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戸沢盛安

とざわもりやす

戦国時代末期の武将。出羽国角館城主。若くして家督を継ぎ南部信直や安東愛季らと渡り合い、その猛将ぶりから夜叉九郎と綽名され武名を東北に轟かした小大名。小田原戦役の最中に早世した。生没年1566~1590年。
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プロフィール

生没年:1566年~1590年

幼名:路四郎

通称:九郎

あだ名:夜叉九郎、鬼九郎。

官途名:治部大輔


戸沢氏とは

戸沢氏は桓武平氏忠正流を称している。

戸沢氏の祖とされる平忠盛の弟・忠正は保元の乱崇徳上皇方に付き、後白河天皇方に付いた甥の平清盛や大甥の平重盛らと対立するが、敗戦後に長男の長盛を始め忠綱・正綱・通正らの子息たちと一緒に処刑されている。戸沢氏初代の平衡盛は忠正の遺児とされる維盛(重盛の長男とは別人)の子と言うが四男の通正より下の忠正の子について不明な点が多いため仮冒説もある。


ちなみに戸沢氏の通字は盛安の子で20代当主の政盛までは「盛」を使用しているが、政盛の後を継いだ正誠以降は忠正(あるいはその父の平正盛か)に因んだ「正」を通字にしている。


生涯

戸沢氏16代当主戸沢道盛の次男として1566年に誕生。長兄・戸沢盛重は父が若くして隠居したため17代当主に就任していたものの病弱であった。このため盛重は1578年に当主を退き仏門に入り13歳の盛安が戸沢氏18代当主となり父の後見を引き続き受けた。


盛安は家臣団の掌握と安定した領国経営に乗り出すと共に、中央情勢を把握と自らの権威を高める為に、中央の権力者である織田信長鷹狩が好きと知り、を送ることで誼を深めている。


そうした努力の甲斐あって1582年頃には、大規模な軍事行動を行えるようになり、羽前山形城主の最上義光と同盟し、大曲平野に進出し横手城主の小野寺輝道・義道父子と鎬を削っている。また同年には羽後の安東愛季と合戦を行い野戦を行って勝利する。さらには南部信直とも争っている。


盛安は大将でありながら自ら陣頭に立って勇猛果敢に戦い、領土を着々と拡大することに貢献した。周囲の大名は盛安の勇猛さを恐れ,「夜叉九郎」と呼ばれるようになる。


1590年豊臣秀吉による小田原征伐が始まると、侍6人足軽3人共に商人に変身して、敵地を通り抜けて海路で謁見に向かう。秀吉が東海道へ進軍中と知ると、大井川大雨増水しているのにもかかわらず、「関白殿下への忠義に報いる為に、増水なんぞに負けるわけにはいかない」と言って、見事渡河に成功。


そのままずぶ濡れの姿で秀吉と謁見し、秀吉は盛安の忠誠を褒め称え太刀をその場で与える共に、北浦郡4万4000石を安堵している。


心労が経ってか小田原落城前に病死。享年25。彗星のような短い生涯だった。


盛安の兄弟はいずれも短命で弟の光盛は盛安死後、19代当主となったが1592年、文禄の役で肥前名護屋に参陣する途中の姫路(または明石塩屋)にて17歳の若さで没した。

長兄の盛重はのちに還俗し叔父の戸沢政重の小館戸沢家を継いでいる。しかし、弟・盛安が本家になり自身が分家として盛安の家臣になったことに不満を持ち盛安が小田原に参陣した際に謀反を起こそうとしたが防がれている。末弟・光盛が亡くなった1592年に彼も42歳で病死したがこれでも兄弟中最も長命である。


戸沢氏自体は光盛の後は盛安の遺児である政盛が継ぎ関ヶ原合戦では東軍に付いた。しかし、その戦いぶりが徳川家康の不興を買い常陸国松岡(茨城県高萩市)に転封されたが後に出羽新庄に再移転した。以降、戸沢氏は幕末まで同地にて命脈を保った。


ゲームにおける戸沢盛安

戦国大戦

メイン画像の姿で、電影武将として参戦。

他家東所属レアリティR、3コスト武力9、統率6の騎馬で特技に魅力、気合を持っている。

3コストの武力9の気合持ち騎馬なので、生存力と破壊力が高いのが売り。


計略は士気6の「夜叉九郎の采配」。計略内容は単純に武力が上がるだけだが、武力の上昇値が6と高く、癖のないシンプルな計略で使いやすい。



「夜叉九郎、戦場で舞おう」



ver3.2でイラストリファレンスを果たして再登場。

所属レアリティはそのままで、2コスト武力8、統率3の槍足軽で特技に制圧を持っている。

全体を見ても貴重な2コスト武力8の制圧持ちの槍足軽であり、統率も極端に低くない3を持っているだけでもスペック要員の価値があり、条件付きだが勢力制限なしの武力上昇値が高い采配持ちと非常に優秀な性能をしている。


計略は士気6の「星河の采配」。特技の合計値で武力が上がる特殊な采配で最低値は3だが、特技の合計値が4を超えるごとに武力上昇値が+1され、最大値は武力+8になる非常に破格の采配。さらに、この特技は忠誠のようなデメリット特技や、七色の折り紙や智者の装激、一天四海などの計略で付与された特技もカウントされるという強みがある。


「愛など夜叉には不要……、勇気も、言葉だけのものと知れ」


因みにスペックが、1枚目は9/6で「九郎(くろう)」、2枚目は8/3で「夜叉(やしゃ)」と韻を踏んでいる。

余談ながら2枚目のセリフが「愛(魅力)など夜叉には不要……、勇気(気合)も、言葉だけのものと知れ」と1枚目が持っていて、失った特技を指してるとネタになっているとかいないとか


信長の野望シリーズ

覇王伝から登場。代々武力や統率力に優れるが知力も高め。作品によっては政治もこなせるため使い勝手がいい。ビジュアルは覇王伝のみいかめしいヒゲ面だが天翔記以降は普通に若いイケメンである。


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孫策松平清康…若くして君主(当主)となり武勇と才幹を発揮したが20歳代で早世した点が共通。

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