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概要

宮中で雑務を行う官僚の中でも、皇帝後宮に近い場所で勤務を行う者である。

間違いを犯さないため男性器切除されているという点が挙げられる。ちなみに去勢するとホルモンの関係上、胸にふくらみが出るなどやや女性的になり、髭が生えなくなる。

ただし性欲は残ると言われ、実際には女官との不義理も起こり、を持ったり、政治的・社会的な目的もあって結婚する者もいた。そうでなくても肛門などを使い自らを慰めていたとも言う。

宦官制度は中東ベトナム朝鮮半島でも見られ、特に中国の宦官がよく知られている。

宦官になる者は、宮刑を言い渡された犯罪者、敵の捕虜、異国からの奴隷が多く、宮中に召し抱えられて掃除や調理、皇子の教育係、情報伝達などを任された。


中国における宦官

中国における宦官の歴史は極めて古く、皇帝と臣下の間に立つ存在として中国の歴代王朝にとって宦官とは良くも悪くも必要不可欠な存在であった。


本来は卑しい身分であるが、皇帝の側近であることから政治的に大きな影響力を有した。

皇帝に気に入られれば出世でき、将来も安泰なため、自ら性器を除去して宦官を目指す者も少なくなかった。

しかし宦官になれば必ずしも出世できるとは限らず、統一王朝で最低1000人、中国の明代には10万人もいて、その中で成功を収める者はごく一握りである。そして、宦官の中でも厳しい上下関係があり、陰湿ないじめが蔓延っていた。過酷な労働に耐えられない宦官は容赦なく解雇され、蓄財していなければ飢え死にが確実であった。この過酷な環境が、子孫を残すことができないためにもともと強かった権力や財貨に対する宦官の欲望をさらに駆り立てることとなった。


中国史においては宦官が皇帝や政治家に代わって主導権を握り、政治を腐敗させることも多かった。

特に「馬鹿」を生み出した代の趙高をはじめ、後漢末の張譲をはじめとした十常侍や、「三国志演義」終盤最大の悪役でもある黄皓、「水滸伝」にも登場する北宋童貫らは悪名高い。

また、魏の武帝・曹操は後漢末期の宦官・曹騰の(義理の)孫にあたる。

一方で、「史記」を著した前漢代の司馬遷や、パルプの発明者蔡倫(後漢代)。明の永楽帝に命ぜられて各国を航海した鄭和の功績も名高い。

つまりは一般の官僚と変わりがないのであるが、勉学や人脈を用いて仕官の糸口をつかむ士大夫にとって、儒教的観点からすれば最も不道徳な方法で取り立てられる宦官は許し難い存在であり、両者はしばしば対立した。宦官は士大夫と比べて一般社会に及ぼす影響が限られ、反対に士大夫などが手掛ける史書や娯楽作品などを通じて彼らが持つ宦官像はほぼ抵抗なく一般人に受け入れられていったことが、今日まで続く宦官への悪評につながっているといってよい。


時に国をも動かした宦官であったが、異民族国家である清朝の下では衰退した。ボーイ(包衣)という家政階級が根付いていた満州族には宦官に頼る発想がなく、宦官はボーイの管轄下に置かれて宮中の女性の世話などをするだけの存在になった。

西太后の時代には彼女の寵愛を受けて蓄財をしていた宦官もいたが、ついに滅亡のその時まで国政に大きな影響を持つ人物は現れなかった。


宦官たちも1920年代宣統帝紫禁城を追放される前後には役目を終え、切除した性器を携えて故郷へと帰国していった。


関連項目

中国史 宮刑 去勢 中性 eunuch


人物

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