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安倍晋三

あべしんぞう

第90・96・97代内閣総理大臣。pixivサービス開設当時の首相。
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概要

日本政治家。出身は東京都。本籍は山口県で、国会議員としては山口県西部(下関市周辺)を地盤としている。第90・96・97代内閣総理大臣、第21・25代自民党総裁(在任:平成18年9月~平成19年9月、平成24年9月~)。

プロフィール

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人名安倍晋三
本名安倍 晋三(あべ しんぞう)
生年月日1954年9月21日
出生地東京都
没年月日--
死没地--
出身地東京都
本籍地山口県
職業・肩書内閣総理大臣


父は安倍晋太郎、母方の祖父は岸信介、大叔父は佐藤栄作という、政界のサラブレッド。同じ党に所属する岸信夫は実弟である(幼少時に母方実家の岸家の養子に出されている)。
妻の安倍昭恵はラジオパーソナリティ等で活動。子供はおらず(不妊治療を行って実らなかったことは公表している)、後継の予定については不明。

「安倍」は平安時代後期の東北地方に発祥するとされる姓であるが、阿部とか安部とかに間違えられやすいのが泣き所である。

政治家となるまで

中学校から大学までを成蹊学園で過ごし、成蹊大学法学部政治学科を卒業。留学の後神戸製鋼に勤務、3年後退社して父の秘書を務める。1991年に父の死去に伴い出馬、第40回衆議院議員総選挙で初当選。

第90代内閣総理大臣時代

小泉純一郎前首相に後継者指名され、小泉政権の継承者として自民党内外から非常に期待が高かった。戦後最年少の首相であり、また、初の戦後生まれの首相であった。

在任中は特に教育政策を重視し、中曽根康弘政権以降の「ゆとり教育」から「詰め込み教育」への回帰をはかり、教育基本法を改正した。

就任当初から、安倍内閣の不可思議な閣僚人事が批判の的となった。安倍は「美しい国づくり内閣」と命名したが、マスコミからは「論功行賞内閣」「お友達内閣」とされた。以前から安倍に近い筋だった議員や、総裁選にあたって安倍の当選をバックアップした人物が数多く並んだためである。
しかも、その閣僚たちが、 戦後初めての自殺した大臣である松岡農水大臣、
「女性は子供を生む機械」と発言してしまった柳沢厚労大臣、
事務所経費問題で揺れた赤城農水大臣など、失態を起こすことが多く、その結果が支持率の低下、参院選大惨敗。マスコミの過剰なネガティブキャンペーンもあり、支持率低下に歯止めがかからず、自身の健康問題を機に、遂に内閣総辞職に追い込まれた。

第96・97代内閣総理大臣時代

その後自身の最大の弱点だった健康問題(潰瘍性大腸炎)を新薬の助けで寛解し克服。

2012年9月、前任の谷垣総裁の後任として再度総裁に登板。今回は野党党首としての登板となり同年12月の衆議院選挙で自民党を293議席の大勝利に導き、再度の首相登板を果たした。一度総理の職を退いた政治家が再び総理大臣となるのは、戦後史では吉田茂首相以来で、平成に入ってからは初のことである。

安倍内閣では麻生太郎元首相、谷垣禎一元総裁を再び大臣として起用する一方、下村博文山本一太稲田朋美など初入閣の人材も起用。

就任当初は経済政策を重視。その大胆なデフレ抑制政策は「アベノミクス」と呼ばれ、民主党政権の反動とアベノミクスによる景気回復を背景に高い支持率を記録。批判的な向きからは「官邸独裁」と言われるほど強気の姿勢を貫いており、党内外の反対派を排除して外交・教育・憲法などの見直しを進め、原子力発電所の再稼働を明言している。

外交面では日米同盟の元で「強い日本を取り戻す」ことを掲げて積極的な外交方針を打ち出し、「中国包囲網」の形成を目指してアジア・アフリカ諸国との関係を強化。

2013年12月14日、東京・赤坂の迎賓館において、午前9時半から昼食を挟んで午後2時半まで、安倍総理とボルキア・ブルネイ国王との共同議長の下、日・ASEAN特別首脳会議が開催された(タイは副首相が代理出席)。
この年は日・ASEAN友好協力40周年に当たり、安倍総理は対ASEAN外交5原則を発表し、ASEAN10か国すべてを訪問したところ、今次の特別首脳会議はその集大成となり、多くの成果をあげた。

