概要
札幌市の市民憲章の前章には、
「わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。」
と記載されている。
時計塔のある演武場は、同校に着任した初代教頭ウィリアム・スミス・クラーク博士らの提言と基本構想に基づいて1878年に学生の兵式訓練や入学式・卒業式等を執り行う木造の講堂として建設された。
時計塔は政府の北海道開発官庁であった開拓使長官の黒田清隆が設置を要請し、紆余曲折を経て1881年に米国製の時鐘が取り付けられた。
その後建物は市街地の大規模な火災や空襲でも破壊を免れる。
農学校の移転後の1906年に札幌市が買い取り、曳家で現在地に移築。
1911年から1966年まで市の公会堂・図書館として使用され、1970年に国の重要文化財として指定された。
先述の通り時計は設置時より稼働を続けており、経年劣化を免れないワイヤー以外の基本的な部品は大幅に交換されていない。
現存かつ稼働する同類のもので国際的にも古いともいわれている。
なお、移設当時は市街地のランドマークとして存在感を呈していたが、昨今では周囲の高層ビルの方が高くなってしまい、開発に取り残されたような状態となっている(情報収集が難しかった頃は時計台がどんな場所に建っているか知られていなかったため、そのギャップに日本三大がっかり名所などと呼ばれた)。しかし、逆に今はその札幌の歴史を今に伝える建造物として、がっかりどころかむしろ好印象を持たれることも少なくなく、内部を見学した観光客ほど「行って良かった」と思わせる場所となっている。