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F-105

えふいちまるご

アメリカ、リパブリック社によって開発された超音速戦闘爆撃機。前作F-84で得たノウハウをふんだんに盛り込んで完成した。機内に爆弾倉を持つ事もあり、全長20mにもおよぶ機体はもはや巨大。通称は「サンダーチーフ」だが、パイロットには「サッド」と親しまれた。主にベトナム戦争前期に活躍した。
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あくまでも戦闘機です!

全長20mを超える巨体、大出力のJ57エンジン、小さな主翼に核爆弾。
接頭記号に「F」が付かなければ、誰もが爆撃機と思うだろう。

しかし、れっきとした戦闘機である。1950年代のアメリカ空軍には
「核爆弾を搭載して、低空を高速で飛行。敵に気付かれない内に核攻撃を敢行する」
という構想が存在していたのだ。そういうわけで、このF-105「サンダーチーフ」は当初から爆撃に傾倒して開発された。おそらく、こうして存在感を示し続けることで、戦略空軍から「お株」を取り戻す算段もあったのだろう。

失敗のクック・クレイギー

さて、「構想が出来上がったので、いざ発注!」という時になって状況が変わった。
朝鮮戦争が休戦になったのである。(1953年に休戦協定締結。ただし、韓国は調印せず)
発注数は大幅に絞られ、199機が合計46機にまで減らされた。

しかし、開発現場でも状況は変化していた。エリアルールの発見である。さらにNACA(NASAの前身)でも、効率のいいエアインテーク形状が開発され、一挙に完成形へと近づいていった。

だが、またしても「クック・クレイギー方式」が足を引っ張った。当時はすでにYF-105Aが完成し、同じく生産機も製作中だった。さらにはエンジン換装も決定してしまう。生産は完全に勇み足だったのである。

中止された偵察型

さて先ほど「合計46機」と書いたが、これは戦闘機37機と偵察機9機の合計である。
偵察機型はRF-105と呼ばれ、実機も完成間近だった。
ところが偵察型の役目はF-101に負わせることになり、RF-105は取りやめとなった。
完成前にRF-105は実験専用となり、JF-105と改称されて各種実験に用いられた。

ワンマン・エアフォース

試作型となったF-105Aに続き、最初の量産型がF-105Bである。
(厳密に言えば、クック・クレイギー方式では試作型は出ないのだが)
本来の構想に従い、爆撃に関しては優れた能力を示した。その反面、簡単な対空レーダーしか搭載せず、対戦闘機では不利だった。また、空軍の曲技飛行隊「サンダーバーズ」が採用したのもこの機である。空軍広報部には「ワンマン・エアフォース」として宣伝された。
銀塗装に爆弾を満載した姿は、まさに力強さの象徴であった。

あっというま劇場

F-100CからF-105Bに変更した空軍の曲技飛行隊『サンダーバーズ』だったが、曲技中に墜落事故を起こしたせいで、実際のショーは僅か6回で終わった。観客の目の前で機体は真っ二つに折れて墜落、パイロットは死亡した。この機は以前、空中給油の際に損傷しており、それが原因だと言われている。とにかく、この事件により装備機はF-100Dに後戻りし、F-105Bは半ば黒歴史となった。
(その年の予定は別の部隊から飛行機を借りて消化した)

サッド、ドイツへ出掛ける

最初の配属先はドイツのビトブルグ基地だった。ここは米ソが対立する最前線であり、低空・高速核攻撃を存分に生かせる場所だった。続いて日本の嘉手納基地と板付基地(現在の福岡空港)にも配備され、まさに緊張の最前線へと送られた。

マクナマラ長官の横槍

ケネディ政権での国防長官ロバート・S・マクナマラは、それまでタブーであった陸海空軍の兵器の統合を推進した。これによりF-105の採用は大幅にF-4に喰われることになったのである。
(他にもワリを喰ってF-106が減らされている)
1400機配備の計画は610機にまで減らされてしまった。しかし、その矢先にとんでもない事件が待ち受けていたのである。

トンキン湾にサッド散る

F-105Dの生産が終了した直後、1964年8月にトンキン湾事件が起こった。
(1回目はともかく、2回目がCIAの茶番だった事はあまりにも有名)
ベトナム戦争の勃発である。

F-105Dもそれに借り出され、戦争前半の主役を務めた。
ところが結果は散々なものだった。当初の目論見は全てはずれ、低空で核攻撃どころか中高度で水平爆撃をするハメに陥ったのである。
(それこそ第二次大戦の爆撃機のように)
爆弾が重いので動きが鈍く、なんと格下のMiG-17にまで撃墜されたのだ。

その手口である。
まずMiG-17はF-105Dに襲い掛かり、反撃しようと爆弾を捨てたのを確認してから全速で逃げ出した。F-105は爆弾さえ捨てれば対抗できるのだが、捨てたら任務達成は不可能となる。
(『目標に爆弾を落とす』事が任務なので)

そして時には本当に襲い掛かり、爆弾を捨てなかったF-105Dは撃墜されていった。
もどかしい駆け引きの始まりだった。

はぐれイタチの狩り

F-105の任務は1960年代の終りと共に一区切りつく。消耗しきったF-105Dに代わり、新しくF-4を配備された部隊が交替してきたのだ。しかし、これでF-105の活躍に終止符が打たれるわけでは無い。対空ミサイル・レーダー狩り専門機「ワイルドウィーゼル」への改修である。

ここからは複座のF-105Fが活躍する。かくして、全F-105Fの6割はワイルドウィーゼル仕様へと改修され、対空ミサイルとレーダーを相手にした壮絶な戦いを繰り広げる事になる。さらにF-105FはEF-105Fを経てF-105Gへと改造され、ベトナム戦争を戦い抜いた。

