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森で垂迹した魔法地蔵

もりですいじゃくしたまほうじぞう

「森で垂迹した魔法地蔵」とは、東方Projectに登場する矢田寺成美の二つ名である。
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概要

東方Projectに登場する矢田寺成美の二つ名。

成美が『東方天空璋』に初登場した際のものである。


成美は『天空璋』では霧雨魔理沙などから「 成子 」と呼ばれることもあるが、地の文含め殆どの場合で名前は「 成美 」と表記される。これについてZUNは「 自分でもちょっと混乱してて 」としつつも自身の制作における手順とその慣習も振り返りながら「 「成美」が正しいような気がする 」としている(『東方外來韋編』)。


『天空璋』での初登場以後は例えば『東方香霖堂』で魔理沙が成美を紹介するシーンではフルネームの「 矢田寺成美 」の呼び方が用いられており、森近霖之助も「 成美君 」と呼びかけている。


『天空璋』の成美

成美は元は地蔵(石像)であったが、所在した魔法の森の魔力を受けて生命としての身体を得た存在である。作中では「 森の魔力で命を得た生命体 」ともされ、魔理沙からは「 魔法地蔵の成子 」とも呼ばれている(『天空璋』)。

地蔵であるが地蔵菩薩本体(本人)ではなく、現実でも見かけることが出来るような地蔵菩薩の姿を表現した石像である菩薩地蔵(像)の一体である。


様々な存在の生命力や精神力にブーストがかけられた四季異変の影響で顕現したわけではなくそれ以前にすでに生命への変化があり、初登場時点で同じく魔法の森の中にその住居を構える魔理沙と既知の間柄である。博麗霊夢のことも「 博麗神社の巫女 」として知っていた。

魔法の森の「 魔力 」は「 存在その物を変容させる 」性質も持ち、成美もまたそういった「 魔力 」の元で変化を果たした。成美は石像が何らかの外からの影響を受けて生命を得るという様子から、「 ゴーレムのようなもの 」ともされる(『天空璋』)。


自らが「魔力」の影響で生命を得た存在であることもあってか成美独特の「魔法」の才覚も花開いている。その存在性も石像の地蔵ではなく「魔法使い」へと変化している(ZUN、『外來韋編』)。

これは本二つ名に見る「魔法地蔵」にも表現されている他、成美自身も「 魔法を専門とする私 」とし、自身に変化を与えた魔法の森の領域(上空)には自身に地の利があるともしている。


成美の魔法は「 生命操作 」である(『天空璋』)。例えば「 生命力の塊 」である妖精にも通用するもので、本気を出せば妖精も「 無力化 」できるはずだとしている(成美、『天空璋』)。

妖精の脅威に怯えた月の都などにとっては垂涎の能力かもしれない。


魔力にも敏感で、『天空璋』では自らの背後からの魔力の流れにも気づいていた。

作中ではその溢れる力の奔流に心を踊らせ、喜々として主人公たちの前に立ちはだかる。


その性格は、本来は「 ひっそり暮らしたい派 」であり、「 出不精 」とも。

魔理沙からも「 引っ込み思案 」とされる性格であるが、四季異変中では丁礼田舞の能力、引いては摩多羅隠岐奈の影響を受けて溢れるほどに力が有り余って高揚した状態となっていた。この状態の成美について例えば射命丸文は「 理由なく好戦的な感じ 」とし、魔理沙は「 普通じゃ無い魔法の溢れ方をしている 」と成美の様子を心配している。そんな成美の溢れ出るパッションの一例が次のセリフである。


くたばれ天狗野郎! 」(成美、文に対して。『天空璋』)


平時の成美については魔理沙は一人が好きなタイプともしているが、落ち着いた場面などでは、一方で一人であることを寂しがるようなセリフも見られている。


森にずっと一人…… う…… 」(成美、『天空璋』)


『天空璋』作中では通りがかり、あるいは異変に巻き込まれたような状況での登場ながら独自のポジションでの重要な位置づけで登場しており、例えば魔理沙や霊夢、文のストーリーでは各面々は成美の背中に開かれた扉(舞が閉じ忘れた扉)から後戸の国へ初めて至ることとなる。

チルノのストーリーでもチルノの背後の扉に気づくのは成美である。


さらに成美は作中初登場時の場面だけでなくもう一度作中エピソードに関わることがあり、これが『天空璋』の顛末、あるいは「リベンジ」に結びつくこととなる。


地蔵と成美

成美の姓にみる「矢田寺」は、地蔵と、今日では紫陽花でも有名な実際の寺院である「矢田寺」(奈良、金剛山)に由来するか。矢田寺は日本最古の延命地蔵菩薩を所蔵し、関連する歴史資料には「矢田地蔵縁起」など地蔵菩薩にも関連した独自の歴史資料も存在する。

「矢田地蔵縁起」では伝承中に石像などではない、地蔵菩薩本人も登場する。


また成美は『天空璋』では「冬」の状態となった魔法の森上空で吹雪の中で登場しており、これはお伽噺である「笠地蔵」にも通じる点で、さらに「笠地蔵」は成美のテーマ曲である「魔法の笠地蔵」にもその名称が登場している。


作中でも魔理沙を通してその呼称と共に成美が語られ、二つ名にも見ることのできる先述の「 魔法地蔵 」についてZUNは現実にも「 風変わりな地蔵 」が様々に生み出されていることを受けて「 魔法地蔵だって居ても良いよね 」としている(『天空璋』)。

この現実にもある様々な地蔵についてZUNはその一例を『外來韋編』で挙げている。


成美の服装に見る仏法の語が記された笠や前垂れ、石像を思わせる灰色のワンピースや、正面を向いて足をそろえてまっすぐに立ち合掌する様子などは一般的な石像の地蔵を思わせる出で立ちでもある。

成美自身も石像時代からの地蔵菩薩の行う所を心に留めており、地蔵による衆生の救済と絡めたセリフもみられている。


地蔵 (※編集注)は無仏の時代に衆生を救済する為にこの世に居るんだけど

  妖精はその対象じゃ無かったね! 残念無念、また来世ー!

