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概要

太祖・曹操の庶子である燕王・曹宇の息子で、もとの名を曹璜という。先代の曹髦が殺害されたため、帝位に即いた。皇帝になってはいるもののこの頃はもう名ばかりであり司馬昭の傀儡状態であった。

265年、司馬昭が死去し司馬炎が晋王を継いだ。同年12月、20歳の曹奐は司馬炎に禅譲し、魏は5代45年で滅亡して晋(西晋)に替わった。司馬懿の弟の司馬孚は退位した曹奐の手を取り、涙を流しつつ、今後も魏の臣下であると述べた。退位後は陳留王に封じられ、鄴に移り住んだ。

八王の乱の最中の302年、早くも西晋が斜陽となる時代の中で57歳で死去した。

余談

魏のラストエンペラーという立ち位置であるが蜀の劉禅、呉の孫皓に比べるとかなり影が薄い…先々代の曹芳から傀儡でしかなかったので影が薄く、これといった逸話も残されていない。逆クーデターを計って部下に殺害される曹髦が異常なのである。そのためか他の創作三国志で彼が登場していないのも珍しくないのが実情である。また、三国志が書かれた当時は存命していたので三国志における記述は退位したところで終わっており、裴注で死亡事実が補われている。


八王の乱やその後の永嘉の乱といった乱世の中、彼の子孫は江南に逃げ延び、東晋に陳留王として封ぜられている。その後も宋と続き、斉に至って廃されるまで200年以上も続いていた。つまり、諸侯王として続いた方が長い。


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