ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

松下村塾とは、江戸時代末期に長門国・萩に存在した私塾

その前身は吉田松陰の叔父・玉木文之進が設立した私塾であり松陰自身も幼少期に学んだ。松陰の外叔父・久保五郎左衛門をへて、安政4年に松陰がその後を継ぐ事になる。

維新志士たちを数多く輩出した塾であった。

松陰死後は中絶していたが慶応二年に再開。のち玉木文之進が再び主宰するが、元塾生・前原一誠が起こした萩の乱に塾生の多くが加わった上に、文之進の養子・正誼(乃木希典の弟)や松陰の甥・小太郎を始め玉木家・吉田家・杉家の人間も多く関与し戦死したためそれらの責任を取り自刃して閉塾。その後は松陰の兄・杉民治が再々度主宰したが教育勅語の発令と民治の引退もあり完全に閉塾した。


建物は、現在も残っており、山口県萩市の松陰神社敷地内に存在する。


主な塾生

吉田寅次郎(→松陰、のちの主宰者)

久坂玄瑞(義助)

高杉晋作

吉田栄太郎(稔麿)

入江九一

伊藤俊輔(博文)

山縣狂介(有朋)

佐世八十郎(前原一誠)

山田市之允(顕義)

品川弥二郎


この中では久坂と高杉が「双璧」と呼ばれ、これに稔麿を加えて「三秀」、そこに入江を入れて「四天王」と称された。


一方で松陰の友人である桂小五郎(木戸孝允)、松陰門下生と親しかった井上聞多()は松陰門下生と間違われやすいが、この二人に乃木希典は松下村塾で学んだことはない。ただし、乃木は玉木文之進の親類で一時期玉木家の住み込み弟子として師事を受けたことはある。



関連タグ

吉田松陰

江戸時代 幕末 長州 志士 明治維新


花燃ゆ2015年NHK大河ドラマ

歴史創作 創作歴史

関連記事

親記事

吉田松陰 よしだしょういん

子記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 3898186

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました