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概要

古来より宮中で、新嘗祭大嘗祭などの折に舞われる

大歌所(大歌の教習・管理をつかさどった役所)の別当の指示のもと、大歌所の人が歌う大歌の中のひとつ五節歌曲を伴奏に舞われる。歌詞は「をとめども をとめさびすも、からたまを たもとにまきて、をとめさびすも(乙女ども乙女さびすも唐玉を袂に巻きて乙女さびすも)」。

舞い手の人数は、大嘗会では5人、新嘗会では4人と定められている。



五節舞はもともとは五穀豊穣を祈願する農耕呪術的な田舞に発するといわれている。それが雅楽寮に組み込まれ教習されるようになって様式が整い、宮中の式楽(儀式に用いられる音楽舞踊)として大嘗会新嘗会において重要な位置を占めるようになった。

また、「天武天皇が吉野行幸の際、夕暮れ和琴を弾いていたところ、天女が舞い降りて五度をひるがえし舞った。それをかたどったものが五節舞である」という伝説もある。


初めから女舞(女性がまう舞)とは限っていなかったようであるが、平安時代には明白に女舞となっており、舞姫は内教坊(ないきょうぼう。宮中で舞姫をおいて女楽・踏歌などを教え練習させた所)に所属している舞妓ではなく、貴族諸氏、受領などの子女が選任されて、これにあたった。その人数も大嘗会には5人、新嘗会には4人と定まっていた。

室町時代にはすでに衰微していた五節舞は、1466年(文正1年)以降廃絶に至り、1753年(宝暦3年)に再興されたが、現在伝わるものは大正天皇即位のおり新たに復活されたものである。


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