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今上天皇

きんじょうてんのう

第125代天皇。昭和天皇の第一皇子。昭和8年降誕、昭和64年(平成元年)即位。治世は平成時代。
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はじめに(注意)

「今上天皇」とは、一般名詞としては「現在在位している天皇」の意味である。ちなみに、天皇が崩御(死去)された後、追号(“昭和”など)が贈られるまでの間は「大行天皇(たいこうてんのう)」と呼称される。
史記秦始皇本紀に「今上知天下(帝(みかど)は天下の全てを知るお方である)」とある。

しかし実際上は、当代の天皇をお呼びする際に用いられる、お名前の代わりである。
なお今上天皇(もしくは今上陛下)とは日常会話において実際使われる事や目にかかる事は少ない呼称で、「天皇陛下」とお呼びすることが多い。なぜならば天皇陛下といえばお一人しかいらっしゃらないからである。
ただし御歴代の天皇と併記する場合には当然、今上天皇と書かれる。

平成26年現在、位に即いておられるのが、第125代天皇であられる今上天皇である。

今上天皇

皇太子時代

昭和8年12月23日昭和天皇の第一皇子として降誕された。
易経』離為火の「大人もってぎ、四方を照らす」より継宮明仁親王と命名された。
「大徳ある帝王は、代々明らかな徳を継承し、絶えずその明徳を明らかにしてやまず、天下四方をあまねく照らし、天下万国を君臨統治なさる」という意味の御命名である。

明仁親王は、成子内親王、祐子内親王、和子内親王、厚子内親王の後の初めての皇子の御誕生だったため、昭和天皇はじめ国民の喜びもひとしおであった。
当時の皇室のしきたりにより、満2歳からは御家族とは切り離されて東宮仮御所でお育ちになった。

太平洋戦争開戦の前年に学習院初等科に入学されたが、東京も戦火に見舞われるようになって日光市の田母澤御用邸に疎開して終戦を迎えられた。
東亜大戦後は再び学習院で学ばれたが、昭和21年10月から4年間、米国の著名な児童文学者ヴァイニング夫人を家庭教師とされて西洋の思想と習慣を学ばれた。

学習院大学政治経済学科に在籍中、昭和27年に立太子の礼を受けられ、正式に「皇太子」となられた。
翌年にはエリザベス女王の戴冠式に昭和天皇の御名代として参列され、各国の公式御訪問も兼ねられた。
欧洲各国と米国の御訪問は、皇太子明仁親王にとって初の外遊で大いに御見聞を広められた。
特に欧洲各国の王室と国民との明るい関係に学ばれたところが多かったようである。
また戦後間も無い時期での訪問は日欧の関係改善にも貢献され、いわゆる「皇室外交」の先駆けとなった。

昭和32年に避暑に訪れた軽井沢で運命の出会いをされた。それが後に現在の皇后となられる正田美智子様である。テニスを通じて交際を深められ、結婚を検討された。
周囲からは反対意見が相次いだが、ついに昭和34年4月10日に御成婚となられた。
当時テレビの普及はまだまだであったが、「世紀の御成婚」の中継を拝見しようと、この年のテレビの契約台数は200万台にはね上がった。
翌昭和35年には第一皇子浩宮徳仁親王が御誕生。その後、礼宮文人親王(秋篠宮)、紀宮清子内親王(黒田清子様)が御誕生となった。

昭和39年、東京オリンピックの後に行われたパラリンピックにおいて、当時皇太子であられた今上天皇が、名誉総裁をお務めになられた。
世界的にもパラリンピックが注目を集めていたとはいえず、まして日本では全く身障者による運動競技など知られていなかった時代に、今上天皇と皇后は連日会議を回られ、選手を激励し、大会終了後には関係者を東宮御所にお招きになった。
そして「日本の選手が、病院や施設にいる人が多かったのに対して、外国の選手は大部分が社会人であることを知り、外国のリハビリテーションが行き届いていると思いました。このような大会を、国内でも毎年行ってもらいたいと思います」と述べられたのである。
このお言葉がきっかけとなって、翌昭和40年から毎年、国民体育大会に合わせて身障者スポーツ大会が開催されるようになった。
施設に閉じこもりがちであった障碍者が外に出て運動競技に取り組むようになり、そして障碍者も勇気と自信を持ち、家族もその姿に支えられてきたという。
どちらかというと閉鎖的であった障碍者施設も社会の脚光を浴びるようになったのであり、まさに障害があろうとも国民の一人として尊重して下さる今上天皇によって日本の障碍者福祉が大きく前進したのであった。