内政的にはマスコミへの介入・統制を強め、機密情報の流出やスパイ行為を防ぐ特定秘密保護法を制定するなど戦後初の規制を行ったとともに、世界で活躍する強い企業や人材を優遇する新保守主義路線である。政府主導のクールジャパンキャンペーンによる日本文化の輸出、TPPへの参加を目指し、派遣規制などの労働規制の撤廃、原子力発電の輸出、消費税増税と法人税減税に向けた方針を打ち出した。
世界的に容認されつつある同性結婚、男女による婚姻を定めた憲法24条の改正については「極めて慎重な検討を要する」として保守主義から否定的な立場である。但し、安倍昭恵夫人はリベラルな立場からLGBTパレードに参加している。

また東京への一極集中を歓迎する姿勢を示して、2020年度のオリンピック招致活動にも注力し、当初はやる気のなかった外務省を叱咤して文部科学省やJOCはもとより、マスコミも巻き込んだ運動を展開し、オリンピックを勝ち取った。

12月26日に、靖国神社に参拝した。第一次安倍政権時代に参拝出来なかったことを「痛恨の極み」と発言していたことから、ようやく念願が叶った形である。なお、この靖国参拝は衛藤晟一首相補佐官がアメリカ合衆国に事前に打診しており、アメリカの反対を押し切って決行したものであった。
アメリカが参拝に失望を表明した(これは安倍首相や日本に対してではなく日韓関係に修復の見込みがないことに対して)のに対し、衛藤補佐官が不満を表明したこと(後撤回)や安倍総理自身が第一次世界大戦前の独仏関係と現在の日中関係を重ね合わせる演説をしてしまったことなども重なって、一部から右傾化を危惧する声もあったが、特に大きな問題に発展していない。

2014年にはかねてから報道姿勢を問題視してきたNHKの経営委員を刷新し、軒並み安倍肝いりの保守的人物である、籾井勝人会長をはじめ、委員就任後に都知事選で田母神俊雄元航空幕僚長の応援演説も行った百田尚樹氏、野村秋介氏の自殺に関して言及したことや、かつてNHKへの反感から受信料支払いを拒否したことでマスコミから叩かれていた長谷川三千子氏に交代させ、「偏った人選が問題視されている」との声もある。

また、同年末には突如衆議院の解散を行った。この解散総選挙により自民党は291議席(追加公認を含む)を獲得し与党全体では3分の2を超える大勝を収め、小泉内閣以来の長期政権到来を予感させるものとなった。

2015年には、4月22日に行われたバンドン会議や、4月29日に行われたアメリカ連邦議会上下両院合同会議における演説では、何度もセンセーションを巻き起こし、高い評価を得ている。

インド・ASEANとの関係

インド

安倍晋三首相&ナレンドラ・モディ首相


安倍晋三首相は、インドナレンドラ・モディ首相と非常に親密的で、互いに個人レベルでも強い信頼関係があるようであり、また、インドが日本と同様に中国との領土問題を抱えていることもあってか、安倍首相は日本インドの関係を非常に重要視する傾向があるとされる。

第一次安倍内閣時代の、2007年(平成19年)8月22日に訪印した際のインド国会での演説『二つの海の交わり』(Confluence of the Two Seas)は名演説として知られ、安倍首相が最後の一文を読み終え、深い礼をした直後に静寂が打ち破られ、インドの国会議員が総立ちになり、長く拍手が鳴り止まなかったという逸話が残っている。

また、2007年4月にまだ首相となる以前に訪日したモディ氏とすでに会談しており、2012年12月に第46回衆議院議員総選挙に圧勝した安倍晋三総裁が首相に就任することが決まった時も、最初に祝福の意を伝えた海外要人の一人がモディ氏だったという。

