ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

→ 詳細は「wikipedia:M4中戦車」を参照。

概要

第二次大戦時のアメリカ軍の主力戦車。

「シャーマン」はM4を供与されたイギリス軍における名称で、南北戦争時の北軍の将軍『ウィリアム・シャーマン』から。アメリカ軍においては使用されないが、現場の兵士の間ではそう呼ばれることもあった。


開発経緯

→ 詳細は「wikipedia:M4中戦車」を参照。


1939年、第二次世界大戦勃発。ヨーロッパでの戦訓から、当時アメリカ陸軍の主力だったM2中戦車が通用しないのは明らかであった。ドイツ戦車を撃破できる戦車砲の搭載が必要で、1941年、車体右側張り出し部に砲郭式の75mm砲を追加したM3中戦車が開発された。

M3をベースに全周旋回砲塔に75mm砲を装備したT6戦車が開発され、1941年10月にM4中戦車として制式採用された。自動車産業を中心に急速な生産体制の整備が行われ、1942年2月より量産が開始された。

アメリカの高い工業生産力により信頼性の高い兵器であり、戦争相手国の軍需相であるアルベルト・シュペーアからも生産性の高さなどから理想の戦車と評され、Ⅳ号戦車T-34などの当時の各国の主力戦車と比べても遜色のない性能であったが、ティーガーパンターなどの強力なドイツ軍重戦車が相手では戦闘能力は劣り、特に初期においては車体弾薬箱の配置場所から炎上しやすく、ドイツ軍から『アメリカのストーブ』と揶揄されるほどだった。

しかし、より新型の戦車を配備する事による生産現場の混乱を嫌った上層部の判断により、終戦時まで主力戦車として使用され、ドイツ軍を数で圧倒した。

装甲および武装の強化、生産拠点による車体構造の違い(鋳造か溶接か)懸架装置の違い、搭載するエンジンの違いなどにより、そのバリエーションは多岐にわたる。


なお、イギリス軍ではそれぞれのバリエーションにI~Vのナンバーをつけ、武装別に名称の最後にアルファベットを与えていた。アルファベット無しは75mm砲、「A」は76mm砲、「B」は105mm榴弾砲、「C」は17ポンド砲を意味していた。

例:M4A1の76mm砲装備は「シャーマンIIA」。M4A4の17ポンド砲装備は「シャーマン・ファイアフライVC」。


バリエーション

→ 詳細は「wikipedia:M4中戦車」を参照。

主要生産車

M4(英軍:シャーマンI)

M4シャーマンの基本形だが、量産開始はM4A1より半年遅れの1942年7月である。M2、M3中戦車同様、航空機用の空冷星型9気筒エンジン(コンチネンタルR-975)を搭載。ここからドライブシャフトが車内を貫くため背の高いシルエットとなり、エンジンが異なる後の型も同じ車体を用いている。

初期型車体は、車体前面に圧延装甲が溶接され、操縦手および副操縦手兼機銃手席部が前面装甲より飛び出した形になっている。これは耐弾性に劣るため、生産後期には前面だけM4A1後期型に似た溶接部品に換えた、ハイブリッド(またはコンポジット)型に変更されている。車体側面の弾薬箱も、誘爆しにくい湿式となった。

新型砲塔に105mm榴弾砲を搭載したタイプや、旧式化した車体にロケットランチャーを装備した『カリオペ』などもある。


M4A1(英軍:シャーマンII)

最初の派生形。車体上部が鋳造ボディとなっている。M4と併行して生産されたが、これは生産工場毎の得意な方法が採用されたためで、鋳物を主に生産する工場では鋳造車体が選択された。

一体鋳造型車体のM4A1でも、後にハッチが大型化された後期型車体が作られている。M4A1はM4と同じエンジンを用いており、現場でも運用上両車の違いは意識されなかった。

M4A1(76mm)W

M4A1に、試作戦車T23の物をベースにした新型砲塔を搭載、より対戦車能力の高い76mm砲を装備したタイプで、全て後期型車体。末尾の「W」は湿式弾薬庫を表す。

初陣であるコブラ作戦で米軍が用いたが、その後補充される車両はM4A3に統一されるようになり、多くは英連邦各国の軍や自由ポーランド軍、自由フランス軍で用いられた。


M4A2(英軍:シャーマンIII)

