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四式十五糎自走砲

よんしきじゅうごせんちじそうほう

『四式十五糎自走砲』は、第二次世界大戦末期に大日本帝国陸軍が開発・運用した対戦車自走砲である。
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この車両は大日本帝国陸軍太平洋戦争末期に開発した対戦車自走砲であり、旧式榴弾砲と旧式戦車とを組み合わせて拵えた(後述)割には意外と活躍した。


概要

 この車両は1944年の時点ですでに旧式と化していた九七式中戦車の車体に、こちらも旧式の三八式十五糎榴弾砲(この榴弾砲明治時代に発注されたものであり、2t以上あったため国産のでの運搬が不可能のため本来分解を考慮していないのに分解して輸送してたりする大砲)を搭載した車両。秘匿名は「ホロ」。

 この車両の構造としては九十七式戦車の車体に十五糎榴弾砲砲を載せ、正面装甲厚25mm側面12㎜のオープントップ式(天井がない形式)の固定戦闘室を設け、車体後部に弾薬箱を搭載した。砲弾数は車内に16発、弾薬箱の方には12発の計28発が搭載可能であった。


 この車両は榴弾砲を搭載している為、一見歩兵支援用の車両に見えるが、本車両の想定していた主任務は最初から15cm級榴弾砲の大火力を生かした対戦車戦闘であり、本車は立派な対戦車自走砲である。

 この車両の砲身は構造的に仰角が取れず、さらに曲射用ではなく直射用の照準器が付けられているのがその証であり、実際にルソン(フィリピン北部の大きな島、首都マニラやフィリピン一人口の多いケソンなどが存在する)で実戦に投入された際には対戦車自走砲としてM4シャーマンに対して用いられている。

 この車両の主砲は旧式ではあったものの撃ち出す15cm級の榴弾は直撃弾はもちろんのこと、すぐ近くで炸裂しただけでも敵戦車を破壊ないし戦闘不能にすることが出来たとされる。

 当時の戦車は大口径榴弾の直撃や至近爆発には意外と弱く、徹甲弾成形炸薬弾のように「撃ち抜く」のではなく、弾量効果と爆発力で「叩き割る」という戦法も通用した。


 むろんこの兵器は利点ばかりではなく、本車両の類似の戦闘車両にも言えることだが、砲弾が重いため装填に時間がかかること、砲弾の発射速度が遅いため移動する目標に対して不向きであること、オープントップの為上方からの機銃掃射などに弱かった事、砲弾が大きく嵩張るため車体に多く搭載できないこと(ドイツ軍の同様の兵器であるフンメルでは砲弾輸送車が存在した)があげられる。

この車両の利用

 太平洋戦争においてフィリピンで使用された。この際1両が鹵獲され、アメリカ合衆国にて展示されている。また、本土決戦にて使用される計画も存在したものの、敗戦により実現しなかった。


関連タグ

対戦車自走砲

一式砲戦車 四式砲戦車

参照

wikipedia同項目および三八式十五糎榴弾砲

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