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He111

えいちいーいちいちいち

ハインケル社(ドイツ)が開発し、ドイツ空軍に採用された双発爆撃機
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→ 詳細はwikipedia:ハインケル_He111

概要

ドイツの航空機メーカー、ハインケル社が製造し、ドイツ空軍スペイン内戦からドイツ敗戦まで使用したレシプロ双発爆撃機

爆弾の弾頭を上に向け垂直に搭載するという、独特な爆弾槽を装備していた。

主翼は高速郵便飛行機He70から受け継いだ楕円翼で、ドイツ空軍の「爆撃機の高速化」のコンセプトに基づいており、開発当時の爆撃機としては高速であった。

大戦を通じて使用された主力機で、使い勝手の良さから多くの派生機があり、Me321グライダーの曳航用に2機を並べて繋げた5発機(Z型)も作られた。


再軍備宣言前のドイツでは、ヴェルサイユ条約の規制のため民間機の名目で軍用機の開発が行われた。

ハインケル社ではBMW VI6エンジンを搭載したHe111V1試作機を元に、ルフトハンザ向けの輸送機としてC型が開発された。

C型を元に爆撃機(A型)の研究、開発が進められた。

最初の爆撃機型、A-0は機体の重量過多により速度が予定を下回って不採用となり、製造された10機全てが中華民国へ売却された。

B型ではダイムラー・ベンツ DB600Aエンジンの搭載で改善され、DB600Cエンジンに換装したHe111B-1が量産され、1936年に実戦配備された。

P型からはイラストにもある特徴的な機首が導入された。余談だが、上から見ると機首は左右非対称の形状になっている。

1944年までに7,603機が製造された。


大戦中、ドイツの同盟国にも供与された。

大戦末期、スペインがライセンス生産権を買い、1945年よりCASA2.111としてスペイン空軍が制式採用。1953年の米西防衛協定後はエンジンをロールス・ロイス製のマーリン500-20に変更し、1973年まで使用された。

また日本陸軍も日中戦争の開戦直後、九七式重爆撃機の配備が完了するまでの繋ぎとして輸入を希望していた。

日本側が提示した金額はかなりのもので、ヒトラーは心惹かれたものの、当時最新鋭の機体を海外へ輸出することに空軍が反対したため実現しなかった。


実戦

1937年、スペイン内戦で初めて実戦に参加した。

1939年、第二次世界大戦勃発。ポーランド侵攻に参加した。

1940年、ノルウェー、デンマーク、フランスへの侵攻に参加した。

イギリス侵攻を狙ったバトル・オブ・ブリテンでは護衛戦闘機が途中までしか随伴できず、機体下部の銃座を狙われて大損害を被った。爆弾の大型化に伴い速度が低下し、防禦力も低かった。以降、最前線の爆撃任務はJu88に交代され、He111は夜間爆撃、航路誘導、雷撃、輸送などの各種任務へ割り当てられた。

1942年、スターリングラード攻防戦で、包囲されたドイツ6軍への空輸作戦に投入された。

1943年、バトル・オブ・ブリテン後も昼間爆撃任務が続いた東部戦線でも、その任を外され、以降は敗戦まで輸送機として使用された。西部戦線ではV1飛行爆弾の母機としても運用された。


性能諸元(H-16)

諸元

 乗員:5名(パイロット、航法兼爆撃手、機首銃手、腹部銃手、尾部銃手)

 全長:16.4m

 全高:4.0m

 翼幅:22.6m

 翼面積:86.5㎡

 空虚重量:8,680kg

 最大離陸重量:14,000kg

 発動機:ユンカースJumo 211F-2(液冷倒立V型12気筒)×2


性能

 最大出力:2,700馬力(1,350馬力×2)

 最大速度:440km/h

 航続距離:1,950km

 実用上昇限度:8,500m


武装

 固定武装:

 7.92mm機銃(MG15またはMG81)×3~7 20mm機関砲(MGFF)×1 13mm機関銃(MG131)×1

 搭載爆弾:

 2,000kg(爆弾槽) もしくは2,000kg(翼下)+500kg(爆弾槽)


外部リンク

wikipedia:ハインケル_He111

関連タグ

爆撃機 ルフトヴァッフェ ハインケル

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