М4А2 “Шерман”(1945)

空冷星形エンジン不足を想定し、GM社製の液冷ディーゼルエンジン2基を搭載したタイプ。出力に余裕があり、大戦中の各型中、最も高速。

アメリカ陸軍は使用燃料をガソリンに統一していたため使用されず、主に海兵隊や、またレンドリースによりイギリスやソ連に供給された。

ソ連軍では稼働率の高さ、操縦性の容易さ、車体の広さから好評であり、親衛戦車部隊に集中的に配備されている。

75mm砲型と76mm砲型があり、車体には初期型と後期型があるが、湿式弾薬庫は採用されていない。

M4A2E8

下記のM4A3E8と同様に、水平バネ式懸架装置を搭載したモデル。


M4A3(英軍:シャーマンIV)

フォード社製液冷V型8気筒ガソリンエンジンを採用。同社生産による75mm砲塔型のみ初期型車体であったが、実戦配備されたものは殆どがデトロイト戦車工廠やグランド・ブランク戦車工廠製の後期型車体である。

M4A3(76)WやM4A3(105)も作られ、大戦後期の主力タイプとなった。

M4A3E2

M4A3E2(ジャンボ)

通称『ジャンボ』。M4A3(76)Wの装甲を強化し、敵陣突破時の先頭に立つ『重戦車任務』に使用されたタイプ。

装甲を厚くした76mm砲塔に榴弾威力で勝る75mm砲を搭載していたが、前線で76mm砲に換装され対戦車任務に使用されたものもある。パットン将軍率いる第3軍では、保有するすべてのシャーマン"ジャンボ"を76mm砲に換装することとし、同軸機関銃も50口径M2に変更する計画であった。

M4A3E8

戦後の軍神製造マシン

通称『イージーエイト』。アメリカ陸軍での最終型。

M4A3(76)Wの懸架装置を、それまでの垂直バネ式から水平バネ式に変更、履帯幅も大きくなった。このE8改造は、後に別の型でも行われている。

朝鮮戦争で活躍し、自衛隊にも配備されゴジラと戦った。

 ちなみに、E8型というのは、サスペンションが水平ばね式になっている型式で、イージーエイトという呼び方は第二次大戦後から使われたとされている。


M4A4(英軍:シャーマンV)

空冷星形エンジン不足を想定し、クライスラー社製の直列6気筒ガソリンエンジンを5基合体させた「A-57」を採用、デトロイト戦車工廠で生産された。

エンジンが大きいため車体後部が延長されている。車体前面形状は初期型仕様のみ、ギアハウジングケースも3ピース型のみである。マルチバンク30気筒という特殊すぎるエンジンのため整備性が悪く、同工場でのM4A3の生産開始に伴い生産終了した。

主にイギリス軍に供与され、後述する『ファイアフライ』の最初のベースとなった型である。厄介払い的に押し付けられたわけだが、イギリス軍では意外と信頼性が高いとして好意的に評価されていた(単にそれまでのイギリス戦車のエンジンが酷すぎただけかもしれないが)。


派生型

M4A5

カナダ陸軍ラム巡航戦車にアメリカの軍需部が与えた型式番号。


M4A6

M4A4をディーゼルエンジンに換装したもの。少数が生産され、米国内で訓練用に用いられた。


M10GMC

M10戦車駆逐車

M4A2の車台を使い、3インチ対戦車砲を装備する駆逐戦車戦車駆逐車)。

供与先のイギリスではウルヴァリンのニックネームが付けられた。

M36ジャクソン

猛獣ハンター1945

既製のM10A1から、90mm砲を搭載した新型動力砲塔に載せ替えたもの。後にM4A3の車体に同じ砲塔を載せたM36B1、M10から砲塔を載せ替えたM36B2も作られた。

愛称の「ジャクソン」は南北戦争時の南軍の将軍、ストーンウォール・ジャクソンに由来する。


M32戦車回収車

M32戦車回収車

主砲を除去して回収用クレーンを装備した車輌。


シャーマン・ファイアフライ

Sherman filefly

イギリス陸軍が改造を加え、17ポンド対戦車砲を搭載したM4シャーマン

VI号戦車ティーガーⅠ)の正面装甲を1,500m以上の距離から貫通可能であり、ミハエル・ヴィットマンの乗るティーガーⅠを撃破したのはカナダ第4機甲師団のファイアフライであった。

