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古墳時代(こふんじだい)は、日本列島において古墳、特に前方後円墳の築造が卓越した時代を意味する、考古学上の時期区分である。弥生時代の次、飛鳥時代の前に当たる。大まかにいえば、王権の象徴である巨大な前方後円墳が作られた時代であるが、古墳の成立と衰微の解釈によって、始期と終期にはある程度の論争がある。


西暦では3世紀後半から7世紀前半に相当する。だいたい卑弥呼が亡くなったころから聖徳太子の時代までである。

昭和頃までは俗に「大和時代」とも呼ばれた。ただし、これは俗に大和朝廷(ヤマト王権)の成立から平城京遷都までを一緒くたにしたもので、この区分だと弥生時代の末期から飛鳥時代までも丸々含むことになる。今でも図書館等で読むことの出来る古くからの日本史学習漫画では、旧石器以前や縄文・弥生時代を書いた次の巻が「大和時代」としてあるものがある。


弥生時代後期に大型化した墳丘墓は古墳時代の到来とともに巨大化し、日本固有の墓制である前方後円墳となって東北地方南部以南の各地に広がる。5世紀には著しく巨大な古墳が造られるようになり、大山古墳のように全長が500m近くに及ぶものも築かれた。6世紀の末には前方後円墳が造られなくなり、古墳の規模が小型化。大化2年(646年)の薄葬令で古墳の築造が停止される。


朝廷の支配が及ばなかった北海道・北東北地方では、それ以降も墳丘墓の築造が続けられ、これらは末期古墳と呼ばれる。


度重なる内乱や朝鮮半島への出兵を経て、現在の皇室につながる朝廷の支配が確立したのが、この時代である。最初の巨大前方後円墳と呼ばれる箸墓古墳の造営より少し前に、三輪山麓に巨大な都が造営され、現代に纏向遺跡として残っている。この地に成立した王権が、都の移動はある(葛城王朝説や継体王朝説のように血統の移動があるという説もある)ものの、そのまま大和朝廷となって飛鳥時代以降も継続して日本各地を征服していくことになる。

当時の日本にあったという倭国邪馬台国について詳述する魏志倭人伝をはじめとした中国側の文献は豊富な時代であるが、日本側の文献は数百年後の古事記日本書紀にまで下るので、考古学的に調べるしか無い。


当時の日本は中国大陸からは倭国と呼ばれ、西日本を中心に多くの都市国家が発生し、各地の勢力が武力で衝突を繰り返した(倭国大乱)。伝説的な女王ヒミコがいたとされるがちょうど古墳時代初期である。

ただし『魏志』倭人伝は同時代の史料として非常に貴重であるが、後世に書かれた例えば『日本書紀』が何らかの政治的意図で作られたように、魏志にも中国正史としての政治的目的と理念的な思い込みとによって、歪んだ部分が多く、実像とのズレの程度は未だ不明である。

古墳時代初期の歴史については、今後とも考古学的な研究の進展と、それに伴う文献資料の再解釈が待たれることになるであろう。


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