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石黒昇

いしぐろのぼる

アニメ制作会社アートランドの創業者でもあるアニメーター。もしくは陸上長距離走の選手で日本陸上競技連盟の元メンバー。
目次 [非表示]

本項ではアニメーターについて記載。


概要

高校時代は貸本漫画家だったがスランプに陥ったことで漫画家としての道は諦め、大学在籍時に自主制作でアニメを作ったことからアニメーターの道を目指す。大学の近くに虫プロダクションがあったことから在学時に何度も通っては『鉄腕アトム』の演出家に気になった点を質問しており、その縁もあってか後にアトムの原画も担当した。


虫プロ作品や東京ムービー新社作品の絵コンテを経て、『宇宙戦艦ヤマト』のアニメーションディレクターを担当したことで名が知られるようになり、1978年にアニメ制作会社アートランドを設立。アニメ制作を担当しつつ、美樹本晴彦板野一郎河森正治平野俊弘らを育成。彼らと共に『超時空要塞マクロス』を制作した。同社が制作した『メガゾーン23』では原作兼監督、及び小説版作者を担当。


SFアニメの演出とエフェクトに定評があった。


2012年3月20日、神奈川県川崎市の病院で死去。享年73歳。

音楽を題材にしたTVアニメ企画『エンジェルスキャンディーズ』の企画・プレゼンテーションを行っており、イベントやメディアミックスも行っていたが彼の死によりお蔵入りとなった。


エピソード

手塚治虫は小学生の頃から憧れの人で、虫プロには入らなかったものの、鉄腕アトム(第2作目)の監督を担当する等、数多くの手塚作品のアニメに関わっている。


大学生時代に仲間とバンドを組んでいたことがあり、音楽に関する経験からミュージカルアニメ『ワンサくん』では絵コンテが重宝され、マクロスでもテーマ曲やリン・ミンメイの歌を「阿佐茜」名義で作詞した。(「阿佐茜」は彼と脚本・シリーズ構成担当の松崎健一、富田弘プロデューサーの3人の共同ペンネーム)


監督としては自分の作風を前面に出さず、才能と意欲のある人材にはキャリアに関係なく重要なポジションを任せるスタイルを取っており、マクロスではこれが功を奏した。当時大学生でキャリアのまだ無い美樹本晴彦に早くから才能を見出し、彼にキャラクターデザインをやらせてみようと思ったがこれにアニメーター陣が反発してやめていってしまい、「だったら全部素人を集めて作ってやろう」と美樹本の同級生である板野一郎や河森正治(この二人の場合、すでに業界で仕事はしていたが本作で開花したのは確か)、そして庵野秀明をはじめとする後のガイナックスのメンバーとなる面々が制作に関わったのである。


一方、久々・そして最後の監督作『TYTANIA』ではスタッフに意見を求めても惰性でアニメを作っていて、作品をどういう風に動かしていくが考える人間が少なくなったことに苦言を述べている。


担当作品

他、演出・絵コンテ担当作品多数

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