今上天皇は皇太子時代から本土復帰前から沖縄に心を寄せ続けておられた。
沖縄から上京する小中学生との「豆記者」らとの交歓を続け、専門家から沖縄の歴史や文化を学ばれた。
さらに御自身でも独学で琉歌を身につけられ、昭和50年に沖縄の南部戦跡を初めて巡拝された際、真に御自らのお言葉として琉歌をお詠みになった。
摩文仁」と題されたこの琉歌は、沖縄では毎年の戦没者追悼行事において紹介されている。

ご即位

昭和64年1月7日、昭和天皇がお隠れあそばれ、皇太子が皇位を御継承されて即位となり、平成元号が建てられた。「天下の水陸共に平穏となり、万物はそれぞれの成育を遂げる」という意味の元号である。
即位の大礼は翌年に挙行され、この祭祀によって神道でいうところの現人神になられた。
以来、今上天皇は積極的に公務をとられ、「国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史に思いを致し、国と国民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています」とのお考えを日々実践されている。

日本各地に精力的に皇后とともに行幸され、全47都道府県の巡航を果たされた。様々な式典にも参列し、国民との距離を縮められている。
雲仙普賢岳火砕流を皮切りに、阪神淡路大震災新潟県中越沖地震三宅島噴火、伊豆大島土砂崩れなど、自然災害による甚大な被害が発生すると、被災地を訪れて大勢の被災者たちを労わられている。
外遊でも世界中を訪れ、各国元首や現地住民、現地在住日本人などとも活発に交流をされている。

平成5年、今上天皇は即位後初めて沖縄を行幸された。御歴代でも初の沖縄御訪問であった。
今上天皇・皇后は沖縄戦の遺族代表9名に一人一人お声をかけた。そのお言葉に、戦没者の妻は感激のあまりお返事に詰まり、顔を上げることができなかった。
事前には「これで戦後は終わりません」と語っていた遺族ですら、今上天皇のお言葉を聞いた後にはこう述べた。
「長い間ご苦労というお言葉をもらったので満足しています。お言葉には戦没者へのいたわりが感じられました。夫の霊前に報告したい。陛下のお言葉でまた一生懸命やろうという気持ちが湧いてきました」

平成6年、今上天皇は硫黄島へ慰霊のためにご訪問された。
その際、硫黄島を死守し玉砕した守備隊陸軍のトップ、栗林忠道中将が詠んだ辞世の歌
「國の為 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」に対し
「精魂を 込め戦ひし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき」と返歌を詠まれた。
それ以降、硫黄島に駐留する自衛官を悩ませた”怪現象”が劇的に減ったというエピソードもある。

終戦50周年の平成7年、「慰霊の旅」を終えられた今上天皇は、南洋諸島への慰霊のためのご訪問を切望された。
そしてようやく終戦60年にあたる平成17年、サイパン御訪問が実現した。
この頃、韓国では反日運動が高まっており、サイパン御訪問への抗議行動が行われ、サイパンで現地在住の韓国人が、今上天皇を中傷申し上げる横断幕を掲げた。
ところが日本統治時代を知る現地チャモロ人の年配者から、「自分たちの島で韓国人たちが勝手な振る舞いをすることは許さない!天皇陛下は神様である!その神様が来て下さるというのに韓国人たちは何と不届きなことをするのだ!」という声が上がり、多くの現地住民が同調、ついに横断幕は撤収され、抗議行動は中止となった。
天皇が慰霊だけを目的に海外を訪問されたのはこれが初めてであった。厳粛な雰囲気の中、両陛下は黙祷を捧げられた。

平成23年3月11日東北地方太平洋沖地震による東日本大震災が発生したが、3月16日に今上天皇は全国民に向けてビデオによるお言葉を発表された。これは戦後以降では昭和天皇の玉音放送以来の異例のものとなった。
未曽有の大災害に見舞われた全国民は今上天皇の玉音により心底から勇気づけられた。
そのメッセージの主眼は「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」という点であった。
そして天皇はみずから「苦難を分かち合」う先頭に立たれようと、外国大使の信任状奉呈式や閣僚などの認証式といった国事行為の案件にかぎって使用する以外に皇居の宮殿を閉鎖され、御所でも東京電力による計画停電の対象外であったにもかかわらず「自主停電」を実施された。
那須御用邸(栃木県)の職員用浴場を避難者に開放され、御料牧場の卵や野菜、缶詰などを避難所に送られた。
東京都内や埼玉県の避難所をご訪問になり、被災者をくまなく回られて、床に膝をおつきになって、直接お声をかけて慰め、励まされた。
一方では3月末に予定されていた御自身の御静養は見送られ、4月末の遊園会も中止された。
この難局にあたって、被災者に御心をお寄せになる天皇の御姿に、国民の圧倒的多数も「日本は必ず復興できる」と、公共の秩序への揺るがぬ信頼を自覚するに至ったのであった。

