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正力松太郎

しょうりきまつたろう

日本の実業家。読売新聞社のオーナー社長を務めた。

1885年、富山県に生まれる。

読売ジャイアンツ日本テレビ読売クラブ設立に尽力。湯川秀樹ら有識者の反対を押し切って原子力発電の導入を強力に推進し、原発の父と呼ばれる。

東京帝国大学卒業後、内閣統計局を経て警視庁入庁。米騒動鎮圧の功により従六位に叙せられる。関東大震災において朝鮮人暴動の噂を組織的に流布したため世情が混乱し、震災後に民間人による朝鮮人虐殺事件が多発した原因を作る。

警務部長在職中に裕仁親王(後の昭和天皇)狙撃事件が起こったため、懲戒免官され警察を追われるも恩赦。後藤新平の資金援助により、経営不振であった読売新聞社の経営権を買収し社長の座につく。

自らヘッドハントした務臺光雄と二人三脚で読売を日本有数の新聞社へと押し上げ、「読売中興の祖」と言われる。1934年には、日本初のプロ野球球団読売巨人軍を創設。

第二次世界大戦中は内閣情報局参与、貴族院議員、内閣顧問に就任し、政権の中枢に関わっていたため、後の東京裁判でA級戦犯に指定された。

戦後は一転してCIAのエージェントとしてアメリカ合衆国の対日工作に協力。CIAと協力して日本テレビの創設と原子力発電の日本導入に奔走する。

プロ野球の立ち上げに大きく貢献し、ライバルの毎日新聞にも参加させ読売・毎日主導の二強が支える2リーグ構想を持っていたとされるが、この構想は当の読売内でも大きく反対が起き、毎日は参加したものの結局道半ばで球団消滅。資本力、広告力、政治力における巨人一強の時代が長く続くことになる。

読売クラブを設立した1969年に死去、講道館より柔道十段を追贈。

その生涯はスキャンダルと陰謀にまみれたダーティーなものであったが、戦後日本のあり方に非常に多大な影響を遺した人物であり、その名はプロ野球の文化賞ともいえる『正力松太郎賞』にその名を残している。

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渡辺恒雄

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