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川崎球場

LOTTEOrions


概要

神奈川県川崎市川崎区にかつて存在した球場。かつてはプロ野球大洋ホエールズロッテオリオンズが本拠地球場とした。


2000年に多目的球技場として大幅な改修をされ、2014年4月以降、現在は「川崎富士見球技場」の名で主にアメフト軟式野球に用いられている。スタンド等の大半の施設は無くなったが、ベンチはほぼ当時のまま残っている。


かつての古い、施設がボロい、閑古鳥が鳴く球場のイメージで、未だプロ野球OBやファンの間で話題となる球場である。


来歴

1951年開場。1954年より高橋ユニオンズの本拠地となるが、1956年に消滅。入れ替わる様に大洋ホエールズ(→横浜大洋ホエールズ横浜ベイスターズ横浜DeNAベイスターズ)が1955年から本拠地とする。当時から閑古鳥が鳴く様な客入りで、主催者発表が100人だった事もあり(当然実数はそれ以下)、大洋時代の巨人戦以外は概ねそんな感じでどちらかと言えばマイナー感漂う球場であった。


広さは両翼90m・中堅118mで左右非対称。しかし実測はもう少し狭かったのではないか?といわれている他、更に現在の東京ドームに近い膨らみの無い左右中間だった為にホームランも出易かったと言う。時代が遅かったら「川崎ムラン」となんJ等では呼称されていた事だろう。


バッティングの技術や用具の質も向上したロッテ本拠地時代はフェンスが5.0〜7.0mと現在の目から見てもかなり高くされたが、それでも飛び易いラビットボールを使用していた事や、スタンドそのものが低かったのも相俟って、ファウルボールが一塁側場外に出ると選手用駐車場のロッテ選手の愛車を直撃する事もしばしば起こり、フェンスの上を超えていく大飛球が場外ホームランになる事もあったという。


1977年、大洋が本拠地を横浜スタジアムに移転、代わりに本拠地としたのが当時ジプシー球団で確たる本拠地を持たなかった(仙台の宮城球場を準本拠地とはしていた)ロッテオリオンズ(→千葉ロッテマリーンズ)であった。当時のパリーグは、現在の「人気のパ、実力のパ」状態が信じられない程の超低人気振りで、その中でもロッテは不人気中の不人気球団として、マスコミで取り上げられるのも「珍プレー好プレー」での「」場面ばかりであった。


その例を挙げると


そして極め付けが「客席の段差を利用しての流しそうめん」であり、こんな事をしても球場側から注意されずに許される程客入りは悪かった(因みに西の藤井寺球場ではカセットコンロを持ち込んでの焼肉パーティーを行ったというのがあった)。この様なパフォーマンスも珍プレー番組で取り上げられた事で、後にはそれを狙って行われたファン以外の人間による行為もあり、いわゆるバカ発見器となっていた。


また球場の設備もロッカールームは通気性の悪さから湿気が多くジメジメしていた(当時の主力選手だった有藤通世は「ロッカールームにバットやグラブ、スパイクを置いたまま1週間遠征に出るとカビが生えており、バットは一晩置いておくだけで20g重くなった」と証言している)上、スタンドの座席は狭隘で座り難く、水はけの悪さによるグラウンド不良による中止が相次いだ他、トイレは男女共用の汲み取り式便所であり、鍵が壊れている事も常態化していた。


映画やテレビドラマの撮影でもしばしば使われ、特にスタンド下のトイレが刑務所のトイレとして撮影に使われた(余談だが刑務所サイドから「そんなに汚くない」と抗議されるオチが付いた)他、ある刑事ドラマの撮影にて犯人が追っ手を逃れ、古ぼけた野球場のスコアボード棟に逃げ込むシーンの撮影で担当監督は、「都内近辺でこんなオンボロのスコアボードがあるのは此処(川崎球場)しかない」と撮影場所を選んだ理由について話していた事は有名なエピソードである。


これに加え、川崎駅から最短で行くにはソープ街を抜ける必要がありこれもファン離れに拍車をかけていた模様で、ロッテ球団もこれには頭を抱えていたらしく、度々施設の改装を要求していた他、ライオンズやホークスが移転する以前の平和台や宇都宮への移転をちらつかせていた。


1988年、伝説の10.19の試合で全国にそのオンボロさを知らしめ、流石に球場を運営する川崎市も思う所があったか、開設以来の大改修を挙行。スコアボードを漸く電光化した。この当時テレビでCMを流し、そのキャッチコピーが冒頭の「テレビじゃ見れない川崎劇場」である。


しかし結局ロッテは1992年、2年前に落成した千葉マリンスタジアムへの球団誘致に応じて移転。その後も細々と2軍戦等を行ったものの、2000年3月をもってプロ野球球場としての歴史を終えた。その最期の試合は嘗て本拠地としたロッテ対横浜のオープン戦だったが、狭かった球場らしく、ロッテが10本塁打で22-6で圧勝。なお小坂誠はこの試合で1イニング2本塁打という(俊足小兵の小坂に全く似合わない)珍記録も達成した。


一方1991年9月23日プロレス団体のFMW大仁田厚VSターザン後藤の「ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ」を決行。これを含めてFMWは解散までに7大会を開催し「聖地」とも呼ばれていた。プロレスではスタンドだけではなくグラウンドの部分もアリーナ席と出来る為、FMWでは当時のスタンドの収容人員3万人をはるかに越える5万人超の観客動員を記録している(プロレスの興行自体は1960年代後半から行われた記録がある)。


その後はスタンド等の大部分の施設が解体され、冒頭のように軟式野球やアメフトの球場として使用されており、2014年4月以降は「川崎富士見球技場」が正式名称となった。

2015年1月にはネーミングライツにより富士通が協賛スポンサーになることと、その命名権取得後の名称に「富士通スタジアム川崎」を予定していると発表、4月にリニューアルオープンする。

富士通スタジアム完成後の使用用途はフットボール(サッカー、ラグビー、アメリカンフットボールと、それらの派生種目)、ゲートボール、グラウンドゴルフなどに限定し、野球・ソフトボールは隣接の富士見公園内にある富士見球場(平日と土曜の午前は隣接する川崎市立富士見中学校の校庭として使用)をするよう促している。

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