(成美、チルノに対して。『天空璋』)


※編集注:「 地蔵 」には「 わたし 」のルビ。


なお、成美として生命を得てからはその身体も石像から生命的な肉体へと変化しており、宇佐見菫子が実際に触って確かめたところによれば、柔らかい。石質な「 ザラザラ 」とした感触もない様子である。


このように成美はまさに本二つ名が示す通り魔法の森の魔力を受けて生命を得た、「魔法のお地蔵さま」といえる存在であり、成美もまた石像時代から込められていた地蔵としてのあり方もまた示している。


垂迹

「垂迹」とは、神道仏教の両方に関連する語で、神仏習合の在り方の一つ。

日本での「垂迹」の場合は仏教における菩薩が仮に日本の神々の姿によって顕現する様や顕現した際の姿を指す。本質は仏・菩薩で、日本の神々は日本または日本の神々の信仰がある場所で活動する際の仏らの仮の姿、といった解釈である。例えば日本神道におけるアマテラス天照大神)は日本では大日如来または十一面観音の垂迹、権現である。


仏教には他の信仰の神々を包括できる「本地仏」(ほんじぶつ)という概念がある。

仏や菩薩は救済のために様々な姿を採ることがあり、この仮の姿が「化身」や「垂迹」、「権現」であり、大元(本地)の仏や菩薩が「本地仏」である。この一連の視点は「本地垂迹説」と呼ばれる。

先のアマテラスの例では大日如来が本地仏で、アマテラスは大日如来の化身(垂迹)となる。


仏は、大目標である「救済」を成すためにその対象である「衆生」に合わせて的確な姿を採るといった仏教側の視点がベース。本質を仏・菩薩とし従来の神々を仮の姿とすることから、仏教優位の思想である。

本地垂迹説にも関連して両者の関係を「垂迹神」と「本地仏」という対比で考察するものもある。


感覚としては、ある要素が他文化に輸出される際にオリジナルの要素や本質を十分に残しつつも現地の文化に合わせてローカライズされ、また輸出側も輸入側も、ともにそのローカライズを受け入れていく力学とも言えるだろう。


日本では平安時代(または仏教伝来の奈良時代)から神道と仏教を共存させるための具体的なプロセスの一つとして起こる。例えば神道の神々に仏教名(菩薩号)が付与されるなどした。

また一つの神に対して一つの仏、といった対応関係ばかりではなく、様々な宗教的立場や様々な寺社の歴史・理解などを通して互いに複数の要素を備える神仏が登場するなどしている。


後には「本地垂迹説」が仏教優位(仏の化身が神々)であるのに対し、神道優位(神々の)の「神本仏迹」といった視点も生まれてくるなど両者の融和の在り方はパワーバランスを変えながら変化を続けていく。仏教と神道はさまざまな衝突をもちながらも融和や融合を試み併存共存を探り、「垂迹」もまたその一つの具体的な方法であった。


しかし神道と仏教の分離を図る明治時代初期の宗教政策である「神仏分離令」(1868)によって否定されて神道の神々と仏教の仏・菩薩らとの分離、さらには「廃仏毀釈」による仏教の否定が行われたことで垂迹した神仏も再度分離されるなどした。


東方Projectと「垂迹」

成美は具体的に「垂迹」を成して顕現した側の一人(仏側・神格側)であるが東方Project作中では歴史的な「垂迹」の様子を、考える側・伝える側(衆生側・人間側)の視点を通して表現したものも登場している。


例えばそれは聖白蓮スペルカードである<習合「垂迹大日如来」>に見ることが出来、作中では文が「 本地垂迹 」の語もあげて先の「大日如来」と「アマテラス」の本地垂迹について語っている(『ダブルスポイラー』)。本スペルカードを通しては、仏教視点に立つ白蓮が、大日如来に力点を置きつつ語る日本における習合とその具体的な在り方である「垂迹」の概念を見ることが出来る。


作中では白蓮は神道系の神である八坂神奈子や神道と仏教に(そして内密には道教にも)触れた豊聡耳神子と三者で会談する機会も得ており、幻想郷ならではの神道と仏教の対面を果たしている(『東方求聞口授』)。


この他成美と対比して、おもに神道系の存在である狛犬に由来する高麗野あうんが成美同様に『天空璋』に初登場している。狛犬は主に神社に設置されることが多いが、日本では先の垂迹なども含めた神仏習合の歴史的な流れもあり寺院に狛犬を設置するものもある。

例えば関東最古の不動霊場とされる瀧泉寺(東京。天台宗。「目黒不動尊」とも)には狛犬が設置されており、特に同寺院には時代の古いものから近年に納められたもの、その姿形も様々な狛犬が存在している。

あうんは先の白蓮が住職を務める命蓮寺も含めて神仏全般に心を寄せてそれを守護する存在であるなど、成美とはまた違ったかたちでの神仏の融和を体現している。先述のように地蔵は多彩なバリエーションや謂れが存在するが、狛犬にもまた様々なバリエーションも謂れも存在している。

あうんと成美の関係性についてはピクシブ百科事典では「あうなる」記事がさらに詳細。


関連タグ

東方Project 二つ名 東方天空璋

矢田寺成美


地蔵


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