その中で、残念ながら闘病生活も余儀なくされ、とくに平成12年以降は癌や肺炎など様々な病気により入退院を繰り返されている。

ご譲位?

平成28年(2016年)7月13日。陛下は宮内庁関係者に「譲位」(“生前退位”は不敬な呼称で誤り)のご意向をお示しになられたという。陛下は「憲法における象徴として公務を十分に果たせる者が天皇の位にあるべきで、公務の軽減や代役(摂政)などで自身の留位は望まない」との考えで、数年以内の皇太子殿下への譲位実現を望まれている。

8月8日に陛下は象徴としてのお務めについてをビデオメッセージで広く国民にお伝えになられ、2度目の平成の玉音放送となった。

退位や譲位は歴代天皇において珍しくはないが、江戸時代後期の光格天皇を最後に明治以降も平成に至るまで退位は約200年間なく、皇室典範でも退位の規定は記されていない。規定がないのは、譲位によって上皇ができることで、新旧天皇による二重権力が起こる恐れから譲位を記さなかった。現在でも天皇の終身制を改めた「皇位定年制案」の議論も存在するが、皇室典範改正を含めた大きな議論を起こすものとみられている。

今後もこの件についての動静は注視される。

人物や逸話

  • 実は左利きであったが幼少期に矯正を受けられて、その後は両利きでいられる。
  • 奥日光に疎開されてた時は東京の昭和天皇と手紙でやり取りをされ、その中には昭和天皇の敗戦の原因についても書かれていた。
  • 疎開先での授業の際に特攻を説明されていた将校に「何故特攻をしなければならないのか?人的戦力を消耗するだけではないのか?」と率直な質問をされ、その場にいた誰もが返答に窮させてしまった。
  • ご本人曰く「できないことは口にしない、できることだけを口にする」という信念をお持ちになられている。
  • 卒業間近の学生時代のとある日、ご学友2人とともに東宮侍従長に黙って銀座へ遊びに出かけ、喫茶店でコーヒーや洋菓子店でアップルパイや紅茶を楽しまれた。後に「銀ブラ事件」と呼ばれた騒動である。
  • 自動車愛好家としても知られ、英・デイムラーや伊・アルファロメオに始まり、プリンス自動車・プリンスセダン(その他同社製9台) ホンダアコードレジェンドクーペインテグラなど実際に運転したことのある車種が非常に多い。2010年に放映されたテレビ番組でも天皇自らがハンドルを握り、助手席には皇后が、後部座席には侍従が同乗する映像が流れている。
  • 鉄道に関する関心も深いが、その一方で特別扱いを嫌い国民に迷惑を掛けたくないと配慮なされる人柄でもあり、公務による長距離移動の際は宮内庁専用に用意された御料車よりも一般車両を借り切るお召し列車をお使いになられることが多い。
  • 平成13年に桓武天皇が韓国王室と血縁関係を持っている点について発言され、韓国では一時的でありながら大いに関心を集めた。


東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(平成23年3月16日)

この度の東北地方太平洋沖地震は,マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり,被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し,犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また,現在,原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ,関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。

現在,国を挙げての救援活動が進められていますが,厳しい寒さの中で,多くの人々が,食糧,飲料水,燃料などの不足により,極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより,被災者の状況が少しでも好転し,人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして,何にも増して,この大災害を生き抜き,被災者としての自らを励ましつつ,これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。

自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々,諸外国から救援のために来日した人々,国内の様々な救援組織に属する人々が,余震の続く危険な状況の中で,日夜救援活動を進めている努力に感謝し,その労を深くねぎらいたく思います。

今回,世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き,その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。

海外においては,この深い悲しみの中で,日本人が,取り乱すことなく助け合い,秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え,いたわり合って,この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を,私たち皆が,様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく,身体からだを大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう,また,国民一人びとりが,被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ,被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。

(宮内庁ホームページより)

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おそれおおいですが
先帝陛下「来ちゃったw^^」



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