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徹子の部屋

てつこのへや

黒柳徹子が司会を務めるテレビ朝日のトーク番組。故人の追悼特集に定評がある。
目次 [非表示]

注:当番組で長年使用された上記テンプレートの「ソファと大型テーブル」は、2020年6月に撤去され、以降は「小型テーブルアクリル板添え」に変更されている。


概要

テレビ朝日黒柳徹子が司会を務めるトーク番組。これに関連したイラストタグ

pixivでは多くが「【徹子の部屋】テンプレート」を使った作品がほとんどで、様々なキャラを徹子さんとトークさせている。

ここでの徹子さんは人間離れした髪型デフォルメされているが、気にしたら負け。壁にあるムスカの描かれた絵も気にしたら負け

最近では番組に出演したレディー・ガガに関する作品も多い。


具体的な番組内容

徹子さんの聞きたいことをゲストが応える』トーク番組。


より具体的に言えば「毎回1組のゲストを招いて、テーブル上に広げた資料(これは台本ではなく、質問したい事が羅列してあるとの事)を元にインタビューしながら対談を進める」内容で、ごく初期を除き「トーク以外の企画内容」はないため、一般的に「トーク番組」として認知されている。なお、番組開始当初は、ラビット関根をアシスタントに据えた視聴者参加コーナー「フラッシュクイズ」を設定していた。これは地味なトークだけでは視聴率が取れないという危惧から設定したものだったが、本編のトーク部分とテンションがかけ離れてしまったため、1年後に廃止された。


NETテレビ時代の1976年2月に放送開始。2011年4月27日に放送8961回となり、同一司会者による最多放送記録としてギネス世界記録に認定された。2015年5月27日放送分をもって10,000回を達成した。ちなみに徹子さん自身の体調不良による休みは一度もない


徹子さん当人の性格がやや生真面目なこともあってか、トーク内容もそうした真面目な雰囲気で進んだり、普通のトークバラエティ番組に比べてハードルが高く設定されている節がある(近年活躍しているお笑い芸人たちの間では業界屈指の鬼門番組として恐れられている。後述)ものの、呼ばれるゲストは一躍時の人となった一般人や、日本に憧れ、日本の職種をお手に着けた外人、子役・アイドル・俳優・女優・歌手・お笑いタレント・作家・政治家などと幅広いどころか、畏れ多くも皇族の方々や海外の王族の方々がお出になったケースもある。

徹子さんもゲストのことはプロフィールを手始めに、経歴や現在の活躍のほど、さらに調べ得る個人的なデータに当たるまで、様々な情報を事前に把握して収録に臨んでいる。基本的にはゲストは1人の対談形式。最近になっては複数、血縁、近親者(夫婦、親子、兄弟、祖父母孫、親戚筋)、学歴、芸歴、共演者繋がりが増えた。


ゲストのスキャンダルは基本的には扱わないものの、ゲストがそれまで公にしていなかった自身に関する重大事を告白(いわゆる「闘病」関連の話題が多く、大抵「徹子さんになら話せる…」などと前振りする事が多い)したり、話の流れとして「自ら語る事」が必要になったゲスト(徹子さんの「素朴な疑問」から「博多への『左遷』の顛末」を「成り行き上」説明せざるを得なくなった指原莉乃など)はいたりする。


極端な例では1999年12月31日、2000年2月11日、2014年8月8日の放送でCG映像(2014年は3D版)のドラえもん(当然「中の人」はその当時の担当声優達である)が出演したが、後にも先にも「架空のキャラクター」が本番組に出演を果たしたのは、このドラえもんのみである(ちなみに、テレビ朝日版における初代の中の人・大山のぶ代は本人としても度々出演しており、前述の「闘病」関連の話題も話した事も)。

また木村昴が出演した時、大山のぶ代以来のドラえもん声優が久しぶりの徹子の部屋出演で話題に。

「現実に存在はするが(建前上)人間ではないキャラクター」としてはデーモン閣下が出演しており、この時はオープニング/エンディングBGMが不協和音や重低音を用いた地獄仕様となった。

