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朝青龍

あさしょうりゅう

大相撲第68代横綱。正式名称は、朝青龍明徳(あさしょうりゅう あきのり)。本名はドルゴルスレン・ダグワドルジ。
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概要

1980年9月27日生まれのモンゴル国出身の元大相撲力士で第68代横綱


優勝25回。モンゴル出身力士初の横綱。貴乃花、武蔵丸など先輩横綱が衰え引退するのと入れ替わるように横綱に昇進、圧倒的な力で一時代を築き上げ、7場所連続優勝、年6場所完全制覇、当時の年間最多勝記録などを打ち立て、「平成の大横綱」とも形容される(不祥事続きで引退のため異論もあり)。四股名の由来は、高校在学時に世話になったという高知県土佐市の青龍寺で、また、「明徳」という名前は出身校である明徳義塾高等学校にちなんで名づけられた。


愛称は本名からとった「ドルジ」やファンタのCMでのキャラクター「ファン太郎」など。また、スポーツ新聞の見出しなどでは「朝青」という略語も見られる。


左利きであり、塩を左手で撒く数少ない力士の一人である(左手で塩を撒いても作法上問題はない。また、ちゃんこを食す際、箸も左手で持っている)。左手で懸賞を受け取ったことが問題になったこともあった。


制限時間一杯での気合い入れの動作が特徴的。

左四つ。幕内としては平均的な体格ながら、組んでよし、離れてよしの自在な取り口。滾る闘志、類稀なるスピードと反射神経で突き押し、寄り、下手投げなど連続で技を繰り出し大型力士をも圧倒した。ジムでの筋力トレーニングも取り入れており、パワーを生かした吊り落としや櫓投げなどの豪快な大技でも館内を沸かせ、モンゴル相撲を土台としたその幕内決まり手数は41手を数えた。


後年に解説の北の富士から「(朝青龍が上がってくる時には)殺気を孕んでいた」と回顧されるほどの荒々しい取り口や数々の問題行動などで荒くれ者のように扱われることが多いが、新婚であった元高砂部屋の力士の家に懸賞金を置いて行ったり、引退後はツイッターで綱の勤めを果たした白鵬を労い、初優勝を成し遂げた豪栄道稀勢の里を祝う等、土俵の外では気のいい一面を持っている。特に稀勢の里には当時三段目優勝決定戦で敗れて花道で悔し涙を流す彼に「その気持ちがあれば、お前はもっと強くなる」とエールを送っていた(参考リンク)。横綱が部屋も違う三段目の力士を呼び出してわざわざ声を掛けることは非常に珍しいことである。ちなみに朝青龍自身もこのときの出来事は思い出に残っていたとのこと。

また、そのスピード感溢れる豪快な相撲とむき出しの闘争心に惹かれた人も多く、大関時代に金沢巡業で当時小学5年生だった現・幕内力士の遠藤と対面し、遠藤が相撲を好きになるきっかけを作った。今は朝青龍の方も遠藤を応援しており、遠藤の激励会にかけつけたりしている(参考リンク)。また元大関の豪栄道は、自身が入門した時の横綱だった朝青龍が、自身と身長と体重がそう変わらないのに圧倒的に強い相撲で勝っていたことに強い影響を受けたという。

要は世間一般が求めるジェントルマン、心優しきヒーロー的な横綱像にはなり得なかったが、粗暴ではあるものの野卑ではない、素直で憎めないガキ大将的な花形力士であった。



兄はレスリング選手、総合格闘家のドルゴルスレン・スミヤバザル、プロレスラーのブルー・ウルフ。甥は同じく大相撲力士の豊昇龍。


付け人の元三段目の男女ノ里(本名・岡田泰之)によると、その性分は三人の兄に対するコンプレックスに根差していたといい、彼らに敵う大相撲という競技で勝負しないとモンゴルで生き残れないという四男坊なりの考えがあった参考1参考2


引退騒動

2010年1月、場所中の1月16日未明に泥酔して暴れる騒動を起こしたと写真週刊誌に報じられ、場所後に日本相撲協会の武蔵川理事長から厳重注意を受けた。さらに、別の週刊誌の報道で、被害者が当初、名乗り出た一個人マネージャーではなく一般人男性だったことが発覚。2月1日には、同協会の(理事選挙後の)新理事会で、調査委員会の設置が決まった。


2010年2月4日、日本相撲協会の理事会で事情聴取を受けた後、突然、暴行問題の責任を取る形で現役を引退することを表明した。


この引退表明は大きく報じられた。一部の新聞では号外が発行され、繁華街や都市部で配布されたほか、テレビ各局の同日夕方以降のニュース番組で緊急特集が組まれた。


同じくモンゴル出身の横綱白鵬は同日中に記者会見を開き、「信じられない。まだやり残したことがあったと思う」と語るなど、先輩横綱の突然の引退による衝撃をうかがわせた。また、同部屋で実家が近所である朝赤龍も「寂しいって言うより胸の中から何か取られたよう」とショックを隠せず、号泣した。


引退騒動直後は格闘家転身も噂されたが、現在はモンゴルで実業家タレント等幅広い分野で活動している。大相撲開催中は上記で取り上げたようにツイッターに意見を投稿することもある。


なお、引退後の角界は事実上白鵬一強になり、通算優勝回数など大相撲の記録の多くを更新することとなった。

当時の朝青龍は既に全盛期を過ぎて衰えを指摘されており、引退せずとも遅かれ早かれ白鵬の時代になっていたとも言われるが、やはり白鵬との相撲は熱戦も多く、突然の引退を惜しむ声は未だに聞かれる。

現役終盤の本割での対白鵬戦は7連敗しているが、その間の優勝決定戦では意地を見せて引退場所を含む3回の優勝を飾っており、度重なる不祥事、怪我や稽古不足などから引退を囁かれるようになって尚も、最後まで存在感を示し続けた。


現在

モンゴルに帰郷した後は一族のビジネスに加わり、モンゴルでも有数の大実業家として忙しい日々を送っている。

Twitterも行っており、その破壊力抜群かつキレッキレのツイートとレスバで「レスバでも横綱級」と言われている。

最近は甥っ子の様子が気になるようで、豊昇龍が初日から5連敗を喫したときにはボロクソに言って発破をかけていた。その甲斐あって豊昇龍は6日目から9連勝で勝ち越しを決めている。


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