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孫皎

そんこう

後漢末期から三国時代にかけての武将。従兄に当たる呉の孫権に仕えた。
目次 [非表示]

概要

生没年:?~219年。

孫静の三男。字は叔朗。兄に孫暠・孫瑜、子に孫胤・孫晞・孫咨・孫弥・孫儀がいる。

孫策孫権孫尚香兄妹のいとこに当たる。


メディアにおいては、SEGAが発表し現在も稼動しているアーケードカードゲーム「三国志大戦」に登場している。

pixivに投稿されている孫皎のほとんどが、この三国志大戦の孫皎。イラストは戸橋ことみ氏が担当している。


人物像

戦となればその勇猛をいかんなく発揮し、その様子に周囲から精鋭と高く評価された。

勇猛ばかりでなく軍事にも優れ、領地に進軍してきた魏軍を幾度も退け、見事に防衛した。

諸葛謹を始めとして国内の名士との交流も厚く、人に施しをすることを好んだ。民衆に対しても情を持ち、大切にしていたというエピソードがある。

人物眼もあり、数々の優秀な人材を登用しては適材適所で活用するなど、人事面においても優秀な人物であることが記されている。そのため人望も厚く、武将として出来た男だったようだ。

しかし、その一方で喧嘩っ早く怖いもの知らずであり、そのせいでトラブルを起こすこともしばしば。

その面を考慮しても武将として非常に優秀な人物であり、呉を支えた人間の一人である。


経歴

孫皎が世に出た頃、孫静の家は孫静自身が呉に引退し、長兄・孫暠は孫策死後に謀反を起こそうとして失敗し幽閉されており、次兄・孫瑜が孫静の家を継いでいた。

孫権に仕えた当初は二千の兵を預かる護軍校尉に任じられたが、曹操軍との濡須での戦いでその軍事の才能と勇猛ぶりを発揮し奮戦ぶりから周囲からの評判が一気に上昇し、精鋭であるという認識がなされ若くして出世することになった。

その後は都護征虜将軍に任命される。のちに程普の後任として夏口の司令官に任命されたほか、黄蓋と孫瑜が死去すると、この両者の軍もあわせての指揮権が与えられるなど、武将として大きく躍進していくこととなる。

その結果、沙羨、雲杜、南新市、竟陵を領地(奉邑)として与えられ、代官を通してこれを統治することとなる。


219年、劉備との荊州争奪戦において、孫権は始め呂蒙と孫皎に軍を分けてそれぞれに統率させようとしていた。

しかし、呂蒙は軍の指揮系統の一本化を重んじた結果これを拒否。結果として、孫皎は後詰めを任されることとなる。

孫皎自身は陸遜と並んで逃げる関羽を捉えるのに大きく貢献した。しかしその直後に病床につき早世した。

孫皎の死後はその役職と軍勢のほとんどが弟の孫奐に引き継がれることとなる。

孫権は孫皎の生前の功績を評価し、子の孫胤を丹陽侯とした。こうして、孫皎の血筋が後に続いていくこととなる。


エピソード

酒の勢いで喧嘩に発展

孫皎というと、蒼天航路でも取り上げられたこのエピソードが浮かぶ人も多いだろう。

あるとき、酒の席において孫皎がひどく酔ってしまったときがあった。

そして、その喧嘩っ早さと怖いもの知らずと酒の酔いが災いして、同じに場にいた年長の甘寧と口論に発展。

それを見かねた孫権は孫皎を諌め、その場は何とか治まった。

後日、酒が抜けた孫皎はひどく反省し、甘寧に謝罪した。それから、甘寧との交流が生まれたとされている。

喧嘩っ早くときに無礼な態度もとってしまうが、それなりの礼節はあるというエピソードだ。


捕虜の女性を敵地へ送り返す

ある戦の後、兵士が捕虜にしたとある女性を孫皎に献上しようとしたことがあった。孫皎はそれを見るなり女性に服を用意させ、丁重に扱い、無事敵地に送り返した。

孫皎は今後このようなことがないよう、兵たちに「民衆を慈しむように」と命じた。それ以降、孫皎軍の中では民衆を丁寧に扱うことが徹底された。それ以来、人々から名声を集めるようになったとされている。

