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概要

飛鳥時代における日本の豪族である、日本書紀に記されている当時の福岡県八女を統治していた大伴氏に属する使用人であり(『部』は古代の部民制に基づく呼称で、何らかの仕事に関わっていたり、王宮や豪族に所属する一団のことを指す)、日本の歴史上で唯一はっきりと「奴隷」であったことが断言される人物で、後述の逸話により愛国」の語源となった人物でもある。


逸話

当時の中華王朝であると手を組んだ新羅(朝鮮半島南東部にあった国家)により滅ぼされた百済(朝鮮半島南西部にあった国家)の遺臣たちが、日本に滞在していた百済王である太子豊璋王を擁立して百済国の復興を掲げ、日本に救援を要請し中大兄皇子がこれを承諾して斉明天皇に働きかけたことで出兵が決定された。


そうして百済・日本による百済復興軍は百済国の奪還・再興のために新羅へと攻め入り、博麻もこの戦いにおいて兵士として参戦していたが、危険を感じた新羅軍は再び唐に援軍を要請し、両連合軍が相まみえた663年の『白村江の戦い』において、戦いの中で唐・新羅の連合軍に捕らえられ、長安捕虜として連れて行かれてしまう。


連れて行かれた先で、博麻は敵の唐・新羅連合軍から「日本を攻めるなら今だ」という気運が高まり侵略計画が進められている情報を知り、祖国にそれを伝えるために自分自身を奴隷として唐人に売り、それで得たお金で自身と同様に捕まっていた高官4人を日本に返し、そのおかげで日本侵略計画の情報が伝えられ、天智天皇により水城や大野城などの防衛ラインの構築が進められ、連合軍は日本侵攻を諦め、日本は危機を免れることができた。


博麻は二十数年もの間、唐で奴隷として過ごしたが、顔見知りであった新羅使の手引きによりようやく帰国する。

彼のこの行動に当時の持統天皇は感銘を受け、彼の帰国後に階位と報償を与え、以下の彼を称える勅語を送った。


朕嘉厥尊朝愛国売己顕忠


訳:「朕は、朝廷を尊び、国を愛し、己を売ってまで忠を顕したことをうれしく思う


この勅語が、日本における「愛国」の語源となったとされている。


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