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徳川家茂

とくがわいえもち

江戸幕府第14代征夷大将軍、徳川家茂に関する説明。

江戸時代末期の人物。江戸幕府第14代征夷大将軍

トップ画像では前頭部(月代)を剃った髪型になっているが、実際には月代を剃らず黒々とした総髪の髪型であったことが知られている。

概説

御三家の一つ、紀州徳川家の出身。紀州藩(和歌山藩)第13代藩主を経て、1858年(安政5年)に13歳で江戸幕府第14代将軍に就任した。

若年での将軍職就任は家茂が父方で第11代将軍家斉の男系の孫にあたり血縁上前任の第13代将軍家定に最も近い(従兄弟)ことによるものであったが、家茂自身の資質も当時及び後世からは一定以上に評価されている。

正室(そして現在知られている唯一の妻妾)は孝明天皇実妹和宮親子内親王。公武合体の象徴としての政略結婚であったが夫婦仲は歴代将軍でも第一級に良好であったと言われる。

1866年慶応2年)7月20日(グレゴリオ暦8月29日)、第2次長州征伐に苦戦する中で滞在していた大坂城内にて※脚気衝心のため逝去。満20歳の若さであった。

昭和30年代に、増上寺の徳川家霊廟の改葬に伴う発掘調査で墓所が発掘され、将軍の遺体を調査した際に、残っていた31本の歯の全て(一本は生前に脱落したと思われる)に、軽度から重度の虫歯があることが判明した。家茂は甘党で知られ、大阪城に届けられた見舞い品はカステラ、金平糖、氷砂糖などの甘い菓子類で、菓子の食べ過ぎが虫歯の原因となり体力を消耗し脚気を発症して、寿命を縮めたとされる。

※脚気とは、ビタミンB1の欠乏が原因で発症する病気である。
手足のしびれ、動悸、むくみなどの症状が現れ、最終的に神経が麻痺して体を動かすことができなくなり、心不全を起こし死に至る。

なお、家茂は生前豊富な髪で知られていたが、遺体にも黒々とした頭髪が残っていた。

優秀な人物と言われており幕臣からの信頼も厚く、軍艦奉行他として家茂に仕えていた勝海舟は逝去を知った際に日記に「徳川家、今日滅ぶ」と記したという。

関連タグ

徳川慶喜:次代(第15代)将軍。
幕末 大河ドラマ 翔ぶが如く 大奥 篤姫 龍馬伝

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