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夕雲型駆逐艦の15番艦。

Wikipedia:岸波 (駆逐艦)参照


艦暦

1942年
  • 8月29日起工
1943年
  • 8月19日進水
  • 12月3日竣工。舞鶴鎮守府籍となる。第11水雷戦隊に編入
1944年
  • 2月10日、長波だけになっていた第31駆逐隊に沖波朝霜とともに編入
  • 2月26日、宇品から第29師団乗船の船団を護衛してグアムへ向かう
  • 2月29日、米潜水艦トラウトが船団を攻撃。崎戸丸が沈没し、安芸丸が航行不能となった。トラウトは朝霜が撃沈する
  • 3月20日、館山から東松3号特別船団を護衛してトラック泊地へ向かう
  • 4月14日、リンガ泊地に進出
  • 5月14日、タウイタウイ泊地に進出
  • 6月19日、マリアナ沖海戦では丙部隊に属した
  • 6月22日、中城湾から柱島泊地へ向かう
  • 7月9日、臼杵湾から第4戦隊を護衛してリンガ泊地へ向かう
  • 10月18日、リンガ泊地から出撃
  • 10月23日、パラワン水道において米潜水艦ダーターデイスの攻撃を受け、愛宕(第二艦隊旗艦)、摩耶は沈没、高雄は航行不能。岸波は朝霜とともに愛宕の乗組員救助にあたり、大和に接舷して第二艦隊司令部幕僚を移乗させた。
  • 10月24日、レイテ沖海戦では浜波とともに能代の警戒にあたった
  • 10月26日、燃料不足となった駆逐艦5隻(浜波、島風岸波浦風、秋霜)は分離してコロン湾に向かい、補給を受けた
  • 10月27日、ブルネイに帰投。損傷した妙高の護衛を長波から引き継ぎ、昭南(シンガポール)へ向かった
  • 11月1日、昭南に到着
  • 11月26日、由利島、第17号海防艦とともに八紘丸を護衛して昭南からマニラへ向かう
  • 12月1日、マニラに到着
  • 12月3日、往路と同じ編制でマニラから昭南に向かう
  • 12月4日、パラワン島北西海域で待ち伏せしていた米潜水艦フラッシャーの攻撃で、岸波と八紘丸は航行不能となる。爆雷攻撃をしのいだフラッシャーは潜望鏡深度に戻って攻撃、岸波と八紘丸は沈没した
1945年
  • 1月10日、除籍

諸元

全長119.3m
全幅10.8m
排水量基準:2077t 公試:2520t
機関出力5万2000馬力
速力35.0ノット
航続距離5000マイル/18ノット
乗員225名
兵装50口径12.7cm連装砲塔×3基 25mm連装機銃×2基 61cm四連装魚雷発射管×2基 両舷用爆雷投射機×1基 手動式爆雷投下台×4基 水圧式爆雷投下台×2基

Wikipedia:岸波 (駆逐艦)参照


関連タグ

大日本帝国海軍 駆逐艦 夕雲型駆逐艦

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