概要
写植時代の印刷業界で知らぬ者はいなかった写植機メーカー。かつては同根企業にしてライバルのモリサワと日本語写植システムの販売を二分していたが、印字品質に優れる写研が圧倒的に優勢であった。
しかし書体と植字を自社で一体開発することにこだわるあまり、モリサワとAdobeの主導した書体のオープン化を拒否したことから、DTP化の流れに取り残される。現在では、「ガリバー」とまで呼ばれた過去の栄光が見る影も無い中小企業と成り果てている。
1970〜90年代には「スーボ」「ゴナ」「ナール」などの名書体を輩出し、雑誌や書籍をはじめ、漫画・アニメ・ゲーム関連の冊子、さらには看板、道路標識などの公的な分野まで多く使われた。「スーボ」の生みの親である鈴木勉が立ち上げた字游工房をはじめ、かつてのフォントデザイナーの間では「元写研」の肩書きがステータスになっていた。
2020年代現在でもゴナなどの写研書体は駅名標や道路標識などでまだ姿を見ることができるが、新規採用は既になく、モリサワの新ゴや字游工房がデザインしたヒラギノなどへの置き換えが進められている。
写植機の製造は終了したが、過去の電算写植機のサポートは細々と続いている。DTPで使える写研書体は長年待望されてきたが、現在はモリサワと同社傘下の字游工房がOpenType化を進めており、第一弾となる「石井明朝」「石井ゴシック」がモリサワのフォントサービスに組み込まれる形で2024年にリリース予定である。
没落
2000年代、写研はDTP化の潮流には背を向け、かなり長い間自社サイトさえ立ち上げなかったことから、印刷業界内で急速に存在感を薄れさせていった。創業者の娘でワンマン経営者であった石井裕子社長は写研書体を自社システム以外にリリースすることを拒否。かつては1200人以上の従業員を擁していたが、2000年の本蘭ゴシックの発表と最後の電算組版システムSingisの発売後は新規事業を一切行わず、寡占状態の時代に溜め込んだ膨大な内部留保金を食いつぶしながら業務を縮小し、フォントレンタルと過去の写植機のメンテナンスで食いつなぐ化石のような企業と成り果てた。
2011年にはようやく方針を転換し、DTPで使えるOpenTypeフォントのリリースを表明。業界の注目を集めるが、写研にはすでにフォント開発の人材がおらず、挫折を余儀なくされた。
そんな中、写研書体が2010年代初頭まで使われていたのが放送業界である。中には写研の書体目当てでプリキュアシリーズを見ていた人さえいるほど。
2018年、石井裕子社長が逝去。埼玉県和光市にあった工場が解体され、他の遊休資産も売却されて時代に一区切りがつく。2021年にはモリサワと共同で写研フォントのOpenType化に取り組むと発表した。