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概要

日本海軍古鷹型重巡洋艦の1番艦日本初の重巡洋艦として1925年2月25日進水。艦名は江田島の海軍兵学校のそばにある古鷹山に由来する。


ワシントン海軍軍縮条約下において限界ギリギリの小排水量と重武装を両立させ、かつ良好な航行性能を確保した高性能艦であり、古鷹型の存在が、後のロンドン海軍軍縮会議にて「重巡洋艦」というカテゴリーを生むきっかけとなった。


ただし、限界ギリギリの小排水量と重武装のため居住性が犠牲になっている。

重量オーバー気味で喫水が深くなり、小型艇が艦の付近を通る度に乾舷の小窓から水が浸入してしまうため窓を開けられず、締め切った窓からはよく海中が見えたため、同型艦の加古共々、他艦の乗組員から「水族館」と言う不名誉なあだ名を頂戴してしまった。居住性は次級の青葉型でも改善されておらず(主砲ターレット以外は古鷹型まんまなのだから当然だが)、従軍作家として乗り組んだ海野十三氏もそのことに関して言及している。


1942年8月、ソロモン沖海戦では米豪連合艦隊と交戦して敵艦4隻を撃沈する戦果を挙げたが、帰路に就く途中アメリカ軍の潜水艦S-44による雷撃で姉妹艦の加古を失っている。


1942年10月11日、運命のサボ島沖海戦では敵味方を誤認した青葉を護る形で敵の集中攻撃を受け、被弾の際に魚雷が誘爆し炎上。その後も集中砲火を浴び続けた末に航行不能に陥る。戦闘終了まで耐えたが、翌日12日の午前0時に遂に沈没。戦死者数は33名だった。その後も、生存者が捕虜収容所で反乱事件(フェザーストン事件)に遭遇するなど、逸話の多い艦である。


古鷹の戦没から70年余りが経過した2019年2月25日、マイクロソフト共同創業者の故・ポール・アレン氏の遺志を継いだ探索チームがサボ島沖合北西部の水深1400メートル地点に眠る古鷹の残骸を発見。同年5月5日にfacebookなどを通じて写真や動画などを公開している。


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