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大まかな流れ

とある国のお殿様、参勤交代でお江戸にいらっしゃったそうな。


暇を持て余したお殿様は、ある時急に思い立って鷹狩に参ると家臣に言い放ちます。


さぁ、家臣たちは大慌て。取る物もとりあえず、とにかく恰好だけは馬鹿にされてはいかんとなんとか身支度は整えて目黒まで遠乗りに出掛けたはいいものの、皆さん大事なものをお忘れなさった。


「腹が減ったのう、爺」


そう、弁当を用意することを揃ってスポーンと頭から抜けていた。一日馬に揺られて腹は減っているのに、食べる物が何もない。お殿様も家臣も空きっ腹を抱えて困り果てました。


と、そこに何やら美味そうな香りが漂ってくるではありませんか。


「あれは何の香りじゃ、爺、今すぐ手に入れてこい」


「あれは秋刀魚という下魚にございます。とてもではありませんが、殿が召し上がるようなものではございませぬ」


「いやじゃ、いやじゃ。あんな美味そうな匂いを嗅がせられて我慢などできるものか」


仕方なく家臣は秋刀魚を焼いていた百姓に交渉し、秋刀魚を譲ってもらいます。そしてお殿様、家臣一同が唾を飲む中一匹だけの秋刀魚を一口食べて大層感動なさったそうな。


「美味い、これは実に美味い魚じゃのう。いつも屋敷で食べている魚とは大違いじゃ」


無理もありませぬ。お殿様が普段食している魚というものは、お毒見だのなんだのですっかり冷めて脂の抜けたような魚ばかり。脂の乗った焼き立ての秋刀魚などを召し上がったのはこれが初めてのことでした。


さて、鷹狩から帰って来たお殿様。寝ても覚めても思うのは秋刀魚のことばかり。秋刀魚を食いたい、食いたいと願ってもそれはいけないと家臣たちが止めるので口にできない毎日。


しかしある日、家臣からこう言われました。


「殿、まもなく親族の集まりがあります。その日は殿のお好きな食事をご用意いたしましょう。いかがなさいますか?」


「秋刀魚」


「……は?」


「秋刀魚じゃ。秋刀魚以外の物は口にしとうない」


家臣たちは大いに悩みました。秋刀魚などと言う下魚をお殿様に出すなど無礼にも程があります。しかし、お殿様が言うなら仕方ない、と家臣たちは日本橋の魚市場で最高級の秋刀魚を買い求め、「焼いて出る脂は体に悪い」ということで脂をすっかり抜き、「骨が喉に刺さると危ない」ということで骨も一本残らず丁寧に抜き、そうしたらもう身がグズグズで皿に乗せられないので椀に入れてお殿様に出したそうな。


さて、お殿様。楽しみにしていた秋刀魚の変わり果てた様相にきょとんとした後、一口それを食べてキュウッと眉をひそめなさった。そして家臣の一人を呼び寄せてこうささやいた。


「これこれ、この秋刀魚はどこであがなった?」


「は、日本橋の魚市場でございます」


「だからこんなにひどい味なのだ、やはり秋刀魚は、目黒に限る」


解説

オチばかり有名だが、当時の江戸の地理に詳しくないと意味がわかりにくい噺である。

要は世間知らずのお殿様が内陸部である目黒で食べた秋刀魚の方を、本来の魚市場である日本橋で求めた秋刀魚より美味しいと豪語する、というオチ。

しかしもう日本橋に魚市場も無ければ海も無いため、現代人が理解するのはたとえ住んでいても難しい。

中には本当に目黒の名物をサンマだと思っている人すらいる始末。


当時の士族の食生活を皮肉った噺でもあり、特にお殿様は規則にガチガチに縛られて美味い物を食う機会もあまりなかったことを皮肉っているという説もある。

江戸時代は実は庶民の方が自由で豊かな食生活を楽しんでいたといわれ、武士は「この食べ物は名前が切腹に通じる」「この魚は腹が白いから切腹に通じる」など様々な縁起から食生活を縛られることが多かった。

たとえば赤飯にアズキではなくササゲを入れる文化は、アズキが煮ている間に「腹が切れる(真ん中の皮が破ける)」ので武家が代用品としてササゲを用いたから。また、江戸ではウナギを背中からさばくが、これは武家の街で腹をさばいたら縁起が悪いからであり、大阪では腹からさばく。腹を切る刀を持つことも許されない町民からすると、くだらないことのためにうまいものを我慢するアホらしいことこの上ない習慣であり、和食はこうした遠慮のない町人文化によって大きく発展したというのは有名な話。


作者不詳の古典のため原話が見つかっておらず、かなり有名な話なので解釈も多岐にわたる。上述した2つの説がたびたび説かれるが、これらにも反論が存在する。

「上品に調理するとまずくなるのに、下品に調理するとこの上なくうまい」という矛盾を笑ったという解説もあれば、昔のアニメの定番だった、お嬢様がハンバーガーのような下々の食べ物を食べて「こんなにおいしいものがあったなんて!」と驚くようなノリで解説しているものもあるし、「俺達だってうめえもん食ってんだ、お上は知らねえだろ」という町民文化や反骨心ひいては日本人の底力なのだというノリで解説しているものもあり実に多種多様。

落語の演者の違いで済むならまだしも、絵本や児童書はおろか、校長先生のお話やお寺の法話、うさんくさいビジネス書やいかがでしたかブログなどでも「作者の人そこまで考えてないと思うよ」みたいな珍解釈が載る始末。しかもそれぞれが原本を持つものだから、たびたび編集合戦を起こす。


作り話なんだからとあんまりマジにならずに聞いて、噺家の演じる世間知らずのお殿様を笑うくらいが平穏だろう。


類話「ねぎまの殿様」

似たような話に「ねぎまの殿様」というものもある。こちらは「目黒のさんま」との差別化もかねて、『煮売屋(江戸時代の食堂)の符牒(専門用語)を意味も分かっていないのに使って料理係を困らせる世間知らずのお殿様』を笑いどころに据えている。

これは殿様が煮売屋で買い求めて、そこにあった醤油樽に腰掛けて食べた「にゃー」という料理をお殿様がたいそう気に入り、料理係にそれを頼むという筋書き。

そもそも「にゃー」とは何かと頭を抱え、「ねぎま(ねぎとまぐろの煮込み料理、昔の庶民的な食べ物)」を聞き取れずに勘違いしているのは理解した。まさか下々の食べるものをそのまま殿に出すわけにもいかず丁寧に作ったところ殿様の勘気をこうむってしまい、符牒(しかも誤用)だらけのあまりに意味不明すぎる説教を受けて頭を抱える。

そこで煮売屋の作り方の通りに作ったところ、お殿様は機嫌を直し、

「醤油樽を持て」


余談

現代で「目黒」というと目黒駅のあたりが連想されるが、この駅なんと品川区。やはり目黒駅は品川のものに限る。

なおこの目黒駅の立地が原因で、現在「目黒のさんま祭り」は品川と目黒とで覇権争いが行われ、どちらの区も個別で開くので年に二度開催されるのが常だったりする。近年はコロナ禍で開催そのものが中止にもなっているが…


小ネタ

かつて存在した日本のサラブレッドには、メジロサンマンという馬(宝塚記念を勝ったメジロパーマーとメジロライアンの祖父)が居て、こち亀ではこれらを捩り『メグロサンマ』という馬が会話に登場していた。

関連項目

落語

サンマ

江戸時代

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