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大友宗麟

おおともそうりん

九州の戦国武将。キリシタン大名として有名である。なお、宗麟は法号であり本名は義鎮(よししげ)。
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概要

享禄3年(1530年)に豊後(現在の大分県の一部)府内で大友義鑑の嫡男に生まれた。一時は異母弟に家督が奪われる危機があったが、家臣の反乱で退けられ、天文19年(1550年)に家督を継いで大友家第21代当主に就いた。
天文年間から九州に勢力を拡大し、南蛮貿易で経済力を高め、フランシスコ・ザビエルを招き、キリスト教の布教を許可。
永禄2年(1559年)には室町幕府第13代将軍・足利義輝に献金で働きかけて豊前と筑前の守護に任じられ、同年には九州探題に補任された。また翌年の永禄3年(1560年)には、左衛門督に任官した。
薩摩鹿児島県)の島津家や肥前佐賀県長崎県の一部)の龍造寺家などの強豪、関門海峡向かいの毛利家(元就輝元)などの中国地方の武将と覇権を争い、自身の巧みな外交や優れた謀略に加え、優秀な家臣団の尽力により勢力を拡大。北九州に一大勢力を築いて大友家の最盛期を創出。この頃の大友家は名実共に九州最大の勢力であり、六カ国を支配していた。
しかし元亀元年(1570年)、龍造寺隆信に敗れてから徐々に雲行きが怪しくなる。
そして極めつけとなったのが、天正5年(1577年)の耳川の戦いである。この年、島津義久が日向宮崎県)に侵攻したため、宗麟は3万を越える大軍を率いて迎撃に出陣。耳川で対陣するが、大敗北を喫して多くの家臣を失ってしまう。これが原因で筑後福岡県南部)の諸勢力が離反。さらに家督を譲った嫡男義統との対立も深まって、大友家は衰退していく。翌年に宣教師から洗礼を受け、洗礼名を「ドン・フランシスコ」と名乗り、キリスト教徒となった。
天正14年(1586年)、大坂で豊臣秀吉に面会し、豊臣家の傘下になったが、島津義弘との抗争は続き、大砲を輸入するも国力は疲弊。そこへ天正15年(1587年)に秀吉の九州攻めが始まり、島津軍を破っていき停戦。しかし、その年に自国の衰退を目の当たりにしながら、宗麟は58歳で病死した。

人物

わざわざ京都に美女を探しに行ったり、家臣の妻を略奪したりとかなりの好色家と言われ、政務を疎かにして遊んだり酒に浸ったりと、他人を考えない暴君と伝えられている。
熱心なキリシタンとなった宗麟は、神道を信奉する妻の奈多夫人とは非常に仲が悪くなった。結局宗麟のほうから一方的に離婚しており、これに怒った夫人はこの元夫を呪い殺そうとした伝わる。
積極的に領土拡張を続けた前半生に比べ、後半生はキリスト教に帰依した為か、自分の心や領内の安らぎを求めた無欲の武将だったとも言われ、前述の暴君振りとは相反する。
家臣には恵まれ、とくに戸次鑑連(立花道雪)はためらいなく宗麟の暴挙や失敗を諫めていた。

キリスト教と南蛮貿易を通じてヨーロッパ文化に傾倒。西洋医学も積極的に導入して病院を建て、領内の医療を高めた。(大分を訪ね、西洋医療を広め日本初の病院を開設した医師ルイス=デ=アルメイダの名前は、のちのアルメイダ病院の名前の元になった。)
キリスト教に深く帰依し、キリスト教による理想国を目指し、天正遣欧使節を派遣した。その一方、急激なキリスト教の受け入れで家臣達との対立につながり、神社仏閣の破壊が相次いだ。

架空キャラとしての宗麟

戦国BASARAシリーズ

大友宗麟さん


大友宗麟(戦国BASARA)を参照。
ぶっちゃけ天下統一の野望が無い以外は全く変わっていない。

うっかり戦国四コマかいこ→かいこ

/ しょうがないなぁ \


キリシタン大名としての側面と、精神的に不安定な側面が強調された宗麟。
浮ついたノリで女遊びやクリスマスパーティなどを企画しては、部下の戸次鑑連(通称ベッキー)から説教されているが、めげない。
修道士のような服装とクロスしたベルトのデザインが特徴。

戦国無双

武器:刀剣(3Empまで) 槍(4Emp) 声:山田真一(2) 藤本たかひろ(3) 宮坂俊蔵(4)

おお! この音楽への熱情を、戦いに捧げよう…!」(3Empの特殊名乗り)

2では特に何も無い武将であったが、3の島津の戦史演武では史実のキリスト教の1つである音楽(music)を重視する傲慢なキャラクターとして設定されている。語尾は「…のだー!」。
岩屋城の戦いが終了すると死亡し、息子・大友義統が後を継ぐ。

ちなみに息子の義統(声は岡本寛志)も傲慢な息子であり、立花道雪の話を聞かない上に、話に飽きると暴言を吐いたり、事ある毎に「これ、決定事情な!」を入れる。その為、立花誾千代から怒りを買った。

最終的に戸次川の戦いで敗北後、女遊びという理由で敵前逃亡した事により秀吉の怒りを買って改易。まさに話を聞かない挙句の自業自得である。

4ではムービーのみで登場したが、流浪演武でのパートナー武将としては使用不可能。(それどころか、列伝にも無し)・・・だったが、4Empにて固有のデザインで再登場を果たした。

関連タグ

日本史 戦国時代 戦国武将
戸次鑑連(立花道雪) 立花宗茂 一条兼定

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