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概要

甘露寺房長の子、官位は正二位、権大納言


プロフィール

時代室町時代
生誕応永31年(1424年)
死没明応9年8月17日(1500年9月10日
官位正二位、権大納言
主君後花園天皇後土御門天皇
氏族甘露寺家
父母父:甘露寺房長
兄弟親長三条西公保
元長

経歴

嘉吉元年(1441年)に従五位上、嘉吉3年(1443年)に南朝の遺臣が襲撃した際に後花園天皇を護った。その後は弁官(左少弁・右中弁・左中弁・左大弁)・蔵人頭に就任し享徳元年(1452年)に参議と従三位の位となる。享徳2年(1453年)に権中納言。康正2年(1456年)に正三位、応仁元年(1467年)の応仁の乱では邸宅が焼かれ勧修寺石山寺鞍馬寺へと逃れた。文明9年(1477年)に朝廷に戻り出仕した。明応元年(1492年)に権大納言に就任した。自身の日記である『親長卿記』がある。


外部リンク

甘露寺親長 - Wikipedia


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朝廷 公家 室町時代 甘露寺家

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