューしたての無名芸人には誰だって経験する事だ。そうやって地道に苦労を重ねて芸人として成長するものなんだ」と芸人として売れるまでが如何に過酷かを論した。

続いて、鈴木は三中に普段心掛けていることについて尋ねると三中は「まずは挨拶ですね」と即答。すると鈴木は「挨拶は(芸人に関係なく)当たり前だろ!」と一喝。その後も会話の中で三中が一般人を「素人」と呼び捨てたのを聞いて「素人”さん”!呼び捨てするな!」と注意したり、プロレス企画の話をする際にも「(みちのくプロレスは)地獄でした…」「もうあんな所は二度と…(行きたくない)」と不平や不満ばかり零す三中に、鈴木は「芸人だったら、こんな時くらい良い思い出や面白おかしかった思い出を話したりして、みちのくさんを立ててあげたり、場を盛り上げていくようにしなきゃ」と未だに一般人気分が抜けきれず、芸人らしい話術も身についていない三中に苦言を呈す一幕もあった。

同じくあかつも三中に対し「企画を与えてもらっているのに逃げ出すのはダメ」と叱責し、岡村や濱口同様に与えられた仕事を最後までやり通すのが芸人であることを改めて諭し、他の芸人達も「(考えが)甘いんだよお前は!全てにおいて!」「そんな心構えでこの(お笑いの)世界でやっていけるなんて思うなよ」「俺達はそう簡単にお前を芸人としては認めないからな」と、三中のお笑いに対する考え方を批難した。

対して三中は、自分の芸人としての甘い姿勢を滾々と叱責されているにも関わらず、「こんなに(自分の事を心配して)言ってくれたの、鈴木さんが初めてなんで!」と突然お礼を言いだすなど、どこか噛み合っていない様な反応を返し、流石の鈴木やあかつ達も呆れを通り越して、失笑するしかなかった。


一方の大地は、鈴木やあかつ達のように一方的に責めたりはせず、「まだまだ厳しいけど、今が踏ん張りどころだから頑張らないと」と三中に再オーディションを求めた時とは一転し、自分なりに彼を案じ、激励の言葉をかけていた。これは三中のめちゃイケ降板が決定した後、一部の視聴者から三中降板のきっかけを作ったして自身のSNSに批判的な意見が少なからず寄せられたことにより心境が変化したことによるもので、大地は三中と再会した際に「俺の事、恨んでる?」と尋ねるなど、多少なりとも責任や罪悪感を感じていた。なお、それに対して三中からは「少しだけ」と返され、思わず苦笑することとなった(それを聞いたあかつ達は「そこはウソでも「いいえ」って言わなきゃダメだよ」と三中を窘めていた)。

最終的に鈴木からは「10日くらいでキャベツと玉ねぎの千切りを覚える」という条件で三中を仮採用し、その後は店の呼び子や注文の受け子まで担当され、2020年に閉店するまでアルバイトを続けた。ちなみに番組関係者を介して鈴木が三中をアルバイト雇用したと知った濱口は「アルバイトくらい一人で探せよ…自分が蒔いた種やっちゅうのになんで周りが助けたるん? なんやかんや言って、おさむさんもお前ら(スタッフ)も甘いわ」と三中だけでなく鈴木や番組スタッフに対しても不満を顕にしていた。


一方、芸人としても地道に活動を続け、2017年には箱根で開催されたイベント『めちゃイケ温泉』のコンシェルジュとしてゲスト参加していたが、番組内では全く触れられることはなかった。


また、お笑いとしての表現力を高めるために自ら劇団「三ランポリン4アター」を立ち上げて、舞台役者としても活動するなどしていた(ちなみにこの「三ランポリン4アター」の団員にはお笑いコンビ『EXIT』の兼近大樹も在籍していた)が、程なくしてこの劇団は自然解散してしまった。

その後も劇場や様々なイベントに出演するものの、特に目立った活躍も無く、さらにはめちゃイケが2018年の3月末を以て終了する事が決定し、『コンビでめちゃイケのレギュラーに返り咲く』という大きな目標をも失った影響か次第に『dボタン』の活動は減っていき、最終的には「方向性の違い」という理由で2018年1月にコンビ解散となった。


それから2ヶ月後の2018年3月31日。放送された『めちゃイケ』最終回は歴代最長となる5時間半の尺が取られたものの、その中で三中の存在については一部のメンバー(敦士矢部浩之)が卒業への思いを語る際に名前を出して触れたのと、その説明として過去のめちゃイケ新メンバーオーディション及び再オーディション時にその姿が映っていたVTRや画像が僅かに使われただけで、番組終了の発表以降で三中がメディアでも言及する程に熱望していたレギュラーメンバーとして最後の復帰のチャンスであった『めちゃイケ最終回への出演』を果たす事は遂に叶わなかった。


