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解説

大宝寺城を前身とする。

築城年は不明だが、中世とされる。

武藤大宝寺氏によって築かれ大宝寺城と名付けられた。

戦国時代に一度焼失した後武藤氏は尾浦城に本拠を移し、大宝寺城は支城となった。

武藤氏滅亡後は上杉の勢力下となるが、一揆によって落城した。

1600年の関ヶ原の戦いの後、庄内地方は最上氏の領地となった。

その際に庄内地方の城の整備が行われ大宝寺城、東禅寺城、尾浦城をそれぞれ鶴ヶ岡城、亀ヶ崎城、大山城へと名将変更した。

最上氏改易後は譜代の洒井氏が城主となった。

その際に大規模な改修が54年の歳月をかけ行われた。

本丸は石垣が使用されているがほぼ土塁であった。

櫓門が特徴でもある。

1805年には東北唯一の藩校「致道館」が設けられた。

戊辰戦争においては奥羽越列藩同盟の一員として会津藩とならぶ強硬っぷりを見せつける。

会津降伏後も明治になる前日まで戦い続けたとされる。

2017年には続100名城に選定された。


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