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概要

水滸伝』に登場する好漢で、二代目梁山泊頭領。


元は済州鄆城県郊外の東渓村の名主。武術に優れ義侠心に厚く、人に分け隔てなく接し、困っている人や貧しい人がいれば必ず助けるため、世間に広く名が知れていた。


渾名は「托塔天王(たくとうてんのう)」。隣村に谷川の妖怪を鎮めるための宝塔が建てられたせいで、東渓村に妖怪が集まってしまい、怒った晁蓋がその宝塔を強奪して一人で担いで持ち帰ったことに由来する。


来歴

ある日、夜遅くに鄆城県の都頭(所謂、警備隊長)の雷横が屋敷に訪れ、近くの廟で不審な男を捕らえたことを知らせに来た。晁蓋はお礼を言って雷横達をもてなしている隙に、その男を興味本位に見に行った。その男は劉唐という名で、晁蓋に金儲けの話を見つけたためそれを知らせに来たとのことで、その晁蓋が自分であることを明かすと、晁蓋は彼を助けるために自分の甥と偽らせて釈放させる。

その後、旧知の呉用も加えて劉唐から話を聞いた。劉唐によると、北京大名府の留守司・梁世傑が、舅であり宰相の蔡京に10万貫という莫大な誕生祝い品(生辰綱)を贈ると知り、民から搾り取った不義の財であるから奪ってしまおうと晁蓋に持ちかけたのである。晁蓋と呉用は大いに興味を示して生辰綱強奪計画を企て、三人だけでは少ないと腕っぷしの強い漁師の阮小二阮小五阮小七の兄弟、偶然にも同じく生辰綱強奪計画を考えていた道士の公孫勝、強奪する場所の近くに住んでいたゴロツキの白勝を仲間に加え、呉用の計略で棗売り(白勝だけ酒売り)に変装して生辰綱輸送隊にしびれ薬入りの酒を飲ませることで見事に生辰綱を奪取する。ちなみに、その輸送隊の責任者は楊志で、その失態で処罰されるのを恐れて出奔した。

しかし、一連の晁蓋達の行動を盗み見していた晁蓋の食客の一人が報酬目当てで役人に密告したことで白勝が官憲に捕らえられ、拷問されて白状してしまう。だが、晁蓋と兄弟の盟を結んでいた役人の宋江が先に知らせに来て、梁山泊へ逃げる様に勧めた。その後、都頭の朱仝と雷横が捕縛の命を受けて派遣されたが、どちらも晁蓋のことを尊敬していたためわざと見逃し、晁蓋達は無事に梁山泊に到着する。だが、梁山泊頭領の王倫は自分よりも優れている晁蓋に頭領の座を奪われることを恐れて追い返そうとするが、王倫の狭量さに激怒した林冲に殺されたことで、晁蓋は頭領の座に就く。


その後は首領として梁山泊の取りまとめにあたり、江州で宋江が逮捕された際には自ら軍勢を率いて救出した。ここで晁蓋は宋江に首領の地位を譲ろうとするが宋江は丁重に断った。以後は梁山泊の防衛を晁蓋が、外征を宋江が受け持つようになる。以後、梁山泊は幾度も戦いが起きていたが晁蓋が軍を率いて出陣して行く事はなかった。だが、本人は何かと出て行きたがったが周囲が止めていた。

そんなある日、段景住という男が梁山泊に訪れ、曾頭市を治める曾家が梁山泊を倒して名を上げることを目論んでおり、曾頭市の子供達に梁山泊を馬鹿にする歌を歌わせ、頭領達を収監する監車を作っていることを知らされる。それに激怒した晁蓋は、周囲の反対を押し切って晁蓋が自ら出陣する。

しかし、曾家の罠に嵌ってしまい、曾家武術師範の史文恭が放った毒矢に当たってしまう。晁蓋はなんとか梁山泊に帰還したものの「史文恭を倒した者を次の首領に」という遺言を残して息絶えてしまう。


死後は宋江の病気を夢枕に立って知らせ、梁山泊に敗れ逃走を図った史文恭を妨害するなどの霊験を現し、百八星の集結後は忠義堂の奥に祭られ、百八星よりさらに上の梁山泊の守護神という位置づけとなった。


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水滸伝 梁山泊

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