その後は、良くも悪くも知名度があった事から吉本の劇場の売店で売り子を任されたり、Youtubeのマイナー芸人の動画にゲスト出演したり、ローカルアイドルのイベントにゲスト出演するなどして細々と活動していた。

2019年4月11日にテレビ東京系の番組「勇者ああああ 〜ゲーム知識ゼロでもなんとなく見られるゲーム番組〜」にて、約3年ぶりに地上波へ登場する。しかし、開始早々序盤からめちゃイケのフレーズを豪語してスベるなど空回りをしでかし、更に三中自身はゲームの知識など全く知らず、肝心のトークではゲームの特徴やシステムについて何も語れず、番組の趣旨と関係ない話ばかりする上に、話術も素人時代からほとんど成長しておらず、面白い内容も無かった為、トーク途中でカットされてしまった

挙げ句に、共演したハリウッドザコシショウハチミツ二郎からは後日、「今までで一番つまらないゲストだった」「放送事故」「三中(と共演した事)を記憶から消したい」と散々扱き下ろされる等、幸先の悪過ぎる他局デビューとなった。


また、それ以前に三中は日本テレビのドラマである『人生が楽しくなる幸せになる法則』にも出演すると芸人仲間や関係者に豪語していたが、実際に出演していたのはたった一話で、それも僅か数秒ほどしか映っていなかったというエキストラ同然のモブ出演に過ぎなかった。その為、世間はおろか周りからは全く注目を浴びず、寧ろこの事実が世に明らかになったのは放送から3カ月も経った上記の「勇者ああああ」へ出演した直後だった。


その後、子供の頃から好きだったウルトラマン仮面ライダーの知識を生かし、本格的に特撮芸人へと転向。

そして2019年9月、同じ特撮芸人を売りとするアマチュア芸人・京佑と新コンビ・『スーパーヒーロー』を正式に結成する(実は当初の予定では前年の2018年5月に同コンビを結成する筈だったのだが、その発表の場で前コンビ『dボタン』やその名付け親になってくれた出川への恩義を無下にした内容の軽口を述べてしまった事で芸能界内外から批判が殺到してしまい、その影響か定かではないが、同コンビ結成が1年以上延期された)。


だが、それ以降もやはり目立った芸能活動は出来ず、コンビを結成してから年を跨いだ2020年。新型コロナウイルスが全国的に流行し始めたことで思うように活動が出来なくなり、元々人気を掴めていなかったことも含めた焦りから次第に相方の京佑とも折り合いが悪くなっていき、ある時とうとうその鬱憤や怒りを彼にぶつけてしまった事が決定打となり、同年の7月24日。三中の30歳の誕生日でもあるその日に京佑が自身のTwitter(現X)アカウントにて『スーパーヒーロー』のコンビ解散を正式に発表。そうして同コンビは売れるどころか話題にも上らず活動の痕跡さえほとんど残らぬまま、『dボタン』時代を遥かに下回る1年にも満たないコンビ期間で奇しくも三中の節目の誕生日に解散という、最初のコンビ解散から心機一転して二度目の同コンビ結成で再起の望みを懸けていたであろう三中にとっては余りにも悲惨な幕切れを迎えてしまった。


そんな三中の零落、迷走ぶりを見かねた先輩芸人達や母親からは、いい加減に芸人は諦めるよう忠告され、三中自身も一時はこのまま芸人を引退することも考えたが、子供の頃からお笑い芸人を夢見てきた気持ちは紛れもなく本物であり、さらにめちゃイケメンバー時代に自らの不義理で迷惑をかける形になってしまったみちのくプロレスの野橋からは、番組降板後の和解した際に「お笑いをやると決めたのはお前自身なんだ。これはお前が行くと決めた道なんだから、今度はもう簡単に逃げたりすんじゃねぇぞ」と激励された事や、かつてのメンバー仲間のジャルジャルからも劇場の売り子として懸命に働いていたことで劇場の仕事終わりに「頑張れよ。いつか苦労は報われるから」と応援されていた以上、ここで諦めればその想いをも裏切ったということでさらに後ろ指を指されると危惧したために何とか芸人引退を踏み止まり、再びピン芸人として活動を続けることにした。


2021年9月20日、ピン芸人・てつ丸とコンビを組んだことが彼のTwitterで明らかとなり、三中にとっては三度目となるコンビ『ラフリベンジャーズ』として活動を開始。2023年現在でも活動中。

尚、今回のコンビ名は三中が提案したもので、曰く「(堕ちるとこまで落ちぶれ果てた)今の状況から一発逆転でリベンジしたい」という想いを込めたとの事だが、それを聞いた相方のてつ丸は「パクリじゃん」と失笑していた。


さらにはある動画で俳優井上正大と共演し、井上が主催するオリジナル特撮作品「PINKの特撮」への出演交渉をしに彼の元を訪れ、PINKの特撮に出演させてほしいと井上に頼み込むなど、特撮芸人らしい活動も積極的に始めていく。

その動画では、井上からは自身のめちゃイケ降板までの経緯が描かれたドキュメント動画を見せられながら、自身に纏わる悪評について色々と追及され、三中もまた動画に取り上げられていた事が全て事実であると認めながらも、現在は反省し、一からやり直すという意味も込めて芸能活動の傍ら、制作側の事情も学ぶ為にADのアルバイトをやっている事を明かした。

それが功を奏し、交渉の末、最終的にADとして雇ってもらえることとなった上、その好から井上が主演・演出を務めた舞台版『牙狼 ~神ノ牙~』にも舞台俳優として出演している。


また、2022年には『仮面ライダーリバイス』に空気階段が出演した22話へエキストラとして出演しているなど、近年は特撮芸人と名乗るに相応しい活動を地道に続けている。


批判と擁護

1万人近くの応募を掻い潜って、人気番組のレギュラーメンバーに選出される』という絶頂に立てたところまではよかったものの、『一般人のレギュラーメンバー』という物珍しさが故に周囲から丁重に扱われ過ぎたことも要因となって、次第に己の人気に慢心、増長してしまい、その結果、自分の力量や立ち位置を正しく見据えることを怠り、周囲からの幾多の忠告や小言も聞き入れることなく、『芸能界』という普通の社会とも異なる特異な常識の蔓延る世界で立ち回る為の術を身に付けず、業界のルールに尽く反目する行動を繰り返し、最終的にそのツケが回ってくる形で、せっかく手に入れた栄光ばかりか、更なる高みに登れる可能性もあったチャンスさえも潰してしまった上、数多くの汚名を背負わされながら一般的な下積み芸人よりも不利な立場へと転落する事となってしまった。

そうした三中の悲劇的ともいえる経緯に対し、「自業自得」「分不相応に調子に乗りすぎた天罰」であると切り捨てる声も多かったが、時が経つにつれて、次第に「三中を育て上げためちゃイケやフジテレビにも問題があったのではないのか?」と、彼をメンバーに起用するきっかけとなった新メンバーオーディションを含め、めちゃイケの後先を考えない番組編成や『責任転嫁』とも見て取れる方針、番組スタッフの三中への対応に対しても批判が相次いで挙がるようになる。


三中の母親や元相方の臼杵をはじめとする旧来の知人によると、めちゃイケメンバーになる前はメンバー時代と比べて真面目な性格であり、学生時代やバイト時代は常に一生懸命に学業や部活、仕事に取り組んでおり、弱音や文句、我儘など一切吐かなかったという。

また、新メンバーオーディション前に芸人を志した際も、親には頼らず、単身上京して生活し、吉本養成所の入学費用もアルバイトで稼ぐ程の誠実さを持っていたとさえ証言されている。


これらの点を踏まえると、三中の性格を豹変させてしまったのは、全国的にも珍しい『素人レギュラーメンバー』であった彼を番組側が必要以上に過保護に扱い、共演者や視聴者もそれに便乗する形で持て囃すだけで、『バラエティー番組の出演者が成すべき“役割”とはどういったものなのか?』『一般社会とも異なる常識が蔓延る芸能界において生き残っていくためにはどのように立ち回っていくべきか?』等の現実的なことをメンバー加入して間もないうちから教育していくことを怠ってしまったのが主な原因であるともいえる(詳細はめちゃイケ記事の「批判」の項目を参照)。

そうして、テレビ業界ひいては芸能界の”美味しい”部分を早くからたくさん味わい、芸人を含めた芸能界に生きる者全ての人間が必ず経験する下積み』を殆ど経験せずにテレビ慣れしてしまった結果、真面目と評されていた三中の心に分不相応な自信や、慢心、怠惰の感情を芽生えさせる事となってしまった。

やがて制作陣の手に余る様になると、今度は三中をぞんざいに扱ったり、『人格矯正』を名目に過酷なノルマや企画を強いて、ついには企画放棄からの再オーディション、そして降板…と少しずつ追い詰めていく形で、自分達がオーディションで採用した筈の三中を蜥蜴の尻尾切りも同然に切り捨ててしまった。

