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EF30

いーえふさんじゅう

関門トンネル(幡生操車場・下関駅~門司駅・東小倉駅間)専用の交直流電気機関車。

直流区間である山陽本線下関(貨物は幡生操車場)からの関門トンネルと交流区間である門司駅(貨物は東小倉駅)を結ぶために製造された世界初の量産交直流電気機関車である
(門司駅構内交流化によって不要になる直流機EF10を置き換える目的もあった)

最大の特徴は、トンネル内から滴る海水で車体の腐食を防ぐためステンレス車体になっていることである(ちなみに言えば、EF30はありそうで他に例が無い国鉄、JRの機関車で「全車体がステンレス製」の形式である)。
駆動方式は空転を極力防ぐため1台車1電動機方式を採用したが、これは後続がないことから成功したとは言い難いようだ。
また、交流区間での運転はわずかなため、交流区間での出力は非常に小さい(定格出力が直流区間で1800kwに対し交流区間は450kwしかない)。最高速度自体も85km/h(交流区間は35km/h)を超えることはなく低速運転が主体の特殊機であり、貨物運用のために重連総括制御装置が併設されている。
また暖房装置の類は搭載していないため、当時関門トンネルを超える一般客車運用では暖欠状態で運転されることを余儀なくされている。

1960年に1号機が落成。最初は米原機関区に配属されて北陸本線で試運転がなされた。
量産機は翌年から登場した。1号機と量産機とは外観と車体長が異なるのが特徴である
(1号機はステンレス平板に赤帯、2号機以降はステンレスコルゲート外板)
また当時は大出力半導体技術が発展途上であったため、シリコン整流器の素子数は、量産が進むごとtつれに小型小容量のもの多数から大型大容量の物少数へと変遷していった。
1961年の鹿児島本線の交流電化(それまでは門司駅構内も直流電化であった)から活躍を始めた。旅客列車は単機で、貨物列車は重連で運用された。その後の列車増発につき1968年まで製造が継続されている。
当初はヘッドマークステイはなく、1985年ごろのヘッドマーク復活に併せ新設されたもので、現在保存されている20号機をみるとステンレス鋼ではなく一般鋼に銀色塗装した物を後付けしたものであることが確認できる。

しかし、老朽化と、後継機ともいえるEF81形300番台および400番台(0番台を重連対応に改造した機)が登場したため、国鉄の分割民営化を待たずに1987年3月に全機引退した。
その際1987年3月29日にさよなら運転が行われたが、6号機と21号機との重連で行われ、普段の運用での最南端駅である東小倉駅を越えて遠賀川駅まで運転された(門司港→遠賀川→下関→門司のコースで運転された)。なお、さよなら運転に際し交流区間では重連でも力不足となるためEF81形304号機が補機を務めた。

JR九州では3号機を動態保存機として大分運転所に残したが、後に解体され、前頭部のみ門司港の九州鉄道記念館に保存された。JR貨物でも21号機が吹田機関区に保管されていたが、解体された。現存するEF30は、北九州市門司区の和布刈(めかり)公園に保存されている1号機と、群馬県安中市の碓氷峠鉄道文化むらに保存されている20号機のみである。九州に量産機が保存されず、関門トンネルとは無縁の群馬に保存されているのは何とも皮肉である。

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