また、他局を含めた別番組におけるキャラクターとして出演する場合もあり、これまで藤井隆が『ベストヒットTV』のマシュー南として、ゴリ(ガレッジセール)が『ワンナイR&R』の松浦ゴリエとして、とんねるずDJ OZMAが『みなさんのおかげでした』の矢島美容室として出演している。


その一方、裏番組や前後の番組に出演している(例えば「バイキングMORE」における坂上忍、「ひるおび!」における恵俊彰、「ヒルナンデス!」における南原清隆オードリーなど。小堺一機は2014年3月までの裏番組である『ごきげんよう』に出演している関係があったが、本番組と被らなかった1996年4月から1年半の間「大分県では大分放送で『ごきげんよう』が14:00からの時差ネットで放送されてるから」という理由で出演していなかった)人や、志村けんザ・ドリフターズの他メンバーは出演経験はある)の様に生涯一度も出演しなかった人や、樹木希林(出演こそしているが、本人曰く「亡くなって追悼されるのが嫌だったからオファーを断っていた」との事。しかしながら実際に彼女が亡くなった際は「結果として『本人の意向』に反する形」にはなったものの、追悼企画そのものはきっちりと行われた)の様に自身の見解から出演に難色を示す人(逆に渥美清も「自分より面白いトークが出来る奴はいっぱいいるのに」と一度だけの出演のみで以降のオファーは断ったという)、松任谷由実(本人曰く「最終回に出演したい」とのことで、黒柳も快諾しているそうな。なお、夫の松任谷正隆は出演歴あり)、山下達郎中森明菜などのような「アーティスト気質が強いがゆえにテレビ露出が皆無」とされるか、岡村隆史(ナインティナイン)、釈由美子などのような「出演出来ない理由が特に明示されていない」にもかかわらず未出演の著名人もいる。


また、毎年8月には「終戦特集」を企画するなど、対外的には「お上品な番組」としてイメージされがちだが、1978年以降毎年末にはタモリに芸を披露(ある意味「タモリ本来の芸」を垣間見る事が出来ると言っても過言ではない)させたことがあったり、同局で放送されている「アメトーーク」とのコラボレーションを行う(後述)など、「バラエティ番組」としての性格も有している


上半期と下半期には徹子の部屋に出演された著名人の訃報を追悼特集として在りし日の当該著名人のトーク名場面集を放送する。急死した場合は当日ゲストを後日に改めて変更する場合もある。


番組の知名度も高く、他局も含めて数多くのパロディが存在する。さらに(徹子さんのスケジュールが大変過密であるため)他局の番組を含む他番組でのVTRメッセージの収録も本番組のスタジオで行う事も多いため、文字通り「黒柳徹子の部屋」として機能する。

なお、一度「徹子さんの自宅の様子」も公開された事もある(同時期にも、自身が出演している「世界ふしぎ発見」でも似た様な趣旨のVTRが流されている)。まさに「リアル徹子の部屋


これまでの出演ゲストは延べ1万人以上に上り、先述した様に「ゲストのジャンル」も幅広いため(それゆえに前述した志村けんの様に「本番組に出演していないので映像を使えない」ケースは稀である)、テレビ朝日や一部系列局の情報・報道番組で著名人の訃報が伝えられる際、ニュース映像に故人が本番組に出演した際の映像が頻繁に使用されており、副次的ではあるが「著名人の映像アーカイブ的側面」もある。


ただし、2010年代からは常連だったゲストも高齢化しており、放送日の直近でゲストが逝去した場合、「放送日当日の朝の段階になって急遽『追悼企画』へ差し替え」が頻繁に起きやすくなっている。さらに桂歌丸の様な「当初から追悼企画を放送予定だったが、急遽別の追悼企画に差し替えになり『追悼企画が追悼企画で延期』になった」ケースや渡哲也の様に「日程調整が困難で全国ネットでの放送枠確保が出来ずに関東ローカルのみで追悼企画を放送する」ケースなども発生している。


一部では徹子の部屋に出演した大御所のゲストが事実上の終活番組として出演するパターンもあり、かつて人気芸能人だった人も今では高齢者となり、都内近郊に住んでて収録の為に上京のパターンもある。


徹子さん曰く、追悼特集をすることについて「直前の姿ではなく、元気いっぱいで喋ってらっしゃる姿を心に留めてほしい。それもテレビの役割です」と語っている。


1976年2月から1996年3月まで、平日13:15-13:55枠で放送。1996年4月にワイドショー番組「ワイド!スクランブル」が平日12:00-13:55の枠で放送を開始したため、平日13:55-14:50に移行したものの、1997年10月から「ワイド!スクランブル」の放送時間短縮により、平日13:20-13:55枠に移行した。2014年4月の番組編成により「ワイド!スクランブル」2部放送を維持したものの、放送時間が平日10:30-11:45(第1部)および12:46-13:05(第2部、のちに13:55終了に変更)の放送に変わったため、当番組は平日12:00-12:30の放送に移行した。ちなみに、この改編でタイトルロゴも「シンプルなゴシック体から高貴な飾り文字へと変化」した(改編当初は「正午の時報」に合わせた時計のアニメーションも存在していたが、地デジでは「タイムラグ」が生じるため精確性に欠ける観点から後に「時報アニメーション」は廃止された)。

2020年3月30日からは「ワイド!スクランブル」2部の枠移動により平日13:00-13:30の放送に移行する。


「徹子の監獄」

タモリに限らずお笑い芸人がゲストの場合、トーク以外に持ちネタが披露されることも多い。極端な例では、2005年に清水ミチコ友近が出演した際は、オンエア時間の大半がネタ披露に充てられた。


しかし「徹子の部屋」が「バラエティ番組として捉えられる」事と「お笑い芸人達にとっての監獄」になる理由はこれだけではない。


お笑い好きの徹子さんは、ネタを見ると「面白い、面白い」と言っていつまでもネタを止めさせず、一方で「今日は何か面白い話をして下さるんですって?」などと言ってわざと笑いのハードルを上げる、オチを先に言ってから話を振る、ありもしないギャグを無理矢理その場でやらせるなどの「無茶ぶり」を行い、お笑い芸人を苦しい状況に追い込むことも多く、業界用語で言う「ケガ」をさせることが多いため、「アメトーーク」では「徹子の部屋(惨敗)芸人」と言う括りテーマが存在する。何を隠そう同番組の司会である雨上がり決死隊も「惨敗芸人」の一組である。友近が黒柳徹子に扮した事前シミュレーションを行ったが、それでも徹子の部屋のシビアな一面に恐怖した芸人が続出した。

先の徹子さんの「事前調査」も芸人にとっては冷酷なボケ殺しになっており、とっておきの鉄板エピソードを話し始めた矢先、上にある通りオチまで把握されて何もできず惨敗するケースが後を絶たない。

惨敗芸人であるガレッジセールが明かしたところによると、一応観客が存在するらしいが明らかにバラエティ番組の観客とは違うとの事である。これもまた苦しい状況に拍車を掛けているともいえる。


これこそが「徹子の監獄」と呼ばれる所以なのだ。


…が、恐ろしい事にその監獄を制圧したつわもの達も確かに存在している。冒頭でも名前の挙がったレディー・ガガと、ローラさかなクンである。

その存在は最早GPSで常時補足が必要な域に達している、と言えよう。


徹子の伝説

徹子の部屋で最も視聴者の度肝を抜いた事例は、セーラームーンのコスプレをした徹子さんが決めゼリフと共に登場しそのまま番組進行をした」というものである。この事態はスポーツ新聞ですら記事として採り上げた程のインパクトだった。

再三言うが、お上品な傾向があるだけにバラエティ番組である事を再認識させた出来事でもある。

なお、この時の対談相手は、クレヨンしんちゃん野原しんのすけのコスプレをした当時67歳の小沢昭一であった。


と、いうか小沢との対談はほぼ「扮装シリーズ」であり、なんとセーラームーンに匹敵するコスプレは「ガングロギャル」というものまである。


関連イラスト

【徹子の部屋】テンプレート徹子の部屋


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テレビ朝日 黒柳徹子 ボケ殺し


ローラの部屋︰同じテレビ朝日アニメでネタにされたコーナー。

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