ベース車両はM4A4が一番多く、次いでM4。

改造プランが提出された時、イギリス軍需省はチャレンジャー巡航戦車に入れ込んでいたこともあって握りつぶしてしまった。

陸軍が軍需省に無断で試作したところ、何の問題も無く完成し、軍需省が入れ込んだチャレンジャーは無様な出来になってしまったという英国面なエピソードを残している。

アメリカ軍は17ポンド砲搭載シャーマンを調達しようとしたが、新車、既存のM4型からの改造車共に1945年5月の欧州戦線の終結までに全線に届くことはなかった。だが、イタリア戦線ではイギリス陸軍の予備車両を受領してシャーマン・ファイアフライ戦車を装備したアメリカ陸軍部隊が存在した。

M4中戦車の派生型では最高クラスの対戦車能力を持っていたが、17ポンド砲のマズルフラッシュがまともに目を開けていられないほど強烈なものだったため、戦車のマニュアルには「発砲すると観察がほぼ不可能になる」と記されており、発砲の瞬間には乗員は目を閉じるよう訓練されなければならないとされていた。その為、攻撃力の高さに反して戦車兵からの評判は芳しくないものだったという。これが「ファイアフライ(ホタル)」というあだ名の謂れである。一発撃つごとに激しい砲煙が発生し視界が制限されることも弱点であった。

大戦終結後に生産された大半は軍の配備を解かれ、輸出されたりしたものの、1970年代にレバノン内戦で運用されていることが確認されている。この時のファイアフライは、M4A3E2用ディーゼルエンジンに換装され、車体もディーゼルエンジン使用のための改修が施されていた。


シャーマンDD

シャーマンDD

イギリス軍がノルマンディー上陸作戦に備えて水陸両用戦車に改造したもの。

車体周囲に展開する防水スクリーンと、誘導輪で駆動する推進用プロペラ2基を備えて水上航行を可能にしたが、いざ使ってみると高波を被って水没する車両が続出した


戦後の派生型

M4A1E6

M4A1の75mm砲搭に76.2mm砲を搭載したタイプ。

Oddball's Sherman


M4A3E6

M4A3の75mm砲搭に76.2mm砲を搭載したタイプ。

映画『戦略大作戦』では、オッドボール軍曹の車両であった。


M4A3 HVSS POA-CWS-H5

105mm砲装備型をベースにした火炎放射戦車。

従来の火炎放射型は主砲を火炎放射器に換装していたため敵兵の肉薄攻撃を受けやすく、主砲を残したまま同軸に火炎放射器を装備した。

朝鮮戦争において海兵隊が使用した。


M1『スーパーシャーマン』

フランスからイスラエルに売却された中古のM4A1(76)Wで、サスペンションが換装されE8化されたものが混在した。

75mm砲搭載のM4A2やM4A4に比べ、対戦車戦闘能力が向上したことから「スーパーシャーマン」と呼ばれるようになった。M1の形式番号は搭載する76mm砲M1から付けられたもので、それまでの75mm砲型は75mm砲M3から、シャーマンM3と呼ばれるようになった。

田宮模型プラモデル『スーパーシャーマン』はサスペンション換装前のタイプである


M50『スーパーシャーマン』

M50スーパーシャーマン

イスラエル軍がM4A4の75mm砲を、フランス製の61口径75mmライフル砲(CN-75-50)に換装したもの。

ドラゴンモデルズのプラモデル『スーパーシャーマン』はこのタイプである。


M51『スーパーシャーマン』

M1の76mm砲をフランス製の44口径105mmライフル砲(CN105 F1短砲身型)に換装し、これに合わせて砲塔後部の延長などの改造を加えたもの。これにより1960年代初頭の一線級戦車に匹敵する攻撃力を持つことになった。

プラモデル商品名などに見られる『アイ(Israel)シャーマン』は、他の『スーパーシャーマン』と区別するため西側メディアがつけた名称。田宮模型、ドラゴンモデルズ、アカデミー科学から1/35スケールでプラモデル化されている。


M60

M50/M51の主砲をIMI製の60mm高初速砲(HVMS60)に換装したもので、1984年にチリに輸出された。


M4の戦い

→ 詳細は「wikipedia:M4中戦車」を参照。


シャーマン戦車

M4が最初に投入されたのは北アフリカ戦線のエルアラメインの戦いだった。

投入された段階でM4の性能はドイツアフリカ軍団の主力戦車だったIII号戦車を上回っていた。ドイツ軍側の有効な対策は88mm高射砲による水平射撃だったが、75mm砲から放たれる榴弾はドイツ軍の対戦車砲陣地にとって深刻な脅威となった。そして1942年10月23日より開始された第二次エルアラメインの会戦では1200両以上の連合軍戦車が参加し、そのうち数百両はM4で構成されていた。イギリス軍の徹底した欺瞞作戦も功を奏し、連合軍はロンメル元帥に総退却を決意させ、中東の産油地帯をドイツ軍の手から守ることができた。


しかし、続く1942年11月8日より開始されたトーチ作戦では、チュニジアに立てこもるドイツ軍を攻撃しようとした連合軍は、カセリーヌ峠の戦いにおいて死傷者3000人以上、戦車喪失はM3軽戦車なども含めて183両という大きな被害を受けてしまった。まだ練度の低かったアメリカ第一機甲師団がドイツ軍の欺瞞後退に乗ってしまい、対戦車砲による待ち伏せの餌食となったのだ。何よりも初遭遇したドイツの重戦車ティーガーⅠにM4も含めて連合軍戦車の攻撃は歯が立たなかった。


前線司令官ジェイコブ・デヴァーズ中将はティーガーⅠに対抗できるT26E1重戦車(のちのM26パーシング」)の量産を求めたが、陸軍地上軍管理本部(AGF)のレスリー・マクネア中将は「複数種類の戦車を配備することによる補給・整備の混乱」「(性能から考慮してコスト面の問題から)ごく少数のティーガー、パンターに対抗するため重戦車を投入する非効率性」を理由に反対し、「強力な敵に出会えば迂回すれば良いだけであり、装甲よりも速度が重要」とM4の採用を支持したジョージ・パットン中将も「75mm砲型のM4は十分な性能を持っており、新型戦車は不要」と、AGFの主張を補強している。

こうした重戦車の配備が遅れた背景には、AGFの懸念のほか「対戦車戦闘は駆逐戦車がするもの」という当時のアメリカ軍のドクトリンの影響があった。ドイツの電撃戦の教訓から対戦車戦闘の為に創設された米軍の戦車駆逐大隊だったが、榴弾射撃などによる歩兵支援と、対戦車戦闘はそれぞれ専用の車両で行うべきという考えが根強かった。また75mm砲での歩兵支援任務に慣れた古参M4戦車兵のなかには、使い慣れた砲以外を使用することに疑問をもつものも少なくなかった。実際に1942~43年の間では、75mm砲で対抗できない相手と遭遇することはまれなことだった。76mm砲を搭載したm4の配備比率も、1945年1月の時点でさえ欧州戦線の全M4戦車の25%程度であり、75mm砲から76mm砲への換装もあまり行われなかった。

AGFの予想に反して、パンターがティーガーのように独立大隊として小規模に運用される事は無く、将来の主力戦車としてドイツ装甲師団ごとに一個大隊標準装備されるようになった。1944年6月6日より始まったノルマンディーの戦いでこれと交戦する機会が増した現場の米戦車兵から「M4の主砲ではパンターの正面装甲は貫通出来ない」との声が上がる。これに対してAGFは「M4の75mm砲はパンターの正面装甲にも有効であり、前線の戦車兵が大袈裟に言っているに過ぎない」と主張してきたが、実際に鹵獲したパンターで試してみると現場の兵士たちの声が正しかった事が判明する。


