ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

孝霊天皇

こうれいてんのう

日本国第七代天皇。大日本根子彦太瓊尊(オオヤマトネコヒコフトニノミコト)。いわゆる欠史八代の1人で、戦後は実在しない天皇と捉える見方が一般的であったが、近年は実在説の方が説得力をもつ。
目次 [非表示]

系譜

父は孝安天皇。母は、天足彦国押人命(アマタラシヒコクニオシヒトノミコト)の女・押媛。


実績

孝安天皇102年、父帝・孝安天皇が崩御すると黒田庵戸宮(くろだのいおとのみや、奈良県磯城郡、田原本町黒田の法楽寺が伝承地)に移し、翌年に即位した。


御陵

片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ、奈良県北葛城郡王寺町本町三丁目)。古事記には「片岡馬坂上」と書かれている。


皇統

・大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと、第8代・孝元天皇

  • 妃:春日千乳早山香媛(かすがのちちはややまかひめ、十市県主大目の娘)

・千千速比売命(ちちはやひめのみこと)古事記のみ

・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)

・日子刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)古事記のみ

彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)

・倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと)

  • 妃:絙某弟(はえいろど)

・彦狭島命(ひこさしまのみこと)

・稚武彦命(わかたけひこのみこと)

  • 妃:真舌媛(ましたひめ)

史実性

神武天皇の崩御後は10代崇神天皇に至るまでの間、国内には有事なく、天下はよく治まって基礎がますます固まっていった。そのため『古事記』『日本書紀』に事跡の記事を欠き、戦後は実在しなかったとの見方が通説であった。

しかし都の所在地は創作ではありえず、御陵の記録も平地の前方後円墳ではなく考古学的な事実と一致しており、近年では創作説が説得力を失っている。


「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊天皇・8代孝元天皇・9代開化天皇、少し離れて22代清寧天皇(『古事記』)にみえ、記紀の編纂が最終段階に入った7世紀末から8世紀初めに存在した持統天皇・文武天皇・元明天皇・元正天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にもみえる。このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の記紀編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したとの疑いが濃厚であるとされた。

しかし後代の名辞が前代の名辞にちなんでつけられた可能性が当然あり、記紀成立後の平安時代にも明らかに前代の名辞を踏襲したことを確認できる実例がある。それは他ならぬヤマトネコの語を共通して含む桓武天皇・平城天皇・淳和天皇・仁明天応のケースで、これはとても否定の根拠にはなりえない


その他

琵琶湖・富士山形成

孝霊天皇5年の時、大地に大きな裂け目ができて琵琶湖が形成され、その土が駿河国に積み上がり富士山になったと言われている。

桃太郎

皇子の彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)と稚武彦命の兄弟は共に伝説上の桃太郎モデルであるといわれている(一般に彦五十狭芹彦命の方が有名である)。

耶馬台・卑弥呼

皇女の倭迹迹日百襲姫命巫女として活躍するが、彼女が邪馬台国卑弥呼だと比定する説がある。


関連タグ

欠史八代

関連記事

親記事

歴代の天皇 れきだいのてんのう

子記事

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 335

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました