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氷河急行

ひょうがきゅうこう

スイスの観光列車。レーティッシュ鉄道とマッターホルン・ゴッタルド鉄道が共同運行する。
目次 [非表示]

概要

レーティッシュ鉄道(RhB)とマッターホルン・ゴッタルド鉄道(MGB)の路線を直通する観光列車。日本語訳は「氷河急行」と「氷河特急」のいずれも使われている。

最長列車はサンモリッツとツェルマットの間291kmを8時間近くかけて走るため、「世界で最も遅い特急」とも称される。


歴史

急峻な山々が連なるスイスアルプスには、西からローヌ川、東側からライン川(フォルダーライン川)が切り込み、渓谷を穿っている。氷河急行は、この谷に沿って鉄道が通ったときから運行されている由緒ある列車である。


この区間の鉄道の歴史は、1910年にブリーク・フルカ・ディセンティス鉄道(スイス・フルカ鉄道)の設立に遡る。同社は1914年に、ローヌ川に沿うブリーク~オーバーヴァルト~グレッチュ間を開業させたが、ライン渓谷とローヌ川の間に立ちはだかるフルカ峠越え区間の建設中に資金が底をつき、1923年に倒産してしまった。このとき同社の事業は、フィスプ・ツェルマット鉄道が設立した新会社、フルカ・オーバーアルプ鉄道に引き継がれた。有事には天然の要塞となるアルプスを貫く鉄道という軍事的な重要性から、公的資金も投入されて完成が急がれ、1926年にグレッチュ~ディセンティス間が開業、ブリーク~ディセンティス間が全通した。

1930年6月にフィスプ~ブリーク間が開業したことで、ツェルマット~フィスプ・ツェルマット鉄道~ブリーク~フルカ・オーバーアルプ鉄道~ディセンティス~レーティッシュ鉄道というルートが完成。同年7月にはツェルマットとレーティッシュ鉄道のサンモリッツの間を直通する観光列車が走り始めた。

この列車は、途中のグレッチュ付近から見られ、当時沿線一の名勝であったローヌ氷河にちなんで「氷河急行」と名付けられた。フルカ峠区間が冬季運休であったことから夏場4か月程度の運行だったがたちまち人気となり、1930年だけで20万人以上が乗車したという。また当初から食堂車が連結されていたが、フルカ・オーバーアルプ鉄道は非電化だったのでレーティッシュ鉄道区間内だけのサービスだった。

1943年~1946年には第二次世界大戦の影響で運休となったが、1947年から運行を再開。フルカ・オーバーアルプ鉄道が電化されたため、これ以降は食堂車の営業範囲も拡大された。また、レーティッシュ鉄道側の発着駅にクールが加わり、しばらく2往復体制での運行が続く。

氷河急行が転機を迎えるのは1982年。毎年冬期運休前に架線撤去・橋梁格納の作業が必要で、1963年には作業中の雪崩で死者も出していたフルカ峠区間を抜本的に改良するため、1973年に着工されたフルカベーストンネルが開業を迎えたのである。これにより氷河急行は通年運行が可能となり、増発も行われたが、列車名の由来となったローヌ氷河が車窓から消えた(もっとも、このころにはローヌ氷河は後退を始めており、かつてのような絶景ではなくなっていたが)。

その後90年代からはパノラマ客車の導入が進み、2006年には全列車が専用のパノラマ客車で運行されるようになった。この際食堂車が廃止され、シートサービスに変わっている。また、2003年にはフルカ・オーバーアルプ鉄道とブリーク・フィスプ・ツェルマット鉄道(1962年にフィスプ・ツェルマット鉄道が改称)が合併し、マッターホルン・ゴッタルド鉄道となった。

こうして氷河急行は、ライン川の渓谷美やオーバーアルプ峠の急勾配を楽しむ観光特急として、ベルニナ急行と並び多くの観光客に親しまれている。


「傾いたグラス」

氷河急行のルートには、最大110パーミルの勾配(1000mで110m登る)があり、列車はラックレールで上り下りする。スイスの鉄道では普通のことだが、世界的には珍しいこの急勾配を実感できるのが氷河急行名物の「傾いたグラス」である。

急勾配の区間を通っているときに列車内でこのグラスに飲み物を注ぐと、液面が水平になるというもので、氷河急行車内で購入することができる。

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