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仁徳天皇は即位後、高台に登られ国を見渡された所、民家のかまどが立っておらず、これを目にした仁徳天皇は「これは民が貧しいからである。3年間の徴税を禁止し、免税とする」と仰せになり、免税を行われた。


そのため皇居の屋根を葺く材料にも事欠いてしまっていたが、天皇は気になさらず3年後に炊煙が盛んに登るのをご覧になられ「我は富んだ。素晴らしき事」と仰せられたのを聞いたお后が、この状況下で富めるのはなぜかと問いかけると、仁徳天皇は「まつりごとの基本は民。民が富まねば天子である私も富んだ事にはならぬ」と仰せになられた。


諸国の民や権力者は「御殿の修理をせねばならない時、民は豊かになって落し物すら拾得しない。このような時に租税を治めねば天罰を受けます」と言上したが、仁徳天皇は更に3年間の免税を続けられた。

しかし、しばらくして「天皇にこんな貧相なところに住んでもらうのは申し訳ない」と憂えたたちによって、天皇はようやく「好かろう」と思われ税を解禁され、その詔を拝聴した諸国の民は大挙して都に詰めかけ、自主的に御殿の修理納税に励んだ。


そのため、陛下を『聖帝』と申し上げる事となった。


外交的な視点

仁徳天皇の父の応神天皇やその母の神宮皇太后の時代は「九州制圧を重視する」皇族本家と「朝鮮半島への侵出を目論む」皇族分家で神宮皇太后の一派の意見が対立し、後者が勝って朝鮮半島への出兵を繰り返していた時期だった。

仁徳天皇の納税停止も此れ以上戦争を繰り返していたら自国の民政が破綻しかねない、と言う意見を新天皇が打ち出した政策転換という一面もある。

実際、仁徳天皇時代には百済・新羅両国との停戦・国境策定も並行して行われている。



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