そうした事情から現在では、三中もまた番組の杜撰且つ節操のない方針に振り回された『被害者』であると擁護する意見も少なくない。


また、プロレス企画破綻の際に三中に対して徹底的に糾弾していた古参メンバーの岡村、濱口、加藤、紗理奈らはその時点で視聴者から賛否両論となっていたが、三中がめちゃイケから降板する最後の出演回において、新メンバー加入直後から岡村達は三中に対し邪険に接したり、企画やコーナーにおいて失敗すれば、それを三中のせいにして罵倒するなどあまりにも陰湿な行為を受けていた事も明らかとなったことから、三中の降板後は逆に世間から批判される事が多くなった。


特に岡村は自身がMCを務めるラジオ番組の中で彼が当時結べなかった靴紐を代わり結んであげた若手スタッフに対してお礼を言わなかったことに苦言を呈していたが、後年そのラジオ番組での不適切発言で後日矢部から説教を受けた際、自身もコーヒーを入れてくれた女性スタッフに対してお礼を言わなかった事が明らかになり、更なる批判を浴びることとなった。

また、濱口もとあるネット番組の中で三中の事を「芸能人のダメな例」として名指しで挙げ、彼の一連の行動を改めて批難していたが、それに対して後日有野から自身も若手時代に電波少年のとある企画をリタイアした前科があった事を指摘され、相方だけでなく先輩の森脇健児からも叱責を受ける羽目になった。

紗理奈に至ってはプロレス企画が始まる以前となるめちゃイケSA終了日の生放送中に三中から(悪意はなかったとはいえ)自身のプライベートを好き勝手にいじる不謹慎なボケをかまされて以来、放送中に「嫌い」と断言するほど嫌悪し、めちゃイケ終了まで徹底して三中に冷たい態度を貫いていたが、番組終了をきっかけにテレビの仕事が激減。マネージャーからはその原因として「プライベート(家庭)ばかり優先して、周りのタレントとの間に壁を作っているからだ」と遠回しに三中に行っていた仕打ちを含めた近年の言動を咎められ、盟友である雛形からも「このままだと三ちゃんの二の舞になるよ」と警告された。

なお重盛の発言に対しても後に視聴者から「お前が言うな」と叩かれることとなったが、それに対し本人は「本当はあんなキツいこと言いたくなかったけど、プロの世界はそれだけ厳しいと教えたかった」と弁解している。


これらの批判が故か、めちゃイケ終了後(特に2019年のコロナ禍以降)、岡村はあまり派手な言動や行為を慎むようになり、自分達の番組で三中の話題を取り上げた際に同情する旨のコメントを述べたり、彼のメールにエールを送るなどフォローを行い、ある程度の関係は修復できた。

同じく濱口も上記の軽率な発言が故に世間からの心象が。悪化猛批判を受けたことで、これまでの三中への言及を悔いるようになり、三中が降板後に活動していた舞台を度々観に行き、その都度で彼と撮ったツーショット写真を自身のTwitter(現x)に載せてエールを綴っていた。

そして紗理奈も岡村が結婚した際に、その内容を知人を介して三中に報告し、それを知った三中は岡村へ祝福の言葉を告げ、その事を教えてくれた紗理奈にもお礼を述べていた。

また、加藤はめちゃイケ終了後に発覚した闇営業などに関連する吉本興業の過剰なまでの若手芸人への締め付けに嫌気が刺し、自ら吉本を離れ独立した際に無名の若手が三中のように周りから蹴落とされながら活動する姿を見兼ねた事をきっかけに「今の若手は三ちゃんみたいに辛いのか」とかつてのお笑いと今のお笑いとのギャップに違和感を感じるようになり、その後三中に対して「辛い事があればいつでも相談しにこい」と支援する方向へ進んでおり、その際に三中は加藤に対しても素直に感謝の念を述べていた。


そして、一時期は完全に絶縁・敵対状態になったみちのくプロレスも上記の和解以降は、ある程度の関係性は修復出来、地方公演のイベントにもサプライズゲストとして呼ばれるようになる。そして人生社長も番組や雑誌のインタビュー、他のレスラーとの対談の際に三中の活躍についても触れており、「最終的に脱走はしてしまったが、彼なりに頑張ろうという姿勢もちゃんとあった」と彼の努力を少なからず讃えていた。