そのモディ氏は、首相就任後である2014年8月30日に初来日し、京都市の京都迎賓館で安倍首相の主催する非公式の夕食会に招待されており、夕食会では東京裁判(極東国際軍事裁判)で、東條英機首相をはじめとした被告全員の無罪を主張したインド人判事のラダ・ビノード・パール博士について語り合い、モディ首相は「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割は我々も忘れていない」と述べ、その功績を共に称え合った。
翌日には二人は共に真言宗仏教寺院である東寺を訪れ、大日如来像の前で合掌している。

9月1日の日印首脳会談では、日本による政府開発援助(ODA)を含む約3.5兆円規模の投融資の実施や、原子力協定の妥結に向けた協議の加速、インド海軍日本海上自衛隊の海上共同訓練の定例化などを盛り込んだ「日インド特別戦略的グローバル・パートナーシップのための東京宣言」と題する日印共同声明に署名し、両国関係を、「特別な戦略的グローバルパートナーシップ」に格上げすることで一致し、事実上の"準同盟国"と位置づけた。

2015年12月12日には3回目となるインド訪問を行い、モディ首相との会談は5回目となった。
会談では、日本国自衛隊インド防衛装備協力の推進などの安全保障協力や、経済協力の具体化、文化人的交流の強化について協議し、インド西部のムンバイからアーメダバード間を結ぶ、高速鉄道計画における、日本新幹線システム導入で合意したことを受けて、「日印新時代の幕開けにふさわしいプロジェクトだ。他の高速鉄道路線にも導入されることを期待する」と述べている。

また、平和的目的に限定する条件のもと、日本からの原発技術供与を可能にする日印原子力協定の締結に原則合意し、核拡散防止条約(NPT)非加盟国であるインドと、日本の歴史上初めて原子力協定を結ぶこととなり、安倍首相は「日本による協力を平和目的に限定する内容を確保した」と評価しており、モディ首相も「両国の戦略的パートナーシップの新たなレベルを示すシンボルだ」と語っている。

ASEAN

安倍晋三総理は、価値観外交の基本方針のもと経済安全保障での存在感が高まるASEANとの連携を重視しており、就任後の僅か1ヵ月以内に自身のベトナムタイインドネシア訪問を始め、麻生太郎副総理のミャンマー訪問など、閣僚がASEAN主要国を次々と訪問した。

そうして『自由』『民主主義』『基本的人権』『法の支配』など普遍的価値の実現と、経済連携ネットワークを通じた繁栄を目指し、日本ASEANの対等なパートナーとして共に歩んでいく旨のメッセージを各国首脳に伝達した上、2013年1月18日には、訪問先のインドネシアにおいて、

  1. 自由,民主主義,基本的人権等の普遍的価値の定着及び拡大に向けて、ASEAN諸国と共に努力していく。
  2. 「力」でなく「法」が支配する、自由で開かれた海洋は「公共財」であり、これをASEAN諸国と共に全力で守る。米国のアジア重視を歓迎する。
  3. 様々な経済連携のネットワークを通じて、モノ、カネ、ヒト、サービスなど貿易及び投資の流れを一層進め、日本経済の再生につなげ、ASEAN諸国と共に繁栄する。
  4. アジアの多様な文化、伝統を共に守り、育てていく。
  5. 未来を担う若い世代の交流を更に活発に行い、相互理解を促進する。

といった対ASEAN外交5原則を発表した。

そうして2015年5月27日には、日本太田昭宏国土交通相とタイプラジン・チャントーン運輸相が国土交通省内で会談し、タイで製作を計画されている高速鉄道について、日本の新幹線方式の導入を前提に調査を始める覚書を締結し、新幹線導入で事実上合意した形となった。

合意したのは、バンコクからチェンマイ間を結ぶ約670kmの路線で、日本の新幹線と同じく専用軌道を建設する予定であり、総工費は日本円で1兆円(約2800億バーツ)超という規模となる。
開業時期はまだ未定だが、実現すれば台湾新幹線に続く新幹線輸出となり、安倍晋三政権が成長戦略で掲げるインフラの海外輸出にも弾みがつくこととなる。

