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田澤純一

たざわじゅんいち

神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手。NPBを経由せずにMLB入りした数少ない投手の1人である。
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概要

1986年6月6日生まれ、神奈川県出身。右投右打。ポジションは投手。

横浜商科大学付属高校在籍時には、1年生時からベンチ入り。3年夏はエースで神奈川県予選でベスト4入りするが、準決勝で涌井秀章を擁する横浜高等学校に敗れ、本大会へは進めなかった。


高校卒業後は社会人野球の名門新日本石油ENEOS)に入社。主にリリーフとして活躍していた。2007年の大学生・社会人ドラフト会議にて、複数の球団が田澤の獲得を検討。しかし彼はこれを断り、新日本石油に残留することを表明した。


翌2008年、記者会見でメジャーリーグ挑戦の意思を表明。同時に日本プロ野球の12球団宛にドラフト指名を見送るよう求める文書を送付した。日本球団からのドラフト上位指名が確実視される選手が日本球界入りを拒否しメジャーリーグ挑戦を表明したことは「田澤問題」として日本プロ野球のドラフト制度に問題を提起した。この一件が起きて以来、日本のプロ野球のドラフト指名を拒否して海外のプロ球団と契約した選手は、当該球団を退団した後も一定期間(大卒・社会人は2年間、高卒選手は3年間)はNPB所属球団と契約できないとするルール(いわゆる田澤ルール)が設けられた。


プロ野球選手としての活躍

MLB時代

田澤の獲得にはメジャーの複数球団が興味を示し、ボストン・レッドソックスシアトル・マリナーズテキサス・レンジャーズアトランタ・ブレーブスが実際に交渉。その結果、レッドソックスが3年総額400万ドル(約3億8000万円)でメジャー契約を結んだ。日本のプロ野球を経由せずにアマチュアからメジャーリーグ球団と契約した日本人選手としてはマック鈴木(鈴木誠)と多田野数人に続いて3人目、中でもマイナー契約を経ずにメジャー契約を結んだ初の日本人選手となった。


レッドソックスでは社会人時代と同じリリーフとしてプレー。メジャー初登板の試合ではA-RODにホームランを打たれていきなり敗戦投手になってしまった。

2010年シーズン開幕直前には肘を故障してトミー・ジョン手術を受けた影響で、約1年間をリハビリに費やす。その後はセットアッパーとして安定した成績を積み上げ、一時はクローザーを務めたこともある。


2013年にはテキサス・レンジャーズから移籍してきた上原浩治との日本人2人による継投が話題となった。同年、レッドソックスはワールドシリーズ優勝を果たした。


2016年12月、マイアミ・マーリンズと2年総額1200万ドルで契約。


2018年5月、マーリンズのメジャー登録40人枠を外れるDFAとなり退団。6月にデトロイト・タイガースとマイナー契約したが、僅か1か月で解雇された。7月にロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約、セプテンバーコールアップによるロスター拡大に伴い9月1日にメジャーへ昇格した。


2019年は招待選手としてシカゴ・カブスのスプリングトレーニングに参加。レギュラーシーズン開幕前に一度契約を破棄されたが、直ぐさま再契約してカブス傘下のマイナーチームに配属された。しかしカブスでのメジャー復帰は叶わず、7月に自由契約となり、翌8月にマイナー契約でシンシナティ・レッズに入ったが、この年は最後までメジャーへ昇格することは無かった。


指名打者制度を導入しているア・リーグの球団に長く在籍しており、尚且つ専らリリーフ投手として試合に出場していたため、メジャーではヒットを打つどころか出塁すら1度も無かった。


MLB退団後

2020年はスプリングトレーニング中にレッズから解雇されたうえ、COVID-19の影響でMLBの開幕遅れとマイナーリーグの中止が決まりメジャー復帰の可能性が遠のき、さらには前述の“田澤ルール”によりNPBの球団とは契約できないため、日本BCリーグに所属する埼玉武蔵ヒートベアーズでプレーすることにした


2020年9月7日、日本野球機構(NPB)と12球団は実行委員会を開き、通称「田澤ルール」の撤廃を決めた。今後、同様のルールを作らないことも確認されドラフト会議での指名も可能となったが、34歳という高い年齢や故障歴のほか「どうせMLB球団からオファーが来たらすぐに出ていく」との憶測から、2020年のドラフトで田澤を指名する球団は無かった。


2020年12月、CPBL味全ドラゴンズへの入団を発表。2021年は防御率3.56ながら、この年リーグ2位となる30セーブ(4勝4敗)を挙げた。外国人枠を使っている関係もあり、同年オフに退団。

2022年は所属先が未定のままで迎えたが、5月に入りメキシカンリーグのドゥランゴ・ジェネラルズ(ヘネラレス・デ・ドゥランゴ)に入団した。ドゥランゴでは13試合に登板して防御率12.08と結果を残せず退団(なお、阿佐智がSportivaで挙げていた14.92はRA9と云う別の数値である)。プロ野球選手としてのキャリアはここで終わり、日本へ帰国して古巣のENEOSで野球競技生活を続けている。


結果的にはMLB通算防御率4点台で規定投球回未到達の中継ぎという微妙な成績のプロ野球時代であったが、生涯年俸28億円でメジャー年金90%支給(62歳から終身で毎年1700万円)と、経済的にはNPBの超一流選手にも引けを取らない勝ち組となった。


NPB入りしない理由

田澤本人は社会人野球出身であれば即戦力となることが求められるが、当時はそうなる自信が無かったので、先ずはアメリカ球界で実力をつけることが目的だったと語っており、NPBを低レベルと見なしているとか強い嫌悪感を持っていると云うことは無いとしている。


また、NPBのドラフトの現行ルールでは「日本国籍を持ち、未だ何れのNPBの球団とも契約したことが無い選手は、球団がドラフトで交渉権を獲得しなければプロ入り出来ない」ように定められているため、このルールに従ってドラフトで指名されない限り、田澤はNPBでプレーすることは不可能なのである(NPBでプレーした台湾籍の選手がCPBL入りするには、現地のドラフトで指名されないといけないのと同じ)。


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