派生型

YF-105A

最初の試作型。YF-105Bとはエアインテイク、テイルパイプの形状が違い、さらに垂直尾翼の面積も狭い。(特にテイルパイプはのっぺりしている)
2機製造。

YF-105B

エリアルールを採用し、エアインテイクとテイルパイプの形状が違い、垂直尾翼も増積された。
YF-105Aに似てはいるが、構造はまったくの別物と言ってもいいくらい変わった。
4機製造。

F-105B

最初の生産型。
のちのF-105Dに比べ、バルカン砲の砲口が機首先端に空けられている。75機製造。
実戦は経験していない。

F-105C

B型の複座練習機。ワンピースキャノピー採用。計画中止。

F-105D

B型の発展型で、レーダー変更で全天候能力付加。これにより見かけ上はバルカン砲の砲口が後退した。シリーズ最多の610機が生産されるが、喪失機も最多。
ベトナム戦争前期の看板役。

F-105E

C型計画の再提出。やはりワンピースキャノピー。
D型に準拠して全天候能力を付加している。
計画中止。

F-105F

三度提出の複座型。
機体を延長してワンピースキャノピーを止めた。本来は練習機だが、生産数の6割はワイルド・ウィーゼル仕様に改造される。
143機製造。

EF-105F

「ワイルドウィーゼルⅡ」とも。
本格的な対レーダー装備を施したF-105Fの改造機。
86機が改造された。

F-105G

「ワイルドウィーゼルⅢ」とも。
それまで外付けだったECMポッドを内蔵するなど、EF-105Fの対レーダー装備をさらに強化した。
61機がEF-105Fより改造された。

ベトナム戦士、故郷へ

ベトナム戦争が終結し、本国へと帰されたF-105は州空軍(ANG)などで使用された。
既にD型は生産数の半分が撃墜され、生き残ったF-105F/Gも傷みが激しかった。これでは次なる戦争に備えるなど、出来っこない。そんなわけで、F-105は州軍や予備役へ「格下げ」され、細々と使われた。最後の飛行は1984年2月。戦争の主役を務めたにしては、寂しい最後であった。

チーフ(酋長)かく戦えり

空中戦

ベトナム戦争の主役にしてやられ役となったF-105だが、撃墜も記録している。その数は27.5機。(0.5機はF-4との共同撃墜)
いずれもMiG-17である。

2機をAIM-9で撃墜した以外は、すべて機銃(M-61「バルカン砲」)での撃墜となった。機銃は思いのほか有効な武器だったのだ。
この戦訓を元に、アメリカ空軍は格闘戦を見直すことになる。
(海軍でも同様なことが起こり、「トップガン」設立のきっかけとなった)

だが宿敵MiG-21は撃墜できなかった。
戦闘機による被撃墜は23機であり、特にMiG-21には14機が撃墜されている。
MiG-17を撃墜して戦闘機の面目を保ったとは言え、ほぼ一方的な敗北であった。

対空砲火

撃墜された機の総数は398機にのぼるとされ、差し引き9割以上は対空砲火ということになる。
これは実戦の環境が想定からかけ離れていた事も大きい。空を埋め尽くす高射砲のなかでの爆弾投下など、まったくの想定外だったのである。また被弾にも弱く、特に油圧系統に損害を負って墜落する事が多かった。これには急いで対策がなされ、対策機は予備の油圧系を追加している。

また、D型の中には電子妨害装置を標準装備した機もある。この改造は「サンダースティック」と呼ばれ、胴体背部のフェアリング(膨らみ部分)が拡大されていることから識別できる。が、のちに専門機が対処することとなり、少数に終わった。

サンダーチーフの意義

しかし、F-105の存在が無意味だった訳ではない。
のちにレーザー誘導爆弾が実用化すると、そこそこ小回りが利き、大型爆撃機などよりも目標になりにくい戦闘爆撃機の存在は無視できないものになった。
(レーザー誘導爆弾は投下に6000mほどの高度が必要で、もちろんこれは爆弾が軌道修正するため)

低空でも猛ダッシュを仕掛けられるパワーと、どんな爆弾も搭載できる積載力。
そんな空軍の理想はF-111で具現化され、ベトナム戦争のみならず、後の戦争でも威力を発揮していくことになるのである。

爆弾倉のなぞ

F-105で一番の「看板」である爆弾倉だったが、写真ではそのドアにパイロンが追加され、爆弾を搭載している。これでは爆弾倉は使用できない。
(F-105の爆弾倉ドアは回転式である。)

爆弾倉はどうなったのか。その答えが「内蔵式燃料タンク」である。F-105はここでも能力を封印されていたのだ。本来の使い方には一度も使われず、どこまでも不憫な戦闘機である。
(ただし、爆弾倉ドアへのパイロン追加は当初から予定されていた)

後継機の爆弾倉

なお、F-111にも爆弾倉は用意されているが、これは元々海軍の要請のため(防空用長距離ミサイル)で、空軍ではもともと必要としていなかった。もちろん爆弾を内装するなどという事には使われず、普段は増加燃料タンク、精々バルカンを搭載できないこともない、という程度だった。

のちに戦略任務に転用されてFB-111Aとなり、ここでようやくミサイル(AGM-69A)を内装する目的にも使われるようになったのである。もちろん、実戦は経験しなかったが。

「トンキン湾の人食い虎」

F-105はエリア88にも登場している。
南ベトナム出身のパイロット、グエン・ヴァン・チョム(元少尉)が搭乗する。
登場した後、何度も登場しないうちに対空地雷に撃墜された。
それにしても、わざわざ空戦向きでない機体でエリア88志願とは・・・

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