他のアジア諸国でも新幹線の導入計画が既に検討されており、他にも2013年7月に安倍政権東南アジア諸国のビザ発給要件の緩和を行っており、それによって東南アジア諸国からの訪日観光客は急増している。

持病の潰瘍性大腸炎の悪化から、一度総理大臣職を辞任してしまった安倍首相は、心身の療養も兼ねて、明治維新の功労者の一人でもある幕臣山岡鉄舟が開いた、日本臨済宗寺院である全生庵を訪れ、作家としても有名な平井正修住職の下で修行に励んでいた。

平井住職いわく、安倍首相が全生庵を訪れたのは2008年頃らしく、戦後最年少で総理大臣となってとてつもない重圧の中で戦ってきた故に、当時は心底疲れきっていた様子で、見ている方まで心苦しくなるほどであったという。
そうして一度訪れて以来、安倍首相は全生庵に通うようになり、坐禅による修行に励み、再び総理大臣に就任した後は、以前に比べ佇まいも美しく、言葉も力強く、芯の強さも身に付け見違えるように成長されたと平井住職は語っている。

首相という職は、荒海を航行する日本という船の舵取りを行う最も大きな孤独の中での戦いを強いられ、普通なら心が折れてしまってもおかしくない想像を絶する孤独感を抱えることになると平井住職は語っており、安倍首相は現在も坐禅をはじめとした禅の修行を続けられているらしく、少なからずが安倍首相の輝きのもととなっていることを嬉しく思っているという。


逸話

  • pixivのサービス開始当時の内閣総理大臣だった。
  • 日本語での演説はお世辞にも上手ではなく、滑舌の悪さとカタカナ語の多用が目立ち、「聞き苦しい」「何を言っているのかわからない」と評判が悪い。しかし、国際的な場面では、英語で雄弁に演説している。オリンピック招致にあたり英語のプレゼンテーションを特訓し、IOC総会で「福島の放射能は完全にコントロールされている」と宣言。東京オリンピックを勝ち取った。
  • アグネス・チャンの大ファンで、現在は夫婦ぐるみの親交がある。
  • メディアではNHK朝日新聞を天敵視する一方、フジテレビの日枝久会長とは懇意の仲だった。首相就任後もしばしば一緒にゴルフに出かけている。
  • これが理由だったのかは定かではないが、2014年3月21日、フジテレビの長寿バラエティー番組『笑っていいとも!』に出演。この番組に現職の総理大臣が出演したのは史上初めて(というかこれが最初で最後)である。
  • 秋元康との親交が深くAKB48を首脳会議に招待した。
  • 東京・渋谷区と、地元の下関の両方に私邸がある。下関の私邸(選挙事務所も)は韓国系パチンコ業者から譲られたもので「パチンコ御殿」の異名がある。
  • 名が世間に広く知れ渡る以前から、百田尚樹の小説の愛読者である。


略歴

昭和29年、安倍晋太郎、洋子夫妻の二男として生まれる。
昭和52年、成蹊大学法学部政治学科を卒業。
昭和54年、株式会社神戸製鋼に入社。
昭和57年、外務大臣秘書官。
平成5年、衆議院議員に初当選。
平成11年、衆議院厚生委員会理事、自由民主党社会部会長。
平成12年、内閣官房副長官(第二次森喜朗内閣)内閣官房副長官(第二次森改造内閣)。
平成13年、内閣官房副長官(第二次森改造内閣)、内閣官房副長官(第一次小泉純一郎内閣)。
平成14年、内閣官房副長官(第一次小泉改造内閣)。
平成15年、自由民主党幹事長
平成16年、自由民主党幹事長代理・党改革推進本部長。
平成17年、内閣官房長官(第三次小泉改造内閣)。
平成18年、第90代内閣総理大臣
平成19年、内閣総理大臣を辞任。
平成24年、自民党総裁に再任。第96代内閣総理大臣。
平成26年、第97代内閣総理大臣。

関連イラスト

安倍晋三
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あべあそコンビ
ANA


受け継がれし血族



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マンモハン・シン ナレンドラ・モディ

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