そこでアメリカ軍はパンターやティーガーに対抗するために、76mm砲で使用できる新型のタングステン鋼芯入り高速徹甲弾M93の量産を強化する。これは距離500mで208mmの垂直鋼板を貫通し、距離914mでは角度30°の135mm鋼板を貫通するという、ドイツ軍の88mm対戦車砲と比較しても遜色ない威力を発揮できる砲弾だった。1944年8月から前線に支給されるようになったが、月産10,000発しか製造できなかったので、M10駆逐戦車などに優先して供給され、76mm砲搭載型のM4への供給は十分では無く、バルジの戦いの頃においても、シャーマンには常時1~2発程度の支給に留まった。旧式のM62徹甲弾はまとまった数があったが、その場合はパンターの防盾を打ち抜くためには180mの距離まで近づく必要があった。それでも側面からなら1,800mの距離からパンターを撃破可能だった。練度の高まった連合軍戦車兵たちはM4をよく使いこなした。ノルマンディー上陸後ロレーヌ地方におけるアラクールの戦いでは、エイブラムス中佐の率いる第37戦車大隊は55輌のティーガーIとパンターを撃破し連合軍の勝利に貢献した。続く12月のバルジの戦いでは、連合軍第3機甲師団のM4中戦車2両が11両のパンターを迎え撃ち、6両を撃破し2両に損傷を与えている。

ドイツ軍戦車部隊は重砲を備えた戦車によるアウトレンジでの一方的な戦いを望んだが、開けた東部戦線とは異なり、西部戦線における米独の戦車の交戦距離は平均して900m程度であり、その強みを生かすことはできなかった。そして大戦後期に爆撃や資源の不足による工業力の低下で機械的信頼性を損なっていたドイツ軍戦車に対し、M4の生産のしやすさ、そして整備のしやすさと信頼性の高さが織りなす稼働率の高さは大きな強みだった。バルジの戦いでは416輌のパンターが投入されたが、2週間で180輌が撃破され、残りの236輌も、うち135輌が損傷や故障で使用不可となり、バルジでの戦闘が終わる頃には稼働可能数は約100輌にまで減少し約300両の喪失となった。一方でM4シャーマンは同時期にあらゆる原因で320輌喪失したが、1,085輌が前線にあり、うち980輌が稼働可能な状態であり、パンターとの信頼性の差は歴然であった。カタログスペック上の正面戦闘能力ではパンターやティーガーが優位にあったが、言い換えればそれ以外のすべてでM4はドイツ軍戦車に対し互角以上の働きを見せた。


M4頼みの状況が本格的に改善されるきっかけとなったのは、バルジの戦いで発生したM4の損害が、新聞で大きく報道されたことであった。兵器局はT26E1を試験的に配備することを提案し、AGFの反対は押し切られたが、既に1945年1月で、ほとんど戦局に影響を与えることの無い時期であった。

終戦後の調査では駆逐戦車は対戦車戦闘よりもM4と同じような榴弾での歩兵支援任務につく機会のほうが10倍以上多かったことが分かった。結局、戦車と大差ない装軌車両と砲を装備した戦車駆逐車は、ドクトリンが必要としていた敵戦車に対する特別な優位を得られなかった。米軍の対戦車ドクトリンも見直され、戦車駆逐大隊は解体が決定された。

M4は戦後もその拡張性から長きにわたり、そして広範な国々で運用され、特に第三次中東戦争(1967年)でイスラエル国防軍による改造型であるスーパーシャーマン・シリーズがショットマガフなどの新鋭戦車と遜色ない活躍を見せるなど、第2次大戦以降もその存在感を示し続けていたものの、戦後後発の新型戦車にはやはりかなわず、火力強化は限界に達し、装甲の増加も望めず、アラブ諸国側の戦車が強化されたこともあり、順次最前線より姿を消していった。


対日戦争

→ 詳細は「wikipedia:M4中戦車」を参照。


日本戦車に対しては性能的に圧倒していたM4だが、フィリピン戦では、線路の盛り土を乗り越た所を待ち伏せる方法で日本軍戦車による肉薄攻撃が行われた他、末期には爆薬を装着した九七式中戦車八九式中戦車による特攻があった。

開けた場所が少ない島嶼での戦いでは対戦車砲に待ち伏せされ、沖縄戦では一式四七粍速射砲機動九〇式野砲により147輌のM4が失われた。

 また、赤軍にレンドリースされたM4A2は、満州方面の「8月の嵐」作戦に投入され、弱体化した日本の満州軍と交戦したと伝わる。


外部リンク

wikipedia:M4中戦車

関連タグ

戦車 中戦車 アメリカ陸軍

関連記事

親記事

中戦車 ちゅうせんしゃ

子記事

兄弟記事

pixivに投稿されたイラスト pixivでイラストを見る

pixivに投稿された小説 pixivで小説を見る

このタグがついたpixivの作品閲覧データ 総閲覧数: 796342

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました