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概要

旧日本海軍で「江風」と命名された駆逐艦は、

  1. 1916年に就役した浦風型駆逐艦
  2. 1918年に就役した江風型駆逐艦
  3. 1936年に就役した白露型駆逐艦(改白露型駆逐艦)

の3隻が存在している。


浦風型駆逐艦

大日本帝国海軍がイギリスヤーロー社に発注。江風と命名するが、第一次世界大戦が勃発したため、イタリア海軍に譲渡されることになり、進水前に除籍される。

イタリア海軍に渡った際にアウダーチェと改名、1916年に就役した。


江風型駆逐艦

磯風型に続いて建造された一等駆逐艦。国産の駆逐艦としては初めて53センチ魚雷の発射管を搭載(これまでにも53センチ発射管を搭載している艦として浦風型があるが、浦風型は英国で建造された艦のため当クラスが国産初)しており、また日本駆逐艦として初めてオール・ギヤード・タービンを搭載した艦でもある。

江風はこうした経緯で計画し、1918年に竣工した。砲火力は低下していたが、タービンにより計画速力は飛躍的に増加した。本艦は竣工前公試での全力航走で39ノット超を発揮し、あの日本最速の島風に迫る速さとなった。

同型2番艦に、のちに陽炎型駆逐艦14番艦が2代目を襲名することになる谷風がある。


第1次世界大戦で、艦隊任務・警備任務等に従事した後、1934年4月1日除籍された。


白露型駆逐艦

藤永田造船所で1935年4月25日起工、翌年11月6日進水、さらにその翌年の4月30日に竣工した白露型駆逐艦の9番艦。

海風と共に第24駆逐隊に編入され、第一艦隊隷下第一水雷戦隊に所属した。


駆逐艦としては歴戦の勇士であり、日中戦争での初陣を皮切りに敵艦2隻撃破・重巡洋艦1隻大破、ガダルカナルへの突入回数は駆逐艦でもダントツの26回という、「幸運艦」時雨・「阿修羅」夕立と並ぶ白露型切っての武勲艦であり、「ガダルカナルの切り込み隊長」といえる勇ましい姿を見せた。

特に輸送船団の護衛に就いていた米駆逐艦「ブルー」「ヘルム」「ヘンリー」を、本来共戦するはずだった夕凪の遅参によってたった一隻で相手取り、「ブルー」を撃沈(ないし自沈)に追い込んだのは有名である。

改良型とはいえ、阿修羅の血筋はしっかりと継承していた模様。

なお、歴代艦長にあの吉川潔氏もいる(1939~40年に座乗)。


しかし1943年8月6日、ベラ湾の戦いにて戦没。

帝国海軍の十八番である夜戦において、米軍のアーレイ・バーク大佐の講じた「レーダーを利用した2つの駆逐隊による連携奇襲戦法」の前に敗れ、陽炎型の萩風と嵐共々撃沈されてしまった。

その余りの沈没の早さから、文字通りの轟沈だったという。

この海戦で江風に乗っていた柳瀬喜雄少佐以下169名が殉職、生き残った艦は時雨だけだった。

時雨にとってはその艦歴の中で「最初の」艦隊全滅であった。


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江風(艦隊これくしょん)江風(アズールレーン)・・・いずれも3代目江風をモチーフにした「艦隊これくしょん」「アズールレーン」のキャラクター。

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