同じく野橋も現在の新人レスラーと練習生の育成指導の際に三中の活躍時代の内容に触れて指導しており、当時自分の指導が厳しすぎた事も三中を二度の脱走に至らせてしまった要因のひとつであると当時は同世代のレスラーも含め、批判的な声が相次いだ事を認め、「あの時の自分のやり方(指導)は、三中の心に寄り添えているとは言えなかった」「もう少し深く心を通じ合わせていたら、彼を二度目の脱走へ至らせる事もなかったかもしれない」と反省する一方、「プロレスというものは常に死と隣り合わせになる程の危険な競技であり、レスラーを志望してきた者達がそういう世界に入り込んだ以上、自分達はその者達に対して責任を持ってレスラーとして育成していかなければ、生死に関わる危険もある。だからあの時の自分としては三中に対し、あの様な厳しい指導をするしかなかった」とコメントしている。

その上で野橋は「目の前から逃げることは許されないが、自分の夢を諦めるのはもっと許されないものだ」と三中のように自分で決めた憧れや夢を捨てずに芸人の道を歩み続けていることに関しては決して悪くないと説き、一連の騒動について一時は完全に愛想を尽かした時期もあったものの、現在では「あれもお互いに良い思い出になった」とひとつの“人生経験”として認めている。


未だ世間から『悪い意味』で好奇の対象となっている三中ではあるが、その反面、当記事にも参考資料として取り上げている彼の栄華と転落までの一部始終、そして彼のしでかしたトラブルを紹介したドキュメント動画の再生数は2021年5月にアップロードされてから僅か半年も断たぬ間に200万回再生を突破し、当ピクシブ百科事典に個別記事を持つ吉本興業の芸人の中では、あの明石家さんまに次ぎ、ダウンタウンをも超える2番目に記事の閲覧数が多いなど、軽蔑や嘲弄といえども未だに人々の興味・関心を惹いている事は事実で、三中にとっては痛し痒しな現状といえる。


また、一連の三中の顛末を見届けた若者達の中からは

「三ちゃんのおかげでお笑いの世界やテレビ業界とはどういうものかを知る事ができた」

「『楽をして有名人になろうとしても、碌な事にはならない』といういい教訓になった」

「芸能界で成功する為には、一芸を極めるだけじゃなくTPOや忍耐力、挑戦心など色んな面で精進する必要がある事を改めて認識した」

と(皮肉を含めながらも)三中に感謝する意見も少なからず上がっていた。

ステージに立って漫才やコントを披露したい、バラエティ番組の楽しい企画で笑いを取りたい等とテレビやお笑いを含めた芸能界の表面上だけの部分に安易な憧れを抱いてタレントや芸人を目指していた若者達が、三中の大失敗を見てそれらの世界が決して華やかで楽しいことばかりではないという”現実”を知り、夢を考え直すきっかけになったのならば、彼がめちゃイケメンバーとなった事は決して無駄ではなかったと言える(芸能界サイドからも第二、第三の三中が現れる事は決して望まれていない事と思われる)。


参考資料

【実話】三中元克(三ちゃん)がめちゃイケをクビになった真相...岡村隆史を本気で怒らせた非常識な素人。

三中の栄光と転落までの経緯が詳しく説明されている。なおラフリベンジャーズのYouTubeアカウントにて三中本人が上の動画を見てリアクションする動画も投稿されている。


関連タグ

めちゃイケ 岡村隆史 吉本興業 みちのくプロレス

不祥事 風評被害 出禁


臼杵寛…『dボタン』(2016年2月~2018年1月)時代の相方

京佑…『スーパーヒーロー』(2019年9月~2020年7月)時代の相方

てつ丸…『ラフリベンジャーズ』(2021年9月~)以降の相方


山本圭一…三中とは違う不祥事でめちゃイケを途中降板したレギュラーメンバー。こちらは(事実上)最終回への出演を果たしている。


南信哉…通称「みなみちゃん」。かつて三中同様に一般素人として他局の番組の企画で中華料理の達人の元で修行していたが、こちらも二度に渡って脱走したため、最終的に指導してくれた達人や番組スタッフだけでなく番組MCからも見限られている。


河西智美…同じく他局の人気番組の企画を途中で放棄した当時国民的アイドルグループのメンバーだったタレント。濱口は前述のネット番組の中で三中と同等に批判している。


林下清志…三中の企画が始まる6ヶ月前に彼の四男がみちのくプロレスの入団テストに合格し訓練生になっていたが、わずか2ヶ月で退団している。


2代目林家三平…三中と共に新メンバー加入の失敗例として挙げられている日曜夕方の国民的人気番組の元メンバーだった落語家。彼も約5年半で降板となったが、三中が厳密には5年と4ヶ月であったのに対し、こちらは5年と7ヶ月であり、三中よりも出演期間が長い。三中とは違い、番組降板後もBSで放送されている派生番組には度々ゲストとして出演している。

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