戦では勇猛で恐れられ、荒っぽくがさつであるが、一方で弱く戦えない立場の人間には優しく、人格を持った人物であることが窺える。


メディアでの孫皎

他の漫画やアニメやゲームではキャラ付けされているものは少なく、三国志大戦や蒼天航路などでその姿が確認できる。

初出は「三国志大戦3.5 ~猛き鳳凰の天翔~」

レアリティはSR。SRに恥じないスペックと特技に計略持ち。弓が多めな呉軍において、デッキ構築をするときにそのスペックの高さから選択によく入る。

弓のスキルがきちんとあれば足を引っ張るということはまずないので、複数色デッキを組むときに入っていることが時々ある。


三国志大戦での孫皎

見た目は白い長髪に荒々しい顔つき、そして程よく引き締まった体に水色を基調とした陣羽織を身に纏っている。

弓兵という兵種を意識してかそこまで重装備ではなく、比較的軽装備と言えるだろう。氏のイラストの傾向で肌が青白く書かれているが、またそれが全体の雰囲気にマッチしている。

顔に関しては、三国志大戦の中ではイケメンと言われる部類だろう。そのせいか、武将カードとしての能力の高さで男性に、そして見た目で女性にもそこそこ人気がある。

ちくしょうイケメン爆発すればいいのに。



カードとしてのスペック

前述したように、弓としては全軍勢きっての高スペック。

武力8に知力4、特技は一騎打ちで有利になる「勇猛」と槍兵の槍オーラを消せる「崩射」の二つ。コストは2とSRならではの重さだが、それを払拭できるスペックだ。

コスト2で武力8は高いほうであるし、知力も4あれば伏兵一発で落ちることもない。勇猛があればもし一騎打ちが発生してしまったときの事故抑制になるし、崩射はうまく扱えれば槍を無効化できる。


それだけでも非常に強力なのだが、孫皎の最大の特徴が計略「弐連剛弓戦法」だ。

計略発動時の「観念しなー!」が一時期有名になった。

その効果は至ってシンプル。弓限定のアクション「走射」が剛弓効果を得てダメージが増加するというものだ。

説明だけを聞けばそこまで強くなさそうな感じがするが、バージョン3.51Bまでは一回の走射で兵力ゲージ(いわゆる体力ゲージ)がかなりモリモリ減っていく。

どれぐらい減るかというと、武力1だったら冗談じゃなく一瞬にして3分の1以上減る。武力が高かろうがそれは関係なく、かなりゴリゴリ減らされて、あっというまに撤退か城内へ戻ることを余儀なくされた。

そしてこの計略、一武将のみに効果があるのでなく、何と二武将同時に弓を撃つことができる。一体どうなっているんだ。

その強さのせいで一気に使用ランキングが上昇していき、今年の5月頃には上位を独占。

同じく呉のR文鴬と合わせてデッキを組まれ、全国大戦で猛威を振るったほか、頂上決戦でもよくその姿を見るようになった。


しかしあまりにも猛威を振るいすぎたせいで、3.59にバージョンアップされると武力上昇値と効果時間、そして主力の剛弓ダメージが減少してしまった。

さらには新カードとして登場したR谷利のせいで立場が脅かされ、次第にランキングの順位を落としている。

しかし元のスペックの高さや、計略自体もまだまだ現役で使えるレベルであるため、未だに使用している君主は多い。

ダメージを取るか、それとも安定と事故抑制を取るか、それは君主の感性とデッキにご相談だ。


蒼天航路

荊州争奪戦で登場。拳法や剣術など武を鍛え上げており、廖化を拳法で倒している。「黒虎背剣」などの技で関羽に挑むが怒りでバーサーカー状態の関羽には全く通用せずあっさり斬られてしまった。


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