ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

新井白石

あらいはくせき

明暦3年~享保10年 江戸時代の学者・政治家。名は君美(きみよし、きんみ)、字は在中・済美、号は白石など。

概要

徳川家宣家継の治世の下、「正徳の治」という政治改革を行った学者である。


久留里(千葉県君津市)藩士の子として江戸に生まれ、29歳まで独学で学問をやってきた白石は、貞享3年(西暦1686年)に朱子学者・木下順庵の門人となった。

木下は白石を高く評価し、37歳のとき、甲府藩にあった徳川綱豊(後の家宣)に推挙した。

6代将軍となった家宣、彼の死後将軍職を継いだ7代将軍家継に仕え、幕政の改革を推進したが(称徳の治)、8代将軍徳川吉宗の時には政界から退けられ、著述に専念した。

学問は朱子学を主とし、史学地理学言語学に長じた。

読史余論』などの日本史に関する著述や、鎖国・禁教政策下の最中来日したイタリア人カトリック司祭・ジョバンニ=バッティスタ=シドッチの取り調べを行う際に聞き出した西洋の文化などの情報を記した『西洋紀聞』など蘭学の先駆的業績でも有名。

また白石のは盛唐の趣を持つ本格的なものと評価され、頼山陽によって、祇園南海梁田蛻巌秋山玉山とともに「正徳の四大家」と称せられた。


関連タグ

読史余論 白石

関連記事

親記事

江戸時代 